南大橋 → 五輪大橋
コースは都心からやや離れ、橋が出現する密度もやや間隔が空いてきました。途中からは一時猛烈な雪が降り、前が見えないほどでしたがこの日の目標の「五輪橋」が近づいてきました。ところがそこで想定外の状況が…。
寒い中、「南大橋」のところでの昼食を10分程度で終わらせ、スノーシュートレッキングを再開しました。
遠くに特徴のあるアーチ橋の「幌平橋」が見えてきます。「幌平橋」までも約20分で到達しました。この橋のアーチ部分は人が上れる構造になっているそうですが、私はまだ上ったことがありません。
※ 特徴のあるアーチ橋の「幌平橋」です。
この辺りでは豊平川もずいぶん狭くなっていましたが、さらに遡ったときにそれが一時的なものだと気付きました。
「幌平橋」から20分で「南十九条大橋」です。
この橋を通過した後に「雪捨て場」がありましたが、東区で出会ったような大規模のものではありません。
※ 「南十九条大橋」です。
※ 割り合い小規模の雪捨て場でした。
豊平川の中に奇妙な構造物を見に入りました。川の流れを遮るようにコンクリートの塊が整然と並んでいます。上流から木の枝やゴミが流れてきたとき堰き止められ、川の流れが悪くなるのではと思ったのですが、反対に下流にゴミなどを流さないための装置なのでしょうか?
※ このコンクリートの構造物のねらいが良く分かりませんでした。
「南十九条大橋」から約15分で「南二十二条大橋」に到達です。
この「南二十二条大橋」を過ぎると、橋の出現の間隔がやや開いてきます。
「ミュンヘン大橋」に向かう途中、川が整然と流れているのに気付きました。おそらく川岸や川底を改修し、流れを良くする工事がなされたものと思います。
※ 市街地の橋としては最後かな?「南二十二条大橋」です。
※ 川岸や川底の改修工事がなされたような流れでした。
「ミュンヘン大橋」に至る手前で左岸側に「山鼻川」の流入口がありました。ずっと左岸を歩いてきたのですが、初めて本格的な流入口が左岸側にありました。しかし、そこには立派な橋が架けられていて難なく通過することができました。
※ 右側の流れが「山鼻川」の流入口です。
この辺りから突然に猛烈な降雪となり、前も良く見えないほどです。
そのような中で、橋に架かるケーブルが美しい「ミュンヘン大橋」に到達しました。「南二十二条大橋」からは約35分かかりました。
雪のために「ミュンヘン大橋」はかなり近づいてから撮影し、ようやくその外観を捉えることができました。
※ 雪に煙る「ミュンヘン大橋」です。
「ミュンヘン大橋」を過ぎると、「精進川」の流入口が対岸に見えました。
およそ25分で「藻岩橋」に到達です。時計の針は午後2時を回っていました。第1日目の時は午後2時頃にはもう疲労困憊でいっぱいいっぱいでしたが、今回はまだまだ余裕綽々といった感じです。ペース配分が上手くいったようです。
豊平川の流れはかなりに狭くなってきました。東区辺りで見た悠々とした流れとはとても同じ川とは思えないほどです。
※ 「精進川」の流入口です。
※ このあたりでは流れはだいぶん狭くなりました。
「藻岩橋」からほどなく行くと、私のマップには載っていない細い橋がありました。どうも人専用の橋のようです。帰宅して調べてみると「藻岩上の橋」とありました。
長い豊平川の中で、なぜここにだけ人専用の橋があるのでしょうか?おそらく何らかの歴史的な経緯があるものと想像されます。
※ 人が通れるだけの狭い橋なのがお分かりいただけると思います。
川の流れは広くなったり、狭くなったり、中州の形状で川の幅もいろいろと変わってきます。
「藻岩上の橋」からしばらく行ったところで、やはり対岸に「真駒内川」の流入口がありました。灌木が繁っていて、なかなか撮影ポイントが見つかりませんでしたが、川面のぎりぎりまで寄ってようやく一枚をものにしました。
※ 苦労して撮った「真駒内川」の流入口です。
今回の目標だった「五輪大橋」が遠く視界に入ってきました。ここで私は思わぬ困難な状況に遭遇してしまいました。
というのは、「五輪大橋」が目の前に迫った時点で、左岸側から川が流入しているのに遭遇したのです。調査不足というか、私が使用したマップに表れていなかった「北の沢川」が流入しているのでした。
※ 手前から豊平川に流れ込む「北の沢川」です。
辺りを見渡しても「北の沢川」を渡る橋などは見当たりません。また川の向こうには雪捨て場があり、その雪山が川面ぎりぎりまで迫っています。
私は一瞬あきらめて国道に上ってしまおうか、と考えました。
しかし、その日のゴールはしっかり決めたいとの思いが勝りました。
