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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

和田由美氏が語る「昭和の懐かしグルメ」

2021-04-23 20:38:18 | 講演・講義・フォーラム等

 私とほぼ同年代のエッセイスト和田由美氏が語った。チキンライスが、ナポリタンが、時代背景と共に語られた。平成の時代を経て、令和の時代に入った今、懐かしさと共に昭和の時代が甦ってきた。

 ※ 掲載写真は2枚ともウェブ上から拝借したものです。

 今年度の「ほっかいどう学」かでる講座は、直接対面して講座を聴くリアル講座とオンラインで配信されたものを自宅PCで聴く講座のツーウェイ方式で実施されている。その第1回講座が4月20日(火)に実施されたが、私はちょうど「めだかの学校」の講座と重なってしまったため、昨日配信されたものを自宅で受講した。

 第1回目は出版社の亜璃西社を経営する傍らエッセイストとして活躍される和田由美氏「昭和の懐かしグルメ」と題して講演された。

            

 和田氏は1949年(昭和24年)生まれということで私とほぼ同世代ということになる。氏は小学生時代を倶知安町で過ごされ、父親が銀行員ということで、比較的恵まれた幼少時代を過ごされたようだ。母親が料理本を参考にして作った「チキンライス」が思い出に刻まれているという。それまでの料理にはあまり色がなかったのが、橙色のご飯は幼心に新鮮だったようだ。また、母親に伴われて札幌に出てきたとき丸井デパートの大食堂で食する「お子様ランチ」が楽しみだったという。また、列車に乗った時に購入してもらったカップアイスクリームの蓋の裏に付いたアイスクリームを木製のヘラで削ぐように食べたことも思い出だと述べられた。そり他にも当時としては先端のマシュマロとか、シュークリームの思い出を語ってくれたが、「子どもの頃に覚えた味はいつまでも忘れられない」と語った和田氏だったが、私も同じ思いである。

 私は道東の小都市北見の近郊で育ったが、当時の北見はおそらく札幌からは5~10年後を走っていたと思う。だからデパートの大食堂というと私には中学時代の思い出である。

 続いて、話は和田氏が学生として札幌で過ごした時期の「喫茶店」の思い出に移っていった。和田氏の学生時代というと昭和40年代ということになろう。当時の喫茶店は、若い男女にとって「待ち合わせ場所」であり「デートの場所」だったという。まったく同感である。当時のコーヒーはまずくてほとんどの人が砂糖を使用したが、スプーン2.5杯も入れていたという。また、当時ファストフードなどというものは無く、喫茶店で提供していた「ナポリタンスパゲティ」が手早く食べられたことから流行っていたという。タバスコ、粉チーズとともに提供されるちょっと濃い目の味のナポリタンが懐かしい。

 その当時の喫茶店で最も高価なメニューが「レモンスカッシュ」(通称レスカ)だったという。酸っぱい味が懐かしく令和に入って、とある市内の喫茶店に「レモンスカッシュ」のメニューがあったので頼んだのだが、昔の思い出のまましまっておけば良かったと語った。

 和田氏は著書に「さっぽろ喫茶店グラフティ」があるくらい札幌の喫茶店には詳しい方であるから、それからも次々と喫茶店の思い出を語ったが、この欄では割愛したい。

         

  ※ 和田氏の著書「さっぽろ喫茶店グラフティ」はウェブ上で探したが見当たらなかった。

 最後に和田氏は「札幌の街は老舗が次々と消えていく」と寂しそうに語った。そして「それも仕方がない」とも語った。そして、昭和の香りが今なお残るところとして中央区にある「ゆりや食堂」を挙げた。昭和21年開業の「ゆりや食堂」には、昭和の香りが漂い、店の雰囲気もメニューにも懐かしさがいっぱいなので是非訪れてほしいと云って話を締めた。

 調べてみると「ゆりや食堂」は我が家からも近い。近いうちにぜひ訪れてみようと思う。  



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