京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

世間並の「春」にしよう…

2009年02月28日 | 日々の暮らしの中で
“朝は真夜中に始まる。まだ夜の帳が上がりきらないうち、朝の仕事は始まっている。日々繰り返されるお勤めをいつものように勤めているうちに、木々のざわめき、小鳥の声、やがて木漏れ日の輝きが届く。”

目覚まし時計のアラームを消して何分が経過するのか、朦朧とした頭で朝であることを認識することから始まり、あ~、起きなくちゃなあとやっとこさ起き上がる人間の朝に比べると、なんと満ち足りた穏やかな朝だろう。まだ暗い闇のあとに静かに迎える朝。
過去へのこだわりよりも、まさに未来への希望を抱くにふさわしい朝。私の朝ではない。

日々遠望する比叡山の春は遅い。
風害や厳しい寒気を避け、琵琶湖側の稜線にあるという僧坊の暮らし。
いくつもの風の道によって霊気は山の隅々にまで運ばれる。そうした峰々を歩き回っている酒井阿闍梨さんによると、人間であることを忘れ、自然と一体になって心には何も思い浮かばないのだという。

早くに母親を亡くしたが、祖父をよく手伝い、早朝の鐘をついていた中学生がいた。日本最古の木造の○○○○がある古寺を継いだ彼は、今お山で修行中。
眺める先にはあの静かで優しい笑顔のままに彼の顔さえ浮かんでくる。二十七・八歳になるところ。どんな道を見つけ何を学ぶだろう……。

連日比叡山から六角堂へと通い夜明け前には横川に戻る親鸞もいた。お山をおり、いよいよ「浮浪の徒の一人となった」『親鸞』の連載も興味深い。

多くの人が卒業などという形で一区切りし、新たな出発をも同月に迎える春3月。
私も心の杖をもっともっと太くしながら、新たな試みを自らに課そうと……オモッテイルノダ。私にとってこの道には何があるだろうか。

世間並に春のスタートを味わっていこうかな。楽しみながら。

   (写真は六角堂)


コメント (13)
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