私は「北の沢川」が細くなっているところを飛び越えようと思いました。しかし、雪で川岸などの状態がよく分からないために危険を感じ、意を決して川に入りジャブジャブと渡ることにしました。長靴が効力を発揮した場面でした。
※ この小川を川中の飛び石を使って飛び越えようと思いま
したが、川に入ってジャブジャブと渡りました。
その後も雪捨て場の雪山と川面の僅かな隙間を抜け、なんとか「五輪大橋」の橋脚に辿り着きました。その時、午後2時50分。今回のゴールとしました。
※ 川を渡ってまた一難。ご覧の雪の壁の裾を伝い向こうの
「五輪大橋」を目ざしました。
※ 苦労して辿り着いた「五輪大橋」です。
コースは札幌都心を抜け、これからは山間コースに入っていきます。どのような状況なのかまったく想像がつきませんが、無理せず、できるところまで遡ってみたいと思っています。(第三日目の様子はまた日を置いてレポートすることにします。)
《トレッキング実施日 ‘11/02/13》
環状北大橋 → 南大橋
大都会札幌の東西を繋ぐ橋が次から次へと現れます。私は豊平川ウォッチングも忘れて、次々と現れる橋を橋脚部分から見上げるばかりでした。(今回は橋の写真のオンパレードとなりました。)
「環状北大橋」から15分後の10時05分、橋の上部にアーチを施したつり橋(?)の「北十三条大橋」に到達しました。
続いてやはり15分後に「上白石橋」に、それと並行するように「JRの鉄道橋」が現れました。
「上白石橋」の写真でも分かりますが、川幅がかなり狭まってきました。ここで対岸に私のようにスノーシューを付けて河畔を歩いている人を発見!しました。
※ 「北十三条大橋」です。一見すると水道橋のようですが、
車も渡っていたと記憶しています。
※ JRの鉄橋と並行するように架かっている「上白石橋」です。
※ JR函館本線が渡る鉄橋です。電車を撮るためしばらく待ちました。
※ 対岸に同好の士が!!ちょっと嬉しくなりました。
ちょっと橋から離れて、河畔ウォッチングを…。
河畔の灌木の中に著しい鳥たちの足跡を見つけました。きっと集団で営巣しているようです。近くには木の枝に営巣したと思われる痕跡のようなものを見ることができました。
※ 写真では分かりづらいのですが、無数の鳥たちの足跡がありました。
※ 河岸の潅木には鳥たちの巣(?)の跡が…
「鉄道橋」から20分後、「平和大橋」の登場です。ここから次の「東橋」にかけては河岸工事の真っ最中で河原は除雪され重機が入っています。私はスノーシューを脱ぎ、脇に抱えてのトレッキング(ウォーキング?)となりました。
「平和大橋」から「東橋」までは10分。もうほんとうに次から次といった感じです。
ここからは再びスノーシューを付けてのトレッキングとなりました。
※ 「平和大橋」です。ここから河岸工事が行われていました。
※ ご覧のとおり土がむき出しです。これではスノーシューは付けれません。
※ 「東橋」は工事用の重機と共に
そこから10分後には「水穂大橋」が、そして15分後に「一条大橋」、さらに20分後には「豊平橋」といった具合です。
その間、「一条大橋」と「豊平橋」の間にはNTTのケーブル回線を渡す「でんでん大橋」と、水道管を渡す「水道橋」も豊平川を跨いでいました。
※ 「瑞穂大橋」もきれいなアーチ橋でした。
※ 「東橋」はつい先年建て替えられた橋だったと思います。
※ 電話ケーブルがいっぱい詰まった(?)「でんでん大橋」です。
※ こちらは上水道?あるいは下水道?ともかく水道橋です。
「豊平橋」は写真でもお分かりのように橋を潜る人のため(?)に橋名が明記されています。これだけ橋が多いと、どれがどれだか混乱してくるのでこうして表記してくれることはありがたいことです。(全てがそうなってくれているといいんですがね)
そして「豊平橋」は千歳や苫小牧に通ずる交通量の多い国道36号線の橋ですから、下から見た橋の姿も堂々としていました。
この辺りになると、河原は整備されていて夏には多くの市民で賑わうところです。冬の期間も犬の散歩のために踏み固められた散歩道がついています。そしてその傍には野生生物ならぬ犬たちのマーキングが黄色く点々と残っていました。
※ この辺りでは野生生物ではなく、飼い犬たちのマーキングがあちこちに…。
「豊平橋」から10分後に「南七条大橋」、さらに10分後に「南大橋」に到達しました。
ここで時刻はちょうど12時を指していたため、橋脚の下で昼食ということにしました。
この頃になると空は曇り、冷たい風が吹き始めました。持参した温かいコーヒーが体を暖めてくれました。
※ 交通量の一段と多い「豊平橋」です。
※ 「南七条大橋」です。
