田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

講座「さっぽろの古を訪ねて」第三弾 本日発進!

2021-04-20 18:32:01 | 「めだかの学校」関連

 「めだかの学校」が主催する講座「さっぽろの古を訪ねて」の第三弾「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」が本日、30名の受講者の期待を感じながら本日午後、無事に発進することができた。

   

 拙ブログにおいてこれまで何度か触れてきた、私が所属する「めだかの学校」が主催する講座「さっぽろの古を訪ねて」第三弾が本日無事に発進することができた。

 北海道、特に札幌は最近になって再び新型コロナウィルスの感染拡大の傾向が顕著になりつつある中、講座を開催することに躊躇するものがあったが、本日段階では道民カレッジの「かでる講座」が開催されるとあって、できるかぎりの感染対策を講じたうえで私たちも開催することを判断した。

 本日の講座は、講座全体を概観することと、屯田兵が果たした役割について理解していただくことを目的とした。

 まず、私が「講座全体を概観する」と題して講座のガイダンス的なお話をし、受講者に講座の全体をイメージしてもらうことをねらった。パワーポイント18枚を用意し、分かりやすく説明したつもりであるが、はたしてその思いが伝わったか、どうか? 

 続いて、琴似屯田子孫会事務局長の永峰貴様をお招きして「屯田兵が北海道開拓に果たした役割」について講演いただいた。永峰様は琴似に入植した屯田兵の三代目だそうで、祖父が割り当てられた屯田兵屋の場所に現在もお住まいになっているそうだ(もちろん住宅は建て替えて)。 永峰氏は永峰氏は小学校の校長を務められた方であるが、在職中も退職してからも地元の学校へ出向き、子どもたちに屯田兵について語り継いでいるほか、地域のコミュニティFM局においてもパーソナリティーとして屯田兵について語り継いでいる方である。このように精力的に活動されている方なので、お話に具体性があったため聴いている人たちは魅了されたようだ。

   

   ※ 講演される琴似屯田兵子孫会事務局長の永峰貴氏です。

 講座では毎回受講者にアンケート調査を実施している。本日のアンケート結果を見ると、大半の受講者たちからは満足度が高いという評価をいただいた。その評価には今後の講座に対する期待も含まれていると思われるが、これからも受講者の期待を裏切ることなく、できるかぎりの運営を行っていきたいと思っている。

 それにしても頭が痛い懸念材料はコロナウィルスである。次回以降は青空(野外)講座となるので、室内に比べると少しは不安材料の軽減には繋がるのだが…。なんとか実施できることを願ってコロナの推移を見守りたい。

                                         


盤渓市民の森の春 Ⅱ

2021-04-19 16:11:24 | 環境 & 自然 & 観察会

 前回訪れた時から10日が経ち、「盤渓市民の森」の様子はどのように変わったろうか?と思い、今回も2時間ほど「盤渓市民の森」を彷徨った。やはり春の足音は速い。前回とはずいぶん様相が違っていた。

   

   ※ 10日前には入口の柵のところから雪がかなり残っていたのですが、すっかり消えていました。

 札幌で三日間も雨が降り続いたことなんてかなり珍しいことだ。今朝も起きた時には雨がしとしと降っていた。しかし、10時過ぎになると雨は上がり、青空が見えてきた。その時間からのアウトドアとなると選択肢が狭くなる。私が個人的に “ホームグラウンド” と称している「盤渓市民の森」に出かけることにした。

 森は10日前とはずいぶん様相が違っていた。

 まず、10日前には「盤渓市民の森」の入口には雪が積もっていたが跡形もなく消えていた。また散策路のほとんども土の散策路が顔を出していた。ただし、市民の森の最奥部(市民の森で最も標高の高いところ)はまだ融け残った雪が散策路を覆っているところもあった。

 また10日前には見ることのできなかったエゾエンゴサクやエンレイソウ、そしてフッキソウの花たちを見ることができた。さらに名前は分からないが蝶も一匹(頭)日向で見ることができた。

