京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「小人」以下、となると

2009年02月21日 | 日々の暮らしの中で
『論語』(顔淵篇)
季康殿が政治について孔子に質問した。
「もし(見せしめのためも含めて)無道な連中は皆殺しに(するなど、きれいに始末)してしまって、世の中の正しい規律を完成するというのは、どうだろうか。」

孔子がお答え申し上げた。
「……
【君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草之に風を上(くわ)うれば、必ず偃(ふ)す、と。】
為政者の品位(身分)は風のようなもの、民衆の品位(身分)は風のようなものです。草に風が吹きますれば、草は必ず(なびいて)仆(たお)れます」と。

この一節を引きながらの、加地伸行氏の文章を目にした。

論語には「君子」と「小人」の違いが何度も出てくるのだが……。
普通、君子―立派な人・大人物、小人―つまらない人・とるに足らない人などと解釈する。

この場合は君子―為政者、小人―民。
そうした中で「君子―教養人、小人―知識人」とした筆者の解釈が述べられている。

『教養人とは、知識人であって、さらにその上に道徳なども身につけた人格的に優れている人のこと。
知識人とは、ただ知識だけがあるだけで、判断する力、構想する力、徳性、人間的魅力……要するに人間性・人格性が必ずしも伴っていない人です。』とある。

これをもっていうなら、
政治を行う立場の者が、その品格をもって政治を行えば、民衆はその品格の力から良い影響を受けて、おのずと行動の面も感化されるってこと……になるのでしょう。

「教養人であれ。知識人に終わるなかれ」、これも孔子のことばだった……。

いつぞやブログ上で、どなたかに「品格」について問われ、また先日はどなたかに「知識人」について問われた……。
偶然触れた加地氏の小文だが、ブログを通しても様々な考え方・人間性に接することができる恩恵を強く感じることとなった。

知識さえ危うい人間は「小人」にも入らないとなると…… なんや~~?

ps:…闇夜の妖怪???


コメント (15)
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