※ この「南大橋」の橋脚のところで昼食としました。
ふ~う。こんなに一度の投稿で写真をたくさん掲載したのは初めてです。見ていただいた方も橋の写真ばかりでいささか食傷気味かと思いますが、ご容赦ください。
《トレッキング実施日 ’11/02/13》
(№6へ続く)
道なきところに踏み出せるスノーシューで何かをしてみたい。さりとて不案内な山野は危険が伴う。そう考えたときに、「そうだ河原を歩こう!」というアイデアが閃いた。冬だからこそ近づける河原を辿りながら、川を遡ろう!私の小さな冒険は豊平川の上流を目ざした。どこまで行けるのか、事前踏査をまったくしていないのだから皆目見当が付かない。何日かに分けて無理なく行けるところまではと思っているが…。
豊水大橋 → 環状北大橋
「豊水大橋」からスノーシュートレッキングを再開した。豊水大橋から上流では川の中も、河畔の様子もこれまでとは徐々にその様相が変わり出したことに気付いた。
第1日目から1週間が経った2月12日(日)、体に負ったダメージもほぼ回復した私は「冬の豊平川河畔を遡る」第2日目を行うことにしました。
ということでシリーズ第2弾を書き綴ることにします。
朝7時半すぎ、自宅を出て地下鉄、バス、徒歩を使い、「豊水大橋」の袂に着きました。
スノーシューを装着し、スタート準備を完了して時計を見たところちょうど午前9時でした。天候は予報と違い晴れ上がっています。
※ 第2日目のスタート地点となった「豊水大橋」です。
スタートして間もなく、マップでは気付かなかった川の流入口が見えます。帰宅してから調べたところ「逆川」という川が流入していました。
河畔の雪上は野生生物が駆け回った跡だけが残っています。そこに私のスノーシューの跡を並行して付けてみました。
※ 左が野生生物(うさぎ?)の足跡、右が私のスノーシューの跡です。
※ 写真上部が「逆川」の流入口です。
しばらく行くと(豊水大橋から1Km程度)川の中に中州が見えてきました。この後、中州が頻繁に顔を出してきました。
どうやら豊平川はこの辺りまで土砂を運んできたものの、流れが緩やかになったために土砂を置いていかねばならなかったようです。
※ 下流から遡ってきて初めて現れた豊平川の中洲です。
さらに進むと、それまで河原に繁っていた灌木が突然なくなり視界が広がりました。「河原もいろいろな表情を見せるなぁ」と思っていたところ、さらに進むとそれは人的に刈り取られた跡だということが分かりました。
刈り取った灌木がうず高く積まれ、傍には「石狩川改修工事 域内伐開工事」という工事標識が立てられてありました。
河畔で憩う市民のためにはこうした工事も必要なのだと思いますが、河原の灌木の中で営巣していた野鳥たちにとってはまた一つ住処が失われたことになる…。
※ 突然一面に木が一本もない川原が出現しました。
※ しばらく行くと、刈り取られた潅木が積み上げられていました。
※ 傍に立てられていた小路標識を見て納得しました。
※ こちらはこれから伐採される(?)潅木の林です。
私の地図上の目測で「豊水大橋」からおよそ1.7Kmで「環状北大橋」に到達しました。到達時間は9時50分。写真を撮ったり、寄り道をしたりと直線的に歩きっぱなしで歩き続けるということではありませんが、やはり雪道では時速2Km程度が精一杯ということかもしれません。
※ スタートしてから約50分で「環状北大橋」に到達しました。
「環状北大橋」は私が札幌に住む前に北見から札幌へ入る時、そして今は江別の友人のところへ行く時に、いつも利用する橋ですがこうして下から見上げるのはなんだか不思議な気分です。
この日のコースは大都会札幌を南北に貫く豊平川が都心を縦断するコースで、次から次と橋が現れ、まるで橋を紹介するレポートになってしまいそうです。何せ15~20分に一度くらい橋が現れるのですから、写真を撮ったり、時間をメモしたりと、変化に富んだスノーシュートレッキングとなりました。
《トレッキング実施日 ’11/02/13》
(続きは№5で)
「“浮世絵”は江戸時代においては大衆文化の一つであり、現代で言えば漫画やグラビア雑誌の類である」と講師の新明英仁氏(北海道文学館学芸主幹)は冒頭話された。

※ スライドを前に講演する新明英仁氏です。絵は葛飾北斎
の「富嶽三十六景」です。
浮世絵には、美人絵・役者絵・武者絵・風景画・春画(一枚だけ無難なものが映し出された)などがあるということで、それぞれ代表的なものを映し出し紹介してくれた。
その中でも、絵だけではなく文字(文)が周りに配された浮世絵がけっこう作成されていたとのことだ。このことは江戸時代の庶民の識字率が7割を超えていたことの一つの証拠であると新明氏は指摘した。
