モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



宇佐八幡に行った12月3日のことです。すぐ近くに 真言宗のお寺 大楽寺さんがあります。2度目です。 又忘れ物があるのです。

 

九州西国三十三観音霊場 4番札所です。 忘れ物は…というと 私達は 前回 この護摩堂から入ったのに ご本尊の観音様を拝観せずに 弥勒仏の方で(素晴らしい仏像があります) ユーモアを交えたご住職のお話しをゆっくり聴いて帰ったのでした。

 

今回はここでゆっくり拝観しました。 でも・・・私又忘れ物をしたのかもしれないのです。ここで記憶に残っているのは 聖観音菩薩の立像です  でも三十三観音霊場 4番札所としてのご本尊は 如意輪観音菩薩 目には入っているでしょうが・・・

 

鐘楼にある「永徳在銘梵鐘」は南北朝時代1382年に造られたもので、大分県で2番目に古いの国産の梵鐘である。(ネットより) 前回ご住職にお会いした時にも そうおっしゃってました。

 

この日一番目を瞠った景色 この黄葉・・・

 

お堂を囲むように 境内いっぱいに 仏像石像が配置されていて 本当に数えるのが大変なくらいです。 

 

こちらは地蔵菩薩ですね。

 

パーッと前から陽が差して まるで後光のように見えました。 大楽寺(だいらく寺)をご紹介しました。

 

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九州三十三観音霊場巡りの仲間が一人増え 1番札所英彦山霊泉寺へ再び・・ 左端に少し見えるのが霊泉寺。

 

本堂です。 柱の下の方 銅板かな?精巧な細工が見えます。

 

 

両方とも同じく 鯉 と 龍 でした。

 

 

前回と同じく 鍵を開けて下さり ご本尊、小さいけれど美しい千手観世音菩薩 とご対面です。7月にお参りしましたが、再びのご縁がありました。

 

その観音様の横に 小さな仏様 これは 蓋でしょうか。

 

前回お見送り頂いたときに 写真を撮らせて頂かなかったのが 心残りだったので 今回はお願いしました。お母様94歳です。

ご住職は 息子さんです。   美しい母娘さん 友人2人も一緒に・・・ 

 

 

ここまででいいのに 階段を下りてきてくださいました。下は石が並べてあって 不安定なんですよ。近くに行って 足場が悪いからお気をつけて というと お天気の時は ここまで歩くんですよ って・・・脱帽です。

 

 

お二人とも おきれいでしょう❔  何かアクシデントがあった時、 いいことがあります。私が1度目行った時 御朱印帳が品切れで頂けなかったんです。(1番札所だから御朱印帳はここで求めます。)

それで 郵送していただきました。 住所名前を書きますから 印象に残るでしょう? それで、お話も弾みました。

 

お見送りされて また逢う日までお元気で・・・と出発しました。 次にお参りするときは ご住職にお会いしたいですね。 

この日のお弁当 友人の手作り 庭で収穫した栗で 栗ご飯のおにぎり 煮卵 その他 

 

お弁当を食べた場所は高住神社前 神社に寄る予定が お腹いっぱいになったら 無かったことに・・・ 

 

そして これから向かうのは、 ダムを見に行きます。ここは 往き道の 高木神社です(車窓より)

 

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九州三十三観音、6番札所をご紹介します。今回は 私の脚力を考えて、この仁王像の門は通らず、裕子ちゃんは上の駐車場まで車で行ってくれました。  私は2・3回行っており、仁王像はその時の写真です。 

 

 

到着しました。 6番札所、天台宗別格本山、六郷満山総持院 両子寺(ふたご寺) 護摩堂です。

 

側面です。回廊を回って 堂内に入り 大聖不動明王像に、お参りをしました。 鎌倉時代の仏像です。

 

色んな石造物・石仏があります。 右端の門 は 最初の仁王像から登ってきたらここに着くようです。

 

歌碑がありました。言語学者 金田一京助先生 昭和四十四年五月十四日 参拝時に詠める歌 とあります

    山川のおとは父母の愛に似て かわることなし たゆることなし 

 

【鬼橋】です。1枚の石です。鬼が一晩で造りました。左は過去の写真 右側は今回 いつ壊れたかは確認していません。


 

 

私達がお参りする十一面千手観世音菩薩様の居られる 奥の院に行く道 台風の痕跡 通ることができません。案内所でお聞きしたところ回り道がありました。

 

なだらかな広い石段・・先が見えない 手摺がない・・・この先 講堂があって その後 高い階段が71段あるとの事 私は 二人に迷惑をかけることになるといけないから 観音様配管を諦めました。

 

見るだけで怖いですね。独りで待っている間に 本格的なカメラマンが来られて この写真を撮っておられました。

 

大国さんのお堂でした。

 

三面の大国さんって 初めて見ました。

 

この日、私だけ拝観できなかった十一面千手観世音菩薩様です。ポストカードです。

 

御朱印です。

 

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宇佐市の大楽寺から国東に向かっています。 天念寺といえば 初めて行った時 石橋目的でした。 切り取っていますが本当は高い峰と峰を 繋いでいる石橋です。無明橋です。