 私が「盤渓市民の森」で期待するサンカヨウやシラネアオイは昨年見たあたりを目を皿のようにして凝視したが、その痕跡すらも見ることは出来なかった。(もっとも昨年目撃したのは5月19日だから、まだ1カ月も先のことなのだ)

 それでは本日の成果を羅列することにします。

◇散策路の様子

   

   ※ 散策路はほとんど雪がなく乾いていましたが、時折りこうしてぬかるんでいるところもありました。

   

   ※ 谷川を渡り、階段を上り、市民の森の最奥部へと向かいます。

   

   ※ ぼちぼちと散策路に融け残った雪が見え始めました。

   

   ※ 標高が上がるにつれ、まだまだ雪が残っていました。

   

   ※ ここが本当の最奥部、斜面を横切りながら進みます。

     こうしたところは全体としてはほんの一部で、大半は乾いた散策路でした。

◇生き物たちの様子

   

   ※  この蝶はけっこう有名な蝶だと思うのですが、私は分かりません。

    ※  蝶の名は「クジャクチョウ」だそうです。知人のフナさんから教えていただきました。

    

    ※ 雪上にはエゾシカと思われる足跡が残されていました。

   

    ぬかるんだ散策路の上にもエゾシカの足跡が…

◇今日見た植物たち

   

   ※ 本日の散策路で最も目立ったのが写真のフッキソウです。

   

    ※ フッキソウの大群落です。

   

   ※ 一部のフッキソウは花を付けていました。

   

   ※ 散策路で唯一見つけたエンレイソウです。

   

   ※ 散策路のあちこちで見られたエゾエンゴサクです。接写に失敗しました。                                     

   

   ※ ご存じ春の花フクジュソウです。下の写真は唯一見られたフクジュソウの群落です。

      

   

   ※ こちらも散策路で唯一目にしたエゾノユズリハです。(左はクマザサですよ)

   

   ※ クルマバソウの葉だと思われるのですが、新葉らしくないところが?です。

   

   ※ 一見タケノコ?と見えますが、これはオオウバユリの発芽だと思います。

   

   ※ 散策路でかなり目立ったこの植物が分かりません。花が咲けばあるいは?とも思うのですが…。どなたか教えてください。

◇本日の歩いた距離 7.0km  ◇歩いた歩数 9,868歩 ◇登った階段 54階

 


映画 ミリオンダラー・ベイビー №306

2021-04-18 18:48:57 | 映画観賞・感想

 難しい映画である。人生の幸福とは何か? 尊厳死とは何か? 哀しく辛い結末が待っていた映画「ミリオンダラー・ベイビー」は観る者に重い命題を突き付けてくるような考えさせられる映画だった…。

      

 私が定期購読している雑誌「文藝春秋」5月号で、「『コロナ自粛』を吹っ飛ばせ!」という特集記事が載っていた。その特集の一つに映画評論家の芝山幹郎氏「本気で笑える映画、泣ける映画」と題する記事を寄稿し、それぞれ5本ずつ、計10本を推薦している。

 その中の「泣ける映画」の一つとして「ミリオンダラー・ベイビー」が挙げられていた。そこで私は早速レンタルDVD店に出向いて借りてきて昨晩鑑賞したということである。

 映画は、おんぼろボクシングジムを経営しているトレーナーのフランキー・ダン(クリント・イーストウッド)と32歳の遅咲きの女性ボクサー、マギー・フィッツジェラルド(ヒラリー・スワンク)の二人が主人公の映画である。そこに元ボクサーでフランキーの友人でジムに住み込みで働くエディ・デュプリス(モーガン・フリーマン)がストーリー進行の上で重要に役割を果たしている。

    

 マギーは貧困で学歴もなく、最底辺の生活から逃れようとボクシングに希望を見いだし、遅咲きながらも懸命な努力と、フランキーの指導によってメキメキと実力を付け、ボクシング界のスターへとのし上がっていく。そのあたりまではまさにアメリカンドリームの映画だろうかと思わせる。そしてついにメインイベンターとして百万ドルを手にするかと思えた試合で、相手選手の汚い手によって倒された時の打ちどころが悪く再起不能の全身不随の身になり、人口呼吸器を付けてかろうじて生きている状態となってしまう。