このようなエピソードなどを、色鮮やかな浮世絵を前にして解説を聴くのは楽しくもあり、心豊かな気持ちにもなった。
講座の中で伺った興味深い話を2~3紹介すると…。
◇浮世絵の値段は、当時16~32文くらいだったとか…。1文が現在価値では10円くらいということだから、160~320円くらいと安いもの(?)だったのだ。まさに大衆文化である。
◇浮世絵は最初の頃は数十枚程度を摺っていたらしいが、広重クラスになると数千枚単位で摺られていたとのことである。
◇浮世絵の絵の具の材料は当初は植物性のものであったが、後年はヨーロッパなどから鉱物性のものが輸入され、色の保存も良くなってきたそうだ。
等々、いろいろと興味深い話を聴くことができた。

※ スライドに映し出された喜多川歌麿の「美人絵」です。
「浮世絵」から離れてUHB大学のことについて若干触れてみる。
UHB大学において実に多くのシニアの方々が学んでいることに気付かされた。
あの道新ホールがほぼ一杯になるくらいの人数である。学費を納入しながらの学びである。“学ぶ”ことに前向きな同世代が多いことに刺激を受けた。
もっともここ1~2年、各種の講座、フォーラム、シンポジウムなどに同行している友人とは「私たちは組織だったカリキュラムではないけれど、内容的にはUHB大学に負けないほど内容の濃い学びをしているよね」と確認し合うことを忘れなかった。
二つのまつりを同時に見るのは4年ぶりのことですが、どちらのまつりも相変わらずたいへんな数の観光客の賑わいがあり、大成功だったようだ。しかし、まつりを見慣れてきた私にはまつりに対する不安な面も見えてきた…。
小樽 雪あかりの路
小樽「雪あかりの路」は2月4日~13日の日程で開催されたが、私は7日目にあたる2月10日に訪れた。
「かなりがっかりした」というのが正直な感想である。
数日来の暖気によって雪の設営物がかなり傷んでしまっていた。そしてその修復も十分ではなかった。
また、午後5時にまつり開始の合図の花火が打ち上げられて、その20分後くらいに訪れたのだが、灯りが入っていたのは半数程度であった。

※ 「雪あかりの路」を象徴する一つ小樽運河上に浮かぶ
灯りの入った浮き玉です。
そうした事態になる原因を考えてみた。
それはこのまつりのコンセプトでもある市民の手づくりやボランティア、あるいは職域・団体などにその制作や灯り入れなどを頼り切っているからではないだろうか。
当日は平日だった。勤めを持っている人は時間内に駆けつけることは難しいだろう。また、修復にかける時間も意欲も専門的なスタッフではないゆえ保ち続けることはなかなか難しい。

※ 典型的な「雪あかりの路」の灯りです。
まつりのコンセプトである市民の手づくりやボランティアを主とすることは続けるとしても、多くの観光客が駆けつける一大行事となった今、その中のいくつかはしっかりした造りのものを見せるという配慮が必要ではないのかと思った。
土産物街や飲食店街は大盛況のようであったが、まつりで潤っている人たちがもう少しなんとかしなくてはいけないのではないか、と思ったのだが…。
「雪あかりの路」を見た人が私と同じような感想を抱かなかったことを祈りたい。

※ こちらは主催者が製作したものか?ガラス玉の中で灯りが灯っています。
さっぽろ雪まつり
「さっぽろ雪まつり」は2月7日~13日の日程で開催された。私は12日に他の要件で出かけた際に会場を縦断してみた。
半世紀を超える開催実績を誇る「さっぽろ雪まつり」はそれなりに安定したまつり運営を感ずる。
その中で私が注目したのは「市民雪像」である。

※ 以下の二つの写真は国際雪像コンクールの作品です。
「市民雪像」の写真は残念ながらありません。
市民が雪まつり主体的に参加できる企画として「市民雪像」の部が設けられているのは大賛成である。しかし、その出来栄えが…。
私にはその雪像のほとんどの出来栄えが稚拙に映ってしかたがなかった。
いくら素人の作品とはいえ、多くの市民や観光客の目に触れるのである。レベルアップした作品にもお目にかかりたいと思ったのだが…。
「国際雪像コンクール」の見事な出来栄えと比べるとその落差が大き過ぎるのだ。
まあ、彼らと比較すること自体が無理難題であるのかもしれないが…。
まつり当局もいろいろと工夫もされていると思うのだが、「市民雪像」のレベルアップの対策をぜひ立てていただきたいと思う。

次に食べ物、土産物店のブースの多さである。
特に派手派手に装飾を施した各種の食を提供するブースの派手さ加減はもはや限度を超えていないだろうか?