 

5番札所 天念寺さんです。受付はありません。御朱印は 長安寺で頂きます。

 

でも施錠してなかったので お参りさせて頂きました。

 

境内には神社もあります。左端 藁屋根が見えています。

 

この中に観音様はいらっしゃいます。

 

でも格子の壁の向こうで カメラを隙間に差し込んで とっています。。 大きな聖観世音菩薩像です。

この日初めて 九州三十三観音の観音様にお目にかかりました。

 

天念寺本堂は前に川があり 川の中に お不動さんがあります。 川中不動さん

 

長安寺に行って頂いた 天念寺さんの御朱印です。 長安寺さんについては 機会があったらご紹介します。

 

 

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九州三十三観音霊場 4番札所 大楽寺 宇佐市に入っています。宇佐神宮のお寺さんです。 立派な山門でした。

 

その山門にかかる扁額には「金剛開」の文字。すでに歴史的価値と美観に魅了され、名刹とされる片鱗が垣間見える。(ネットより)

拡大しますね。扁額の文字 金剛開  開?? それなら 金剛界  門構えで調べたら 關 に似ているけど これなら かんぬき かん かかわる それなら 関 かな?

 

「永徳在銘梵鐘」は大分県で2番目に古いの国産の梵鐘だそうです。

 

持仏堂 最初にここに行って観音様の御朱印と 拝観をお願いしました。 ご住職を呼んでくださってます。

後で気が付いて 大失敗 如意輪観音様を拝観していません。 

 

境内いっぱいに 仏像 石仏があります。 もう一度来いという事でしょうね。肝心な観音様 拝観してないから。

手前の黒い影は 本堂の屋根の影です。

 

ご住職が来られ 私たち3人に 祈祷して下さった上に ここの仏像の説明の面白かったこと・・・

私は仏像ファンだから知ってますが ご存じない方のために・・・ 弥勒菩薩は お釈迦様が亡くなった後 修行中で 56億7千万年後に現れる未来仏 

その時には 菩薩じゃなくて如来になるそうです。 それを ご住職が ユーモアたっぷり ビフォーアフター と言われました。

 

 

2012年 九州108霊場 で行った時の記事です。

弥勒菩薩と脇仏  四天王像 ともに平安時代のものだそうです。  ご法話の後 撮影の許可を頂きました。でもフラッシュは自重しました。

 

反対側   弥勒菩薩仏って お釈迦様の入滅後 56億7千万年後に現れる未来仏なんですって・・・  

 

本当は 弥勒菩薩じゃなく 如来になっている珍しい仏様だそうです。

 

3人とも気づかず 肝心な如意輪観音様にお会いしてないんですよ。公開日が決まっているわけじゃないのに・・・

 

 

高野山真言宗 大楽寺さんを ご紹介しました。

 

 

【追記】 思いだしました。 観音様の公開はしていないそうでした。 小さな観音様で 管理が大変なのでしょう。。

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同じ中津市内 次の3番札所までは 5~6km 立派な山門です。 補陀落山清水寺(ふだらく山 せいすい寺)

 

とっても繊細な美しい造りです。 曹洞宗のお寺さんです。

 

お留守のようです。 縁起などを読んでいます。

 

本堂です。 お留守でも自由に入れる所ってあるから 靴を脱いで 戸を開けようとしたら 鍵がかかってました。 残念、

 

境内の観音様にお参りしました。

 

2番札所で 手摺がなくて上らなかったから 今回は がんばって上りました。

 

上った先は 何も観られませんでした。すぐに 下ります。 下りが嫌なんですよね~。

 

下が池だから 橋だと思うんですが 上部 確認できませんでした。

 

山頭火です。 眼鏡をかけています。   岩かげ まさしく水が 湧いている

 

山頭火は九州三十三観音を歩いているんですよ。

 

道路まで戻った時 私が下車して 石柱 と 清水寺 と 車(二人は車中)を撮る。よく見とかなくっちゃ 帰りに又、寄ります。

 

他を回って電話で確認の上 帰りに再び寄ると 待って下さった坊守さんが 冷たいお茶と袋菓子をお接待して下さいました。でもご住職がご不在で お参りはできませんでした。

千手観音さまは 1月10日 8月10日 に 一般公開されます。

長々とご覧頂き ありがとうございます。

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7月に1番札所に行って その後、あまりの暑さに中断していた【九州三十三観音のお遍路】 やっと行動開始。 2番目 真言宗、長谷寺 福岡県から大分県に入った所 中津市です。

駐車場から、手すりのない坂道が見えています。 距離はなさそう。西國第二番札所長谷寺 の石柱 9月6日です。

 

同行の友人と その姪っ子の裕子ちゃん いつまでかかるか分からない33ヶ所参り このメンバーで行きます。

 

門を入ると あちこちに色んな史跡がたくさんあります。これは一つの石で彫られた五輪塔です。

 

地蔵堂がありました。 ここにあった三界万霊の碑 私は初めて見ました。

 

そして本堂です。

2012/12/05 — 神亀元年(724年)の開山で西国2番札所の古刹です。長谷寺の秘伝で九州最古の飛鳥仏の銅造観音菩薩立像(国指定重要有形文化財)は、毎年4月20日に一般に開帳 (ネット 大久山 長谷寺より)