 ストーリーの本筋はまさにここからだった。全身不随となったマギーは脚が壊死したことで切り落とされるなどして生きる望みを失っていく。そしてマギーはフランキーに懇願するのだった。「私を死なせてくれ!」と…。信心深いフランキーは神の教えと、マギーの苦しむ姿の中で葛藤するのだが…。

    

 とここまで書いて、敢えて結末は書かないことにする。クリント・イーストウッドが監督も務めたこの映画は、公開されるとアメリカの中で大きな論争にもなったという。私がフランキーだったら、どうするだろうか?と自らに問いかけた時、私には答えが見つからない。そんな重い重いテーマを突き付けられた思いだった。

 なお、題名の「ミリオンダラー・ベイビー」は、英語を母国語としない私たちにはそのニュアンスが伝わりづらいようにも思われるが、解説によると「百万ドルの娘・恋人」というような意味が込められているとあった。つまりフランキーとマギーは他人同士であるし、恋人同士というには年齢が離れすぎているが、フランキーにとっては娘同然であり、また密かに恋人のようにさえ思ってしまった大切な人だったという意味が込められた題名であると解釈した。


浮世絵の魅力を拝聴する

2021-04-17 20:10:55 | 講演・講義・フォーラム等

 浮世絵というと、どこか軽んじて見ていたところが私にはあった。しかし、本日お話を聴いて奥の深い絵画であることを実感した。版画、版本、肉筆画とそれぞれに独特の技法が駆使されていることを教えられた思いだった。

   

 北海道立近代美術館では本日より「日本浮世絵博物館所蔵 国貞・広重・国芳コレクション 絵師たちが見た江戸の楽しみ」という特別展が始まった。本日、そのオープニングを記念して、日本浮世絵博物館の五味あずさ学芸員による記念講演会が行われたので拝聴してきた。演題は「日本浮世絵博物館のコレクションについて」ということだったが、実際は特別展に展示されている浮世絵を題材として、浮世絵の特徴について解説するものだった。

 浮世絵は、版画、版本、肉筆画の三つの世界から成り立っているという基本的なお話から入った。私たちが良く知っている浮世絵のほとんどは “版画” であるが、“版本” とは木版を印刷して本のように綴じられたものを指すということ。また、版画は国貞や広重などの絵師の他に、彫師、摺師と分業制が確立していて、特に彫師は一つの絵に対して何十片もの木版を彫るという極めて精緻を要求される仕事だったこと。さらに摺師は “布目摺” といった特殊な技法で布の質感を表す摺り方をした作品もあるということなど、浮世絵の基本的なことについてのお話を伺った。

   

  ※ 講演会開始前にスライドに映し出されていた浮世絵です。誰の作かは分かりません。

 また、浮世絵の中には遊び心というか、絵に仕掛けが施されているものもあるという。例えば歌川国貞の「新信田妻四人奴ノ場」では、絵の中の一部をめくるとその後ろに違う絵が隠されているそうだ。(展覧会で確かめる術はない)

 さらには当時江戸ではリアルに出来た「生人形」の見世物が流行っていたらしいが、それを題材とした歌川国芳の作で「浅草奥山生人形」という作品など、生人形を題材にした浮世絵が流行った時期もあったそうだ。

 その他にもいろいろと浮世絵の特徴を伺ったのだが、私に咀嚼する力がないのでこの辺で止めておきたい。

   

   ※ 美術館ロビーに展示されていたポスター(?)これは広重の絵かな?

 私にとって、趣味などの世界で最も縁遠いのが美術の世界である。近代美術館から至近の距離に住居があるのに近代美術館は近くて遠い存在である。それではならじとは思うのだが…。そんな思いもあって講演会に足を運んだのだが…。

 私は今日のところは展覧会会場には入らなかった。近日中に近代美術館のの学芸員による「国貞・広重・国芳コレクション」見どころ解説というレクチャーがあるようなので、それを伺ってから本展会場に足を踏み入れようと思っている。

 


大通公園に春が来た!?

