田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

吉村昭著「暁の旅人」

2022-05-04 10:07:48 | 本・感想

 吉村が著した「白い航跡」(4月2日投稿)が明治初期の海軍直属の医師・高木兼寛であったのに対して、それより前の江戸末期、幕府の西洋医学頭取を務めた医師・松本良順の波乱に満ちた生涯を描いた物語である。「白い航跡」もそうだったが、本書も読み応え応えのある一冊だった。

        

 吉村文学の素晴らしさは、例えばこの「暁の旅人」においては、

「安政四年(1857)八月十九日、道の両側に繁る樹木から蜩(ひぐらし)の鳴き声がしきりであった。晴れの日がつづき、その日も雲一片もない快晴で、空は青く澄んでいたが、日が傾き、空はきらびやかな茜色に染まっている。」

という書き出しから、一気に吉村ワールドに誘う筆力である。かくして私は医師・松本良順の波乱に満ちた医師としての生涯を一気読みしたのである。

 松本良順の生涯をごく簡単に振り返ると、江戸の医家の家に生まれて成長後、長崎に遊学して日本人として初めてオランダの医官ポンぺからオランダ医学を学んだ。その後、帰京し幕府の奥医師や、西洋医学頭取として務めたが、やがて時代は大政奉還へと繋がっていく。戊辰戦争の世になって良順は長く幕府に務めた経緯から最後まで幕府側に尽くそうと奥羽列藩同盟軍の軍医として会津若松城を目ざした。しかし、入場は果たせず仙台へ逃れたところで、榎本武揚の旧幕府軍から箱館行きを懇請されるも、土方歳三の口利きで東京へ帰ることにした。もし、箱館行きを承諾していたら彼の生涯も変わっていたかもしれない。帰京後、明治の世になって大日本帝国陸軍の初代軍医総監となり、明治23年には貴族院議員にも勅撰され、明治40年心臓病のため死去。享年75歳だった。

 「暁の旅人」は、良順の後年についてはサラッとしか触れず、主には幕府に仕えながら当時の医術の主流だった漢方医学との相克や、オランダ医学の伝習に悩みながらも、奥医師として信頼を得、やがて新選組とも交流があるなど波乱に満ちた生涯を活写してくれた。

良順が旧幕府側の人間だったにも関わらず、明治の世になっても重責に就き、貴族院議員にまでなったのは、彼が政治的な立場からは一歩退き、医師として信念を貫き、誠実に医療に尽くし続けたことがその因だったのではないかと思われる。

          

 吉村昭は松本良順の生涯に対して「暁の旅人」と題名を据えた。「暁」とは、「夜明け」、「明けがた」と解される。吉村は良順が生きた幕末から明治の世はまさに日本の夜明けの時代に信念を貫きとおした医師ということでこの名を冠したのだろうか…。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。