 

大悲殿 千社札が いっぱい貼ってありました。観音様は後ろにいらっしゃるのでしょうか・・

長谷寺は 無人だったから 後日 中津市博物館に問い合わせをしたら 十一面観音像は博物館で保管されてるそうです。 そうですよね~ 国指定重要文化財 ですからね~

   

 

2人は奥の院まで 行きますが 手すりもないし、虫が落ちてくるかも・・・私はこの後の行程を考えて ゆっくり境内で待つことに・・

たくさんの史跡の写真は いつかまた・・・

 

そして 私が見ることができなかった 奥の院 

 

 

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英彦山神社(ひこさん神社)銅の鳥居(かねのとりい)です。 国の重要文化財(建造物)です。

寛永14(1637)年、佐賀藩主の鍋島勝茂の寄進により建てられたもので、高さ7m、柱の周囲は3m余りもある胴の太い青銅製の鳥居で、柱は青銅製の円筒6個を積み重ねてできています。

 

骨折後、腐っている私に 「人参🥕見つけたよ」と。友人からの知らせ。ご褒美があるから動こう という意味です 九州三十三観音のお参り行くことになりました。

階段は無いということだったのに 鳥居の左 しかも手すりがない・・・

 

ここも手すりがない 石垣を伝って足元ばかり見て 上りました。英彦山修験道本山 霊泉寺 ここが 九州三十三観音 一番札所です。

 

 

とっても美しい母娘 お母様は94歳 本当に母娘そろって美人なのです。本堂のカギを開けて下さいました。

 

ご本尊にご対面です。千手観世音菩薩  小さいけれど美しい観音さまでした。友人と、ゆっくりお参りしました。

 

御朱印です。裏には 御詠歌が書いてありました。お寺参りでは御朱印帳ではなく納経帳といいますが、品切れして注文しているとのことで 後日郵送して頂きました。

 

 

銅の鳥居から 歩いて上ったことも スロープカーで行ったこともあるけど そこにひっそりと お寺があるとは知らなかった。帰り道、よく見たら 目印がありました。ここから登っていたかも。

 

 

お昼です。 ずーっと前から変わらない景色です。 やまめ定食を頂きました。

 

 

やまめの塩焼きは 奥に置いてあるから 小さく見えますが 大きいんですよ。

それから みそ汁は 鯉こく・・・ 大きく見えますが ホントに大きく、さすがの私も完食できませんでした。 1,600円でした。

 

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高野山 ツアーで行っていますが 高野山のガイドさんが案内してくださってます。 水のかけ方を こういう風にと・・・

 

仏像が並んでいた中で大日如来さまに水かけお参り

 

聖観世音菩薩様にも・・・

 

護摩堂

 

奥の院にお参りした後 戻っているところです。

 

供養塔の山 いわゆる無縁仏さんだそうです。

 

玉川橋です。

 

一の橋 みがわり橋まで戻りました。

 

所々に 道しるべ ご説明を忘れたのですが あと何丁 というしるし 

 

奥の院の御朱印です。

 

 

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先月、12月に高野山にお参りしました。新門司から夕方のフェリーに乗って翌朝大阪着 バスで2時間半くらいだったかな~

高野山ではまず 奥の院に参ります。 お大師様のいらっしゃる所です。ここから入って暫く歩きます。

 

やっぱり目についてしまいます。全国建設専門工事事業団体連合会 土木建築殉職者の供養塔でした。

 

こちらは見てすぐ分かりますね。 ヤクルトの会社  こんな風に手前の方は一般の方たちの供養塔が並んでいます。

 

楽書塚 花菱アチャコさんの句碑もありますね。

 

一番大きな杉の樹があって そろそろ世界遺産ですよ。造る

暮れにテレビでありましたが 高野山に供養塔を造るのは・・・・釈迦が入滅して56億7千万年後に現れる弥勒菩薩は ここに現れるから それを待つのだそうです。

 

大河ドラマはずっと見てます。お万の方と言えば家康の側室。結城秀康と 生母お万の方の墓所です。鳥居にお気づきと思いますが神仏混淆です。

 

大名のお墓は250あるそうです。石田三成 薩摩島津家 加賀前田家 これは前田家の供養塔です。 

供養塔の上から 空 風 火 水 地  のところが尖っているのは 戦いの時だとガイドさんの説明。




比叡山を焼き討ちにして、高野山の僧を大量に殺害した織田信長の墓もありましたが 高いところで撮れませんでした。
メモのしようもなく 高い奥のところいっぱい撮ってるけど 誰の供養塔か分かりません。


奥の院が見えてきました。 御廟橋・・・この橋からはもう撮影禁止。帽子も脱ぎます。

37枚の橋板全部を踏むために下を1枚づつ踏むから 自然と低頭するんですよね。

 

写真はないけど お経をあげます。 前に行った時はお大師様の前まで行きましたが今回はコロナ禍のため入れませんでした。御御影です。 これもテレビですが 毎日 お大師様の御前に食事を運んでいました。

 

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