2021-04-16 18:32:12 | 環境 & 自然 & 観察会

 久しぶりに大通公園を歩くと、冬の垢をすっかり落とし、春の装いに変身していた。公園は清掃が施され、木々は芽吹き、中には早くも花を付けている木々もあった。そんな大通公園を点描してみた。

冬垢がすっかり落とされて

 現在の大通公園は、冬の降り積もった雪に交じっていた不純物も業者の手によってきれいに清掃され、すっきりとした表情になっていた。たくさんのベンチもカバーが外され、多くの人たちが座ってくれるのを待っているようだった。

 これから各種の行事が始まると、いろいろな建物も建てられるが、今はそれもなくすっきりとした大通公園の表情だった。

   

   ※ 西10丁目広場です。

   

   ※ 西9丁目から10丁目を望んだところです。

   

   ※ すっきりとしている路面を低い位置から撮ったものです。

   

   ※ 公園の花壇も植栽作業を待つだけです。

   

   ※ 夏には中心の円から水が溢れて涼を呼びます。

   

   ※ 8・9丁目にあるプレイスロープ(通称:くじら山)では早くも子どもが楽しんでいました。

   

   ※ 札幌の礎を築いたホーレス・ケプロン、黒田清隆像が札幌の発展を見守っています。

   

   ※ 公園の長いベンチも覆いが取られ、市民が憩うのを待っています。

   

こぶしの白い花が咲き、木々は芽吹いて

 大通公園はたくさんの木々に囲まれているが、今その木々たちが 一斉に葉を付け、花を付ける季節を待っている。この時期にいち早く花を付けていたのが、白い花を付けた北コブシ、そして黄色の花を付けたレンギョウである。

 また、子細に見るとその他の木々も小さな葉を付けて、温かくなるのを待っているかのようだった。

   

   ※ 早くも北コブシが白い花を咲かせていました。

   

   

   ※ こらちはレンギョウという春の花です。

   

   ※ ヨドガワツツジが蕾を付けていました。

   

   ※ 「札幌の花」ライラックも蕾を付けていました。

   

   ※ 帰路、教育文化会館の庭には冬囲いが撮れていないムラサキツツジがきれいな花を付けていました。

オリンピックの準備作業が

 大通公園の2・3・4丁目は、来るべき東京オリンピックのマラソン、競歩の会場の発着点となっている。そのための施設を建てるために出入り禁止措置が取られ、4丁目では早くも建設の準備作業が始まっていた。(2・3丁目はこれからのようだ)多少の不便は致し方あるまい。万全の体制を整えて、大会を成功させてほしい。 

   

   ※ 公園を占有するお知らせがありました。

   

   ※ 4丁目はご覧のように以前の姿はなく、準備作業を進められていました。

   

   ※ 3丁目の工事はこれからのようです。

 札幌市民の憩いの場、大通公園もいよいよ本来の顔を取り戻す準備が整ったようだ。                 

                 


野幌森林公園で春を探す

2021-04-15 19:31:58 | 環境 & 自然 & 観察会

 雪が消えてからは初の「野幌森林公園」だった。先日の「盤渓市民の森」で見られた植物と基本的には同じだったが、エゾエンゴサクやザゼンソウを見られたのは森林公園ならではだった。もちろんミズバショウの群落もたくさん見ることができた!

   

   ※ すっかり雪の消えた野幌森林公園の散策路です。

 残念ながら今日は年齢を感じずにはいられない出来事があった。今日は早朝に今季2度目の近美前歩道の清掃ボランティアがあった。約1時間半の活動だったが、活動を終えるとぐったりと疲れていた。数日来の懸案事項を処理し、今日はロングウォークでもと考えていたがとても無理だった。疲れ果てた私はひと眠りすることにした。

 目覚めた時には10時半を回っていた。それからの時間で行けるところは?と考えた時に「野幌森林公園」が浮かび、さっそく向かったのだった。自宅から車で約40分、野幌森林公園のビジターセンターの役割を果たす「自然ふれあい交流館」で「春の花を観察するには?」と尋ねたところ、「桂コース」~「四季美コース」~(連絡線)~「エゾユズリハコース」を推薦してくれた。