日本的なまつりの情景といえば言えなくもないが、もう少しスマートにはできないものか?

※ 派手に飾られた食べ物店のブースの一つです。
以上、二つのまつりに私なりの苦言を呈してみたのだが、事情を知らない者が的外れのことを言っているのかもしれない。
しかし、そう感じた者がいたことも事実である。
修正すべき点は修正して、二つのまつりがこれからも多くの人々に受け容れられ市民や観光客にとって楽しいまつりとして継続されることを願いたい。
物理の話は難しい。
聴いている私が十分理解できないものだから、そのことを伝えるのはなおさら難しい話になる。

※ 講座の会場となった北大総合博物館です。鈴木名誉教授
のノーベル賞受賞を讃える横断幕が掲げられていました。
「冬の豊平川を遡る」シリーズのためにレポートする時期が遅れたが、2月5日(土)午後、北大総合博物館で開催された表記講座を受講した。
講師は北大低温科学研究所々長の古川義純教授だった。
古川氏は「雪は天から送られた手紙である」という言葉でも有名な雪の博士・故中谷宇吉郎博士の弟子を自認する方であるが、現在の専門は「氷の結晶」を研究されているそうである。
講座はまず、さまざまな形の「雪の結晶」を提示され、結晶の形の違いは生成過程における温度と湿度に違いによると説明された。
また、故中谷博士が人工的に雪の結晶を生成した実験装置について説明を受けたが、装置そのものは割り合い簡単で、低温下の筒内においてニクロム線で蒸気を発生させ、そこに「うさぎの毛」を下げておくことで、それが結晶の核となって雪の結晶が生成するとのことだった。

※ 故中谷博士が考案した雪の結晶生成装置です。
次に古川氏の専門の「氷の結晶」についてですが、氷も雪も似たような六角形の樹脂状の結晶を生成するとのことだが、地上では重力などの影響があって理想的な結晶が出来づらいそうだ。
そこで古川氏たちはスペースシャトル内の無重力の状態の中で氷の結晶を生成する実験に取り組み、見事きれいな六角形の結晶を生成することに成功したという。その生成過程の動画を見せていただくことができた。

※ 講義をする古川教授と前にあるのは雪や氷の分子模型です。
理想的な氷の結晶を無重力下で生成できたことは、科学者にとっては相当に意味のあることであるらしい。というのも、こうした基礎実験が結晶構造をもつすべての物質に応用できる可能性があるかららしい。

※ 総合博物館内にある故中谷博士の研究室を再現した
部屋です。(普段は公開していません)
素人向けに噛み砕いて優しく説明してくれた古川氏の努力もあり(古川氏は相当苦労されているように見えた)、ようやく以上のことが理解できた。
う~ん。物理の話は難しい。

※ 博物館では鈴木名誉教授が受賞したノーベル賞
メダル(レプリカ)が展示されていました。
ロング・スノーシュー・トレッキング
「冬の豊平川を遡る」の第二日目を本日実施しました。
今回は予定通り直線距離にして約13K、実歩数28,000歩、換算すると約16.5Kでした。
今回は前回のように疲労困憊となることもなく、元気に帰宅しました。
その様子はまた近日中にレポートします。
雁来雪堆積場 → 豊水大橋
豊平川が石狩川に流入している地点からスタートしておよそ6km地点にある「雁来大橋」が私の最初の目的地だった。しかし、そこまでが遠かった…。
スノーシューを脱ぎ歩いて雪捨て場を通過し、作業員の休憩所でその先の川原のことを尋ねながら、「雁来大橋は近いですか?」と聞くと「まだもう少し先だ」との答えだった。
