京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

こんな日

2009年02月06日 | JESSICAの日本滞在記
姫の一日の始まりは……
ティッシュペーパーの布団をかけて箱で眠るどんぐりサンの一つ一つに、「おはよう~、おはよう~」と声をかけ取り出すことからだった。

友人から入った情報にいとも簡単に心動かされた娘が婉曲に私を誘う。
琵琶湖を見に、ぶらっとドライブもいいか程度の思いで、あまり関心のない私だが、お付き合い。滋賀県の草津市にある大型のショッピングセンターへ。

湖畔に三層の城が浮かぶような琵琶湖文化館(閉館になった)を正面に見て右折、近くに義仲寺、家康が高虎に築かせた膳所城、その跡地の公園をそばに見ながら、近江大橋へと入る。

「ダディと来たねー・ダディーと来たねー」Jessieがしきりに了承を求めてくるのは、「海」をそこに見ているからだ。
そういえば子供達も川を海、海とはしゃいだものだった。海を見たことなかった頃のこと。

眩しいほどの湖面の輝きは、春。近江富士も視野に入れ、ちょっと吹っ飛ばして、たちまち料金所。150円。橋の東詰が目的地。

シネマを併設し、専門店も沢山入って、大きい…そんな単純な情報だけでも娘には刺激のようだが。ゆったりした床面積、歩き疲れること!なんて言ったら笑われるのだろうか。
どこも同じような大型店、ここへ来る理由はなんだ!?と言いたいわ。
う~ん、まだ京都の方が良い。

姫時間での生活のリズム、大人には時に弊害も生じる。
お腹もすいていないのに時間がきたらお夕飯!?食べなくちゃいけない……。
そんなことにこっけいさを感じながらの笑いに、何がおかしいのかわからぬ姫は、時折顔を見回しながら、好物の納豆をかけている。

お疲れの姫だったが、寝入った。
今日は終わった……
 (写真・売れない画家みたいだ、と母親)
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熱意・懸命さ…かいましょう

2009年02月05日 | 日々の暮らしの中で
ゲリラ戦を展開する人間のことを思いやり、彼の“時間”を感じてみようとしてみても、
「追体験」さえできないようだ。ただ、彼の置かれた状況下、信念・聡明さ・勇気……そして仲間への敬意を持ち合わせた一人の人間の存在を思った。

「共産主義者も神を信じるのですか?」「あなたは?」若いボリビアの兵士が捕虜となったチェに問う。…「私は人間を信じる」
ボリビアでのゲリラ戦は光明も感じられないままに……。(『チェ 39歳別れの手紙』)
東大紛争、一連の学生運動での大学構内立てこもり、あの日々も遠くなってしまっている。

既成の物を受け入れることには慣れているという現代だが、自分を人との関係の中で生かし、働きかけていくという多くの機会を得ることが、生きる力を育むのではないのだろうか。
困難な人生を意義あるものとして生きるのも、まさに、心の持ち方次第ということか。チェ・ゲバラの人生を重ねて見たりもする。

「偉大な教師は、人の心に火をつける」というではないか。
国家のプロデューサーは…… 麻生さんだ ……。

今、日本の国内外の危機的状況を強く憂え、立ち上がる戦士の登場はあるのだろうか?
こんな、まるで他人事のような言い方、身の内に潜む冷めた鬼の目線のようかな。

3歳児が「書きもンする」と言っては“Jessie字”を書いている。奇妙な形だがハサミを上手に使って紙を切り抜いては貼り合わせる。
将来を預けるには幼すぎるが、「熱意」や「懸命さ」「純粋さ」は買うこととしよう。

公園で拾ったどんぐりにお布団敷いて、ティッシュペーパーをかぶせ、
「またあした、おやすみなさ~~い」
あー、どこまでも3歳児。

(「書きもン」用具一式?を買ってもらって)
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春立つ日に

2009年02月04日 | 日々の暮らしの中で
“花の盛り”などという時期を待つ事もなく、冷たい空気の中で早々に、密かに花を開かせている梅。

立春、暦が春、という日を迎えるだけで、頑張って咲かずにはおられず、そのための雨を期待する梅に早変わりでもするのだろうか。暖かな空気の中、まだまだ固い桜のつぼみまでが、もぞもぞし出したように見えるのは、気のせいだろう。自然が暦に支配されることは、あるまい。

本堂裏手、畑に面して一本の桃の木がある。枝には、競い合うような芽があふれ、付近では一足早く、おしゃべりの花が咲いている。
たくましい生命力を娘にと、健やかな成長を願って毎年飾り続けた雛段飾りの脇に活けられて、今年もそのほころびを待つことになる桃の花。