   

   ※ 可憐な紫色の花エゾエンゴサクです。

   

   

   ※ 星置緑地で目立ったバイケイソウです。(右はオオウバユリの幼根です)

   

   ※ 天気が良くなかったこともあり、フクジュソウに勢いが感じられませんでした。

   

   

   ※ オオウバユリの幼根です。

   

   ※ フキノトウ(雄花)

   

   ※ フキノトウ(雌花)

 ハイライトは「四季美コース」だった。四季美コースは近くにある「大沢の沼」から流れ出る水が湿地を作り、その湿地のあちこちにミズバショウが白い可憐な花(ガク)を咲かせていた。それは少しオーバーに表現すると華麗な白の競演といった趣だった。コースはミズバショウだけではなく、エゾエンゴサク、フクジュソウ、フキノトウ、ザゼンソウといった花々がこれもまた競うように咲き誇っていた。

   

   ※ 「桂コース」と「四季美コース」の分岐点にある「大沢園地」の東屋です。

   

   ※ 四季美コースに入ると、こうした光景がいたるところで見られました。

   

   

   

   

   ※ 時にはこのように散策路脇でもミズバショウが見られました。

   

   ※ 「大沢の沼」です。この沼から流れる水が周辺の湿地を造っているようです。

   

   ※ ザゼンソウです。

   

   ※ ザゼンソウは太陽に背を向けています。この写真はフラッシュを焚いて撮りました。

   

   ※ ザゼンソウは群落を作りませんが、周りと色が違うので目立ちます。

 ちょっとガッカリは「エゾユズリハコース」だった。コースの名前になっているくらいだからたくさんのエゾユズリハに出会えるものと期待していた。ところがいっこうにそれらしき植物に出会わない。私は目を凝らしながら歩を進めた。しかし、最後まで本格的なエゾユズリハには出会えず、かろうじて最後の方で足元に小さなエゾユズリハを目にしたのが唯一だった。不思議に思い、帰路に再び「自然ふれあい交流館」に行き、そのことを質問したところ「実は名前はそうなっていますが、エゾユズリハは見当たらないのです」という答えだった。交流館のスタッフは20年以上勤められている方だそうだが、その方が勤め始めたころから見当たらなかったそうだ。野幌森林公園が整備されて50数年。その際に名付けられたコースだそうだが、私の目にはハイイヌガヤとクマザサしか見当たらなかったが、あるいはそれらに駆逐されてしまったのかもしれない。

    

   ※ ハイイヌガヤは根元からほふくするように伸びて、途中から上方に向かいます。  

   

   

   ※ エゾユズリハの幼根です。    

 自然界における生存競争の厳しさを見た思いだった。

 「野幌森林公園」は今日もけっこうな人たちが散策を楽しんでいたが、歩いて散策するにはとても心地よい散策路が用意されている。我が家からちょっと遠いのが玉に瑕だが、季節ごとに訪れたい公園である。

                                   


講座の開設準備に忙殺されて…

2021-04-14 19:16:30 | 「めだかの学校」関連

 今日は一日、私が所属する「めだかの学校」の野外講座「さっぽろの古を訪ねて」の開設準備に忙殺されてしまった。というのも、他にはない講座の在り方をちょっとだけ提起したいと思っているためその準備に忙殺されてしまったのだ。そのちょっとだけの提起とは??

