いつまでも旅の余韻に浸ってもいられない。このあたりで最終回にしようと思う。今回の旅の特徴は何といっても車を駆って出かけたことである。こうした長旅に車を使ったのは初めての経験だったし、車中泊もこれほどたくさんしたことはなかった。そんな旅を振り返ってみたい。
※ 函館⇔青森間を結ぶ青函フェリー「はやぶさ」です。
今回の9日間の旅で私が走った距離の合計は1,257Kmと出た。この数字はプロの長距離ドライバーの方たちにとってはどうということのない数字かもしれないが、私のように普段あまり運転をしない者にとっては大変な数字である。よくも走ったものというのが偽らざる思いである。
※ そのフェリーに車が積まれたところです。
今回の旅を計画するにあたって効率的に旅するには?と考えた時、白神山地の地形的特徴が課題となった。というのも、白神山地の見どころはこれまでも触れてきたように大きく日本海側(深浦町)と西目屋村側に分かれている。その間を繋ぐのは「白神ライン」という細く曲がりくねったジャリ道しか存在しない。その間に公共交通は走っていない。そのことだけでなく、白神岳の登山口に向かったり、ブナ林を観察するために津軽峠を目ざしたりするには、自家用車を使うしかない、と判断した。
※ 車中泊で2泊した「道の駅津軽白神ビーチにしめや」の駐車場です。
結果としては正解だったと振り返っている。大まかな計画は立てたものの、現地に入って交通事情が分かり、細かな修正をしなくてはならなかったこと。例えば白神ラインについては地元の人に尋ねると、「とても通行することはお勧めできない」と言われ、岩木山を巻いて遠回りして安全優先で弘前市を目ざした。また、旅程に多少の余裕が生まれたことから当初予定になかった「奥入瀬渓流」を目ざすことができたことなど、車旅だったからこそ可能だった。
もちろん運転には慎重の上にも、慎重を期した。事故など起こしては元も子もない。北海道と比べ細い道が多かったことも慎重に運転するうえでは幸いしたかもしれない。おかげさまで“ヒャッとした”ということも一度もなく1,257Kmを走り終えることができた。しかし、免許証の返上も視野に入ってきた年代としては最初で最後の車旅となるであろう。
※ 日本海側の深浦町の海岸で出会った「千畳敷」です。
車旅をすることに伴って浮上したのが車中泊である。これまでも山旅や歩き旅の際に車中泊を利用してきた。理由はもちろん旅のコスト削減である。快適なホテルに宿泊することが旅の目的であるなら車中泊はそぐわないが、私の旅はあくまで山に登ったり、トレッキングしたりすることが第一の目的である。だとしたら、宿泊に対する快適さを犠牲にすることに躊躇はしない。
私の車の場合は、車中泊仕様にはなっていないので必ずしも快適とは言い難い。後部座席を折りたたんだだけなので、フラットになる部分が少ないが、全身を伸ばすことができ睡眠をとるのに不自由はしない。それでも車中泊だけだと疲れが溜まるのではと考え、間にホテル泊を挟みながら旅を続けた。
※ 西目屋村のビジターセンター近くの岩穴に造られた名所「岩戸観音」です。
最近は車中泊が可能な道の駅や駐車場も快適性を追求しているようだ。車中泊に必要不可欠なのが水道の設備とトイレである。今回私が利用したところはいずれもトイレはシャワー式トイレが完備していた。
※ 「ブナ巨木「ふれあいの径」の途中、朴ノ木の葉で埋め尽くされた散策道です。
車中泊はまた臨機応変に対処できる点が有利な点である。当初計画では道の駅を中心に計画を立てていた。しかし、日本海側は道の駅が少なく目的地からかなり離れたところにしかなかった。現地へ行ってみて、ちょっと休んだ「十二湖海浜公園」の駐車場に多くの車が車中泊していることが分かった。この駐車場からは「十二湖」も「白神岳」も近い。私は計画を変更してこの「十二湖海浜公園駐車場」に二泊もした。また、「道の駅なみおかアップルヒル」も予定外だった。この道の駅もたまたま寄ったところ利便性に富んでいると判断して車中泊の地に選んだところだった。
※ 「白神ライン」のジャリ道の一部です。
旅を終えた時、こうした旅のお師匠さんである函館市在住のS氏より次のようなコメントをいただいた。「臨機応変ながらも、計画通りに行動できたのは、マイカー利用と車中泊の強みだと思います。」まさにその通りである。車旅だからこそ、車中泊だったからこそ、臨機応変に対処することができた旅だった。
※ 青森市「ねぶたの家 ワ・ラッセ」内に展示されていた実物の青森ねぶたです。
初めて尽くしの旅だったが、白神山地の魅力と車旅の楽しさを満喫することができた 今回の「白神山地の秋を味わい尽くす旅」だった。長々綴ってきた旅シリーズも今回でお終いとします。
※ 青森港に係留されいる「メモリアルシップ八甲田丸」です。
※ なお、車旅や車中泊に関する写真は撮っていなかった。そこで今回の旅で撮り貯めた中から、これまで未公開の写真をカット代わりに掲載することにします。