例年、隋臣の烏帽子の紐が、顎の下にうまく結べない。手が凍えるほどに冷めたい。それがこの時期なのだ。
冷え切った部屋での作業にはつらいものがあるが、飾り付けが進むにつれ華やぐ空間、美しい親王の顔が浮かび上がる不思議な緊張感を楽しめるのは私の役得になる。
それに、なんといってもJessieの反応を想像するだけで今年は心温い。

姫は公園に、私は立春とともに花便りを追いかけて植物園に……。やはり暦に洗脳されているのだろうか。
季節の節目を通し、季節の面白さに気づかせてくれるのなら、それも日本に生きる楽しさの一つと言えるだろう。
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赤鬼さん・青鬼さん

2009年02月03日 | JESSICAの日本滞在記
    

大地の恵みの象徴、大豆の霊力を借りて、神様への願いを届けようと思いを託すのだろうか。

七輪に火をおこし、ザラザラザラザラと時間をかけて豆を炒るのは、長年続く婆さまの楽しみと言える。炒りあがる頃、匂いがたっぷり充満した頃に、子どもたちが学校から帰宅していた。そんな生活が絶えて久しいが、今年は「鬼はーそと・福はーうち」、高らかな声に、幼子のかわいい声が混じる。

金棒片手に唸り声をあげて、やっと!赤鬼と青鬼が登場。
心配した「午後から雨」の予報通り、傘が手放せなくなったが、ストーブに当たりながら、時折雨の中に飛び出しては退屈を紛らわせ、「鬼さんまだ?」「鬼さんまだ?」と待ちかねた。……はずだったのに!
悲鳴ともいえる泣き声に終始してしまう。「こわいよー・こわいよー」
諸手を挙げて近づいて来る赤鬼に、Jessieの顔はひきつるばかり。カメラの前で構えてくれても、“逆上”ぶりは収まることがない。かわいそうに、よほど恐ろしかったのだろう。

家を出る間際の母娘の会話。母親が頭をどこかにガッツーン!!「痛ーい!こぶができたわ」。すると、ふっくらしたほっぺをおさえ、「鬼さんに取ってもらえば?」

「鬼」を見せたい・見たいの一心で、護王神社へ。
狛犬ならぬ狛いのししがある。和気清麻呂公を祭神とする、別名?いのしし神社。

追い払わねばならぬのに、やられてしまった。完璧ペースダウン。テンションは下がりっぱなし。後ろを振り返り振り返り帰りを急ぐ、小さな胸の内。脅かし過ぎちゃったかしらね。

冬と春との境の日に一年の息災を祈り、小さなJessieの胸に小さな幸せの種を撒けているであろうことを夢みたい。
まかぬ種は生えないのだから、この際なんでも未来に夢を託しましょう~


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「割れ窓理論」

2009年02月02日 | 日々の暮らしの中で
『一枚の割れた窓ガラスをそのままにしているとさらに割れる窓ガラスが増え、いずれ街全体が荒廃してしまう』(米国の犯罪学者提唱の理論だという)

府内に「割れ窓理論」実践運動という取り組みがあることを知った。
シャッターや壁に書かれた落書きを小さなうちに消去・撤去し地域ぐるみで犯罪の芽を摘もうという活動らしい。

「犬 うるさい」
木の両開きの立派な門に黒く、大きな文字で殴り書きされていた。散歩で通る度に、ドキドキと重苦しい嫌な気分に襲われる。なんてことだ。どんなお付き合いがあった人間か知る由もないが、ひどいことをするものだ。第三者の心さえ打ちのめす如き愚行。
久しぶりに通りがかって見ると、両脇の支柱をつないで太いロープが張られ、開かずの門に。ヤスリで削ったような跡は、そっくりそのまま「文字」になって残っていた。悲しい作業の結末、空き家ではないのだ……。

もし全国の信号に音響がついたら?
あっちでもこっちでも、ピヨピヨ・ピヨピヨ、カッコー・カッコー、とーりゃんせ・とーりゃんせ、と賑やかなことだろう。これでは騒音ってことになるのだろうか。
♪夕~焼けこやけで日が暮れて……お寺の鐘が鳴る~
長年続いた早朝の鐘つきも、ご近所迷惑が優先されて途絶えてしまっている。とともに、婆さまの早起きも終わったのだったが。複雑…

こうした活動が、単なる環境維持だけではなく、安全な地域づくり、ひいては人づくり・心を養う機会と捉えるなら、「犬 うるさい」も、子どもたちに貴重な教育材料を残したと言えよう。

豆を思いっきりまいて、そこかしこに棲みついた厄は祓い清めてしまおう。

ちょっとやそっとで近隣をびくつく恐れのない我が家の中庭に、ロウバイがかぐわしい。暮れには生花店と物々交換をするほどの枝ぶり。正月の本堂用のお花に代えて。
コメント (4)
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