 私たち「めだかの学校」は市民一般にも呼びかけて開催する野外講座「さっぽろの古を訪ねて」は、今年で三回目を迎える。今年のテーマを「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」と定め、札幌市内、近郊に在った五つの屯田兵村跡を訪ねることにしている。幸い企画に興味を抱いた方がいて、募集した定員30名を集めることができた。

 さて、私たちがちょっとだけ提起したこととは?「今回の講座を受講することによって、私たちが用意した資料、講師(ガイド)が準備した資料、あるいは見学した現地でいただく資料、等々を一冊のファイルにまとめることができたら、受講者にとっては屯田兵村に関する立派な資料集になるのではないか!?」と考えたのだ。

          

 そこで私たちは百均においてクリアファイルブックを受講者分購入した。そして今日、私たちが準備した資料、講師(ガイド)から提供された資料を印刷し、それをクリアファイルブックに挿入する作業をしたのだ。

 印刷だけで一人分で60頁。それを30人分印刷するだけで2時間を要した。その印刷したものをクリアファイルブックに30人分、構成を考えながら挿入した。作業はこの講座を担当する私とS氏の二人だけ。昼から午後5時近くまで休まずに作業を続けてなんとか終えることができた。

   

 実はこの講座は前述したように今年で三回目である。こうしたクリアファイルブック方式は初年度から実施している。だから私の本棚には一年次の「札幌の成り立ちから訪ねよう!」そして二年次の「お雇い外国人の事績を辿る」のファイルブックが収まっている。そこに今回「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」の資料集が加わるのである。

 こうした方式を考え出したのは、私の講座受講経験が反映されている。というもの、私はこれまで積極的に各種講座を受講してきた。しかし、講座でいただいた資料がどうしても散逸させてしまうことが多かった。そうさせずに、資料を残しておく方法はないものか?と考えた時に浮かんできた方法なのだ。

   

 幸い受講者からも好評である。受講者はこの後、実際の講座においてパンフレットや解説文などを入手したら、その都度クリアファイルブックに入れていけば、やがて立派な資料集となるというわけなのだ。そのことが好評の原因だと思っている。

 私たちはその好評に気を良くして、大変な作業だったがS氏と二人でなんとか今日やり遂げ、講座開催の準備を整えることができた。

 


星置緑地のミズバショウ

2021-04-13 17:10:48 | 環境 & 自然 & 観察会

 今年も「星置緑地」のミズバショウを見に行ってきた。ミズバショウは星置緑地の湿地にたくさんの白い花(実はガクだそうだが)を咲かせていた。しかし、それより気になったのはバイケイソウの異常(?)な繁殖である。そのうちに緑地はバイケイソウに席巻されてしまうのではないか、と心配になった。

   

   ※ 星置の住宅街の片隅に位置する「星置緑地」です。    

 連日投稿を唯一無二の目的としている拙ブログでは、時折りネタに不足してしまうことがある。特にこの時期は年度替わりということもあり、私が所属していろいろな組織も総会の準備などで自分の行動が制約されてしまうことが多い。本日も何を話題にしようか?と悩んだのだが、組織の業務処理のため車で自宅をでたので、業務を終えた後に「そうだ!」と思い立ち、往復1時間をかけて「星置緑地」まで車を飛ばし、ミズバショウを観察(いやただ見ただけ)してきた。

   

   ※ 緑地内には写真のように木道が縦横に敷かれています。

 「星置緑地」はJR函館本線脇の住宅街に囲まれた小さな緑地である。今日は午後から雨風が強く、観察には不向きかな?と思ったのだが、「星置緑地」に着いたときには幸い雨風共に弱まっていた。

 「星置緑地」は札幌市内においてミズバショウの群落が最も発達した緑地として知られている。私は昨春も訪れているのだが、昨年は4月19日に訪れている。そのせいだろうか?

ミズバショウはまだ「やや小ぶりかな?」と思われたが、緑地内のそこここに白い花(ガク)を開かせていた。その様は緑地内に爽やかな風が吹き渡っているかのような印象を見る者に与えてくれた。

   

   

   

   

   

 

   

   

 しかし、私がそれより気になったのがバイケイソウの異常な繁殖ぶりである。バイケイソウも時期が来ると白い花を付けるようであるが、強い毒性がある植物として知られ、それが何となく不気味さを与えることもあり心配なのだが、緑地内は自然の推移を見守るしかないのだと思われる。

   

   ※ まだあまり成長していないバイケイソウです。下の写真は近接して撮ったものです。

   

 その他で目立ったのは、黄色い花を付けたエゾノリュウキンカである。緑地内のあちこちに黄色い派手な色を振りまいていた。

   

   

 また、目立たないが、紫色や白色の花を付けたキクザイチゲもひっそりと可憐に咲いていた。北海道では主として白色のものが多いそうだが、「星置緑地」では紫色のキクザイチゲも場所によって群落していた。残念だったのは、雨模様のために花が下方を向いていて、満足な写真を撮れなかったことだ。

   

   

   

   ※ 雨のために花が下を向いていたのが残念!