その時、一緒にいた女性が「頑張ってください!」と励ましてくれたが、あるいは「物好きな人もいるんだなぁ」と思われたかもしれない。
※ こちらの雪捨て場の雪はずいぶん黒ずんだ色をしていた。
その後も雪捨て場が次々と現れ、雁来大橋まで計3ヶ所もの雪捨て場に遭遇した。
雪捨て場を避けるため、私は川面と雪捨て場の間の潅木の中を通ることになった。
潅木の中で人間が通れるところを探しながらのトレッキングはルート探しに気を取られて疲れを忘れることができた。しかし、左右に蛇行して進むために歩く距離は相当に増したようである。
潅木の中には来るべき春を待って小さな芽を付けている木々がたくさんあった。
※ こうした潅木の間をぬいながらスノーシュートレッキングは続いた。
「雁来大橋に着いてから昼食を」と考えていたが、時計の針は13時を指している。
疲れと空腹からたまらず潅木の中で腰掛けられそうな木を探して昼食を摂ることにした。
昼食といってもおにぎりは食べる気になれず、バナナ1本とミニドーナツ2個だけで済ませた。腰を下ろしたとき、あらためて自分が相当に疲れていることを感じた。
※ 植物の名に疎く何の芽か分からないが、春の訪れをじ
っと待っているようだった。
一休み後、重い腰を上げスノートレッキングを再開した。
気付くと豊平川は少しずつ川幅を狭めてきているようだ。それでもまだおよそ60mくらいはありそうだ。
川面に横たわるようにして立つ木が目立っている。左岸側が淵になっていて、川底が削られてしまいその結果、木が倒れたのではと考えられる。
またまた対岸に流入する川が見えた。どうやら「旧豊平川」らしい。
※「雁来大橋」の側に立つ清掃工場が視界に入ってきた!
※ 写真のように川面に近い潅木は横倒しになっているのが多かった。
※ 写真正面奥に見えるのが旧豊平川の流入口です。
遠くに「雁来大橋」の側に立つ「白石清掃工場」の高い煙突が見えてきた。
車や自転車で近づくのとは違い、目標物が見えてからもそこに到達するまでにはかなりの時間を要する。疲れた体にはそれが辛い。
「雁来大橋」に到達したのは13時40分だった。直線距離にしておよそ6Km。その間に3時間を要したことになる。1時間に2Kmしか進んでいない。雪の中を歩くのだからしかたのないことか?
「雁来大橋」の橋脚の下で一休みした後、2Km先の「豊水大橋」を目ざして出発した。
※ 最初の目的地「雁来大橋」にようやく到達しました。
しかし、ここからの2Kmが私にとっては大変な2Kmだった。
すでに体力のピークは過ぎていて、10数歩歩いては一息、頑張って20数歩粘っては一息と、まるでかなりきつい山の頂を目前にしたような歩みが続いた。
河原に人口の造営物が見え始めた。ベンチにバスケットゴールやサッカーゴールが雪に埋まりながら顔を出している。周辺住民を対象とした運動公園のようである。
※ サッカーゴールの頭の部分だけが雪の上に顔を出しています。
遠くに目標としていた第二の橋「豊水大橋」が見えてきた。
見えてきてからが遠かった…。すっかりスピードの落ちた足には行けども行けども橋が近づかない感じだった。
そして何とか札樽道に架かる大きな橋「豊水大橋」に到達したのは14時50分だった。
スタート時の目標はもっと札幌市内に近づいたところだったけど、体力的にも時間的にも第一日目のゴールは「ここにしょう」と決心し、スノーシューを脱いだのだった。
※ 目標の手前でしたが、 今回のゴールにした「豊水大橋」です。
体のダメージを回復して、近いうちに二日目のスノーシュートレッキングをを第一日目のゴール「豊水大橋」から始めることにしよう。
