樫原湿原(かしばる)を出て ナビの行く先は背振(せふり)眼鏡橋です。でも途中で看板を観てしまったんですよね~
後鳥羽神社に行きます。 涼しげな滝が 3段4段 続いていました。

歴史好きでもないんですが【実朝の首】の本の紹介で・・最近ここでも登場したばかり
アンテナを張っていると こんなところでも後鳥羽上皇と会うんですね。 後鳥羽神社です。

玉取りの狛犬さんです。 阿形の方は口に咥えて 吽形の方は 手で持っています。

神社の前の狛犬さん 同じく玉取りです。 こちらは随分小さかったけど 表情は厳しい。

すごい水量で 音も大きいんですよ。友人と2人貸し切りです。 佐賀県神埼市です。

後鳥羽神社拝殿 奥に神殿があります。
承久の乱で隠岐へ流されるのは史実?で 途中 密かに立ち寄って助けられたという伝説があります。

悲劇の人はこういう伝説ができるんですよね 私も 判官贔屓 です。
後白河法皇と後鳥羽上皇(祖父と孫)・・・・に絡む 待賢門院璋子 ・・・ 興味のある方は検索してくださいね。

食事の用意を請う都からやって来たという一行に対して、都人の口に合うような食事は用意できないと一度は断った。しかし是非にと再度請われると、作りかけていた稗粥を差し出したという。(ネットより)

この粥で暖をとった院は、その時に
かくばかり 身のあたたまる 草の名を いかでか人は ひえと言うらむ
と謳ったとされる。(ネットより)

ということで 最初に車中から見た 案内板と歌碑
かくばかり 身のあたたまる 草の名を いかでか人は ひえと言うらむ (稗と冷えですね~)
助手席から写真を撮ろうとしたら せっかくだから行きましょう と友人が言ってくれました。

2~3日前 テレビで 浅見光彦シリーズ・・・後鳥羽伝説 とあったので 偶然に驚きつつ 観ました。
同じような 隠岐への島流しで史実とは違うルートで・・・広島県三次市に寄ったという伝説でした。