 緑地の説明板にコジマエンレイソウがキクザイチゲと一緒のところで(あるいは近くで)育つと書かれていた。キクザイチゲを見た時には気づかなかったので、再びキクザイチゲの傍によってよく見ると、確かにエンレイソウを発見することができた。私にはコジマエンレイソウとエンレイソウの見分けはつかないのだが、確かにキクザイチゲの傍で見たので、私が見たのはコジマエンレイソウなのだろう。

   

   

 最後に目に付いたのは、オオウバユリの幼芽だった。オオウバユリはこれからぐんぐんと目に見えて育ち、高さ1.5~2mくらいになる。夏に「星置緑地」に来てみると、あるいはオオウバユリが一番目立っているのかもしれない…。

   

 植物にけっして詳しくない私であるが、これからは植物観察が楽しくなるシーズンである。

   

   ※ 緑地内を俯瞰した一枚ですが、エゾノリュウキンカ(黄色)が目立ちます。ミズバショウがちらほら。それ以外の緑色はバイケイソウです。    

 


「めだかの学校」学習計画決まる!

2021-04-12 18:05:19 | 「めだかの学校」関連

 私が所属するシニアの生涯学習グループ「めだかの学校」の今年度学習計画が本日開催された総会で承認された。手前みそではあるが、いずれも魅力たっぷりの計画ができた!と自負している。

 本日午前、私が所属している生涯学習グループ「めだかの学校」の総会が開催された。「めだかの学校」は小さな組織ではあるが、運営委員会で十分に議題を検討したうえで総会に諮るため、各議案共に特別に問題もなくすべてが承認された。

 その中で最も大切なことは今年度の学習計画である。学習計画は「めだかの学校」に集う誰もが最大の関心事であるが、そのため運営委員会では半年前から会員の意向調査を行い、慎重に学習計画の立案を進めてきた。そして本日提案した内容は次の通りである。

【本年度上半期】

 ◇毎月第2火曜日 野外講座「さっぽろの古を訪ねて」

                        ~北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る~

    ※ 詳しい内容については拙ブログですでにレポしている。(3月17日投稿)

    

 ◇毎月第4月曜日 映像フォーラム「持続可能な環境を目ざして…」

    NHKスペシャル「未来への分岐点」3回シリーズ/映画「不都合な真実」Ⅰ・Ⅱ 

    テーマ「地球の温暖化・環境問題を考える」 

     ※ NHKスペシャル・タイトル

       ① 暴走する温暖化 “脱炭素” への挑戦

       ② 飽食の悪夢-水・食糧クライシス

       ③ プラスチック汚染の脅威 大量消費社会の限界

    「不都合な真実」はアル・ゴア元米副大統領が提起した地球温暖化への警告

    

【本年度下半期】

 ◇毎月第2月曜日 DVDフォーラム「映像大陸北海道」

      テーマ「美しい北海道の自然と生活を知る」

   ※ 詳しい内容については拙ブログですでにレポしている。(3月27日投稿)

    

 ◇毎月第4月曜日 映画フォーラム「藤沢周平の世界」(12月休み)

      テーマ「かつての日本人の清い哀感模様を描いた藤沢周平の世界に触れる」

         ① 「武士の一分」  ② 「たそがれ清兵衛」 ③ 「蝉しぐれ」

         ④ 「花のあと」   ⑤ 「必死剣鳥刺し」

    

 上記の中で野外講座は屯田兵の末裔の方、観光ガイド、学芸員の方々に説明をいただくが、その他の講座はただ視聴するだけではなく、会員同士でナビゲーターを担当し、視聴後には会員間で感想交流などを持つことによって、より深い視聴となるように配慮することとしている。