《トレッキング実施日 ’11/02/06》
(今日現在第二日目は実施しておりません。したがって№4からのレポートは日を改めて投稿することにします)
豊平川河口 → 雁来雪堆積場
本格的なスノーシュートレッキングが始まった。白い雪原を、潅木の林の中を私は黙々と歩を進めた。単調な景色の中、私の体力は徐々に奪われていった…。
さあ、いよいよ豊平川を遡る冬のスノーシュートレッキングの開始である。
川幅は石狩川から比べるとずいぶん細く感じられるが、それでも目測で7~80mくらいはあり、川幅一杯に水か豊かに流れている。
石狩川との合流点近くの左岸は淵のところが多く、私は雪原に追いやられた。
雪原に私のスノーシューの跡が続いている。
雪原に生えている小さな木の下のところどころに黄色い染みのようなものが見える。おそらくキタキツネやその他の小動物がマーキングしたものだろう。
単調の景色の中に工場のようなものが見えてきた。
手元にマップがないので確認しようがなかったが、帰宅して確認するとそれはリサイクル団地の工場のようだった。
またしばらく行くと、橋が見えてきた。そんなに早く橋は現れないはずと思っていたが、それはどうやら本格的な橋ではなく、水道橋のようだった。近くに寄ってみると、「水利用標識 工業用水道」と記されていた。どうやら川の水を工業用水に利用する施設のようだ。
豊平川河口から2kmくらい進んだところで対岸に川が流入しているのが見えた。 「厚別川」との合流地点である。厚別川からも豊かな水が流入していた。
この辺りまでは川の堤防と水面の間が広く広がっている。そこへ爆音を響かせた3台のスノーモービルが疾走してきたが、カメラを向ける間もなく走り去ってしまった。
河口をスタートして4Kmくらい行ったところだろうか。前方に大きな雪山が見えてきた。山の上にトラックやブルドーザーが見える。札幌市の雪捨て場である。
私は行き捨て場と豊平川の間にできた狭い隙間を進もうとした。
かなり進んだところで、雪山で作業をしていたブルドーザーの運転手が運転席から腕で×印を作っている。側へ寄ったところ「周辺は立ち入り禁止区域になっているので立ち入らないように」と注意を受けた。
私が「川原を辿って上流を目ざしているんです」と言ったところ、「それならスノーシューを脱いで、雪捨て場の上部を歩いて行ってください」と親切に言ってくれた。
言われたとおりにスノーシューを脱いで、雪山に上がりテクテクと歩いて雪捨て場を通過することにした。
スノーシューを脱いで歩き始めたとき、「なんて軽くて、歩きやすいんだ!」と思った。
それは私がスノーシュートレッキングにかなり疲労してきた証拠だったのかもしれない…。
その時すでに「あいの里公園駅」から歩き始めて3時間30分が経過していた。
《トレッキング実施日 ’11/02/06》 (以後は№3に続く)
道なきところに踏み出せるスノーシューで何かをしてみたい。さりとて不案内な山野は危険が伴う。そう考えたときに、「そうだ河原を歩こう!」というアイデアが閃いた。冬だからこそ近づける河原を辿りながら、川を遡ろう!私の小さな冒険は豊平川の上流を目ざした。どこまで行けるのか、事前踏査をまったくしていないのだから皆目見当が付かない。何日かに分けて無理なく行けるところまではと思っているが…。
あいの里公園駅 → 豊平川河口
「豊平川を遡ろう!」そう考えた私は早速実行に移した。しかし、そのスタート地点に立つまでにすでにかなりのエネルギーを費やせねばならなかった…。
川を遡るということなら道に迷うことはないだろう!