 今年の学びが会員にとってより意義深い学びとなるように配慮しながら進めたいと考えているが、私にとっても楽しく意味ある一年にしたいと思っている。

 なお、札幌市内在住の方でもし興味がおありの方がいらっしゃいましたら、一緒に学びませんか? 連絡をお待ちしています。      


屯田兵の新しい知見を得る

2021-04-11 19:35:07 | 講演・講義・フォーラム等

 講師曰く、屯田兵には単なる「屯田兵」と「屯田憲兵」なるものがあった。曰く、屯田兵村には「密居制兵村」と「散居制兵村」があった。等々、屯田兵についての新しい知見を得ることができた有意義なワークショップだった。

 本日午後、白石区民センターにおいて「北海道開拓倶楽部」なる団体が主催する「北海道開拓の真実 私たちはどこから来たのか?」と題する公開ワークショップが開催され参加してきた。

 私が参加した理由は、ワークショップの一つとして屯田兵研究家と称する有馬尚経氏「屯田兵と北海道」と題してスピーチすることを知ったからである。私が所属するシニアの生涯学習グループ「めだかの学校」では、今年度上半期の学習として野外講座「さっぽろの古を訪ねて 第三弾 北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」の開催を計画している。その講座を企画運営する責任者として、屯田兵についてさまざまな文書にあたり一応の知識は得たと思いながらも、責任者としてさらなる知見を得ることはプラスになることこそあれ、マイナスになることはないと考え参加したのだ。

   

   ※ 講師の有馬尚経氏です。

 参加して初めて知ったことだが、講師の有馬氏は昨年「屯田兵とは何か その遺勲と変遷」と題して、研究の成果をまとめられた著書を上梓された本格的な屯田兵研究者だと知った。(その著書はもちろんその場で買い求めた)

          

          ※ 有馬氏の著書です。

 氏のお話してくれたことは、前述したことの他、屯田兵制度が成立する前後の私が知り得なかった事実が語られた。その他、すでに私が知識として知り得ていたことも数多く述べられ、私たちは自信をもって講座を運営していく自信を得た思いだった。

また、太平洋戦争において軍神とも呼ばれた加藤隼戦闘隊長(加藤建夫)は、東旭川兵村の屯田兵だった加藤鉄蔵の息子だったという興味深い事実も話された。

 結論としては、屯田兵は「ロシアなどの北方の脅威から北海道を防衛する軍隊」だったことと、「原野であった北海道を開拓して社会基盤をつくった日本の誇りともいえる人々」とまとめられたことは、私たちが設定した主題とそう変わらないことに安堵をおぼえた。

 実は、ワークショップはもう一人のスピーカーである北海道開拓倶楽部の海堂拓己氏「明治の開拓者精神とは」と題して話されたのだが、私が開始時間を誤って記憶していたため、前半を聞き逃してしまう失態を演じてしまった。氏の結論部分のみを伺ったのだが、氏の話で非常に興味深かったことは、「屯田兵としてではなく、民間の立場で北海道開拓に挑んだ人たちはけっして本州で貧しかったわけでなく、創業者精神でもって北海道の開拓に挑み、成功した人たちが北海道に残ったのであり、みなさんはその子孫である」と話されたことだ。そのことを海堂氏がまとめたものを紹介します。

   

   ※ 同じく講師を務めた海堂拓己氏です。

   【地域の歴史から教わった開拓の真実】

 ◇私たちの祖先は創業ベンチャーだ。

 ◇私たちが今ここにいる。それは、祖先が北海道への定住に成功し、子孫を残したということ。

 ◇私たちは成功した創業ベンチャーの子孫だ。

 ◇私たちはどんな困難にも打ち克てる遺伝子を受け継いでいる。

 

 祖先が北海道に入植したその子孫として、勇気を得る言葉だった…。さあ、私たちの野外講座の方も頑張ろう!

   

   ※ 会場に展示されていた軍服ですが、黒田清隆など高級武官が着ていたもののようです。