「そうだ!豊平川を石狩川との合流点から上流に向かって遡ろう!」そう思い立った私は塾考することもなく、直ちに実行に移すことにした。
2月6日(日)朝、前夜遅くに思い立ったこともあり、起床してから急いでスノーシューなど必要な用具を準備し、弁当を頼むこともできなかったのでコンビニでおにぎりとバナナを買い求め、朝8時32分、桑園駅発のJR学園都市線に飛び乗った。列車に乗って装備を確認するうちに肝心のマップを入れたケースを忘れてきたことに気付いたが後の祭りだ。マップなしで決行ということになってしまった。
そして、ちょうど9時00分「あいの里公園駅」に降り立った。
※ 私が降り立った「あいの里公園駅」です。
豊平川と石狩川の合流点は駅から少し距離がある。近くまで行くバスもあるのだが、あいにく10時発と1時間も待たねばならない。自分の足で歩くしかないだろう。
先ずは線路に沿って石狩川河畔に出ることにした。7~800mくらい歩いたところで道がなくなったのでスノーシューを付け、線路を横断し、石狩川河畔に出た。
川沿いぎりぎりまで接近するが、川は全面結氷していて川と陸の境目が分からない。
おおよその境目を上流に向かって歩きはじめた。
※ ただ一人の雪中行軍(?)スノーシューの跡だけが残って
いきます。後方に見えるのはJRの「石狩川橋梁」です。
ところで私は今回、豊平川全体を見渡して左岸(下流からから上流に向かって右側)を歩くことにした。というのは左岸の方が豊平川に流入する川が少なかったからだ。
時折灌木が川面ぎりぎりまでせり出していて、そこを避けながら歩く。
途中、キタキツネと出会った。私の方をじっと見ている。これはシャッターチャンスとストックを雪面に突き立てたところ、キツネには刺激だったらしく逃げられてしまった。以来キタキツネはおろか何一つ生き物に出会うことがなかった。
天候は晴れ。周りには動物はおろか、人っ子一人見当たらない。
私は誰の足跡もない雪面にザックザックとスノーシューの跡を残しながら前進する。
聞こえるのは通り過ぎる風の音と、スノーシューが雪を噛む音だけだ。
日当たりの良いところとそうでないところでは雪質が違い、表面が固まっていないところでは雪にぬかるんで歩きにくい。
そうしているうちに水面が少しずつ顔を出し始めた。
※ 石狩川が全面結氷した様子の写真が残っていない。
これは豊平川から流入した流れによって水面を見せ始め
た石狩川の様子です。
川の対岸には工場のような煙突が見える。(帰ってから確認すると江別市の環境クリーンセンター?)
歩き続けること約1時間40分、ようやく石狩川と豊平川の合流点に着いた。
ここまで地図上では「あいの里駅」から4Km弱、う~ん手強いぞ。
そこで面白い現象に気付いた。石狩川の方は全面が凍っているのに、豊平川の方は全て水面が顔を出している。
これはどういう理由だろうか?
水温か?水量か?水勢か? はて何だろう?
※ あまりに広くて合流点とは見えませんが、向こう側に白く見
えるのが石狩川、手前に豊かな流れを見せるのが豊平川です。
《トレッキング実施日 ’11/02/06》
(続きは№2で)
昨夜(2月8日)、道新試写会「太平洋の奇跡 ~フォックスと呼ばれた男~」を観た。太平洋戦争末期、サイパン島においてアメリカ軍から“フォックス”と呼ばれ畏れられていた大場 栄大尉を描いた映画である。
※ 映画のパンフレットから
真実の物語であるという。
1944年夏、サイパンの日本軍はアメリカ軍の圧倒的な戦力の前に玉砕してしまう。
しかし、物語はここから始まる。
わずかに残った兵力で民間人を助けながら、512日もの間、圧倒的戦力を誇るアメリカ軍を相手に、敵を翻弄し知略を尽くして戦い続けた日本兵士のリーダー大場 栄大尉の物語である。
極限の中で、長きにわたり残存兵力をまとめて戦い続けることができたのは、リーダー大場の類稀なる統率力と人間性の賜物だろう。
映画は主演の竹野内 豊がけっして過剰にならず、むしろ抑え気味の演技が画面をグッと引き締め上質の映画に仕上がっているといえるだろう。
しかし、私の中に若干の不満が残ったのも事実である。
それはサイパンと同じような状況を描いた「硫黄島からの手紙」(クリント・イーストウッド監督、渡辺謙主演)と対比しながら観たためだろう。
「硫黄島からの手紙」は渡辺謙演ずる栗林中将の人間性を深く掘り下げた演出が深く印象に刻まれていたのだが、対して今回の映画ではそのあたりはどうだったろうか?
特に感じられたのが、アメリカ軍から「フォックス(狐のように賢い男)」と称され畏れられた大場大尉がどれだけの知略を尽くし、アメリカ軍を翻弄したのか、そこの描き方に若干の不満が残った。512日もの間わずかな兵力で戦い続けたのだ。もっともっとエピソードがあったはずだ。そのところを深く掘り下げてからはじめて「フォックス」という言葉を登場させてほしかったと素人の私は思うのだ。
※ 同じく映画のパンフの裏側です。
別なところで感心したことがあった。
会場の後ろのほうから声がしたな、と思わず振り返ろうとしたがそれはスクリーン上の声だった。また、あたかも頭上を飛ぶかのようにB29の爆音が私の耳に届いた。
素晴らしい音響効果である。
映画「太平洋の奇跡」…、上質の映画である。
観る者それぞれによって感想はさまざまだろうが、一見に値する映画であることは間違いない。
ロードショーは2月11日から各所で公開される。