モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



耶馬渓から 英彦山を通って帰る時 山国町 魔林峡(まばやしきょう)といわれる風光明媚なところがあります。

小石が水流で回転するすることによって岩が削られて 甌穴(おうけつ)を作る と案内板に書いてあります。

 

その案内板です。【猿飛】という名は 昔、山猿が 岩から岩を飛び回っていたことからつけられたそうです。甌穴(おうけつ)は、深い穴のこと

 

散策するのは いい場所です。 紅葉は終わっているけど 気持ちがいいです。

 

そして・・・・よろけたら落ちる…とこまで行って 撮りました。 念仏橋上流側です。見えているコンクリートの橋の奥にアーチが見えています。

 

コンクリート橋を渡りました。 そこから撮った石橋。

 

 

工事中ですが石橋の上部が 何とか見えるでしょうか・・・

 

念仏橋をご紹介します。下流側 昭和3(1928)年の架設です。

 

久しぶりでした。 工事が終わったら石橋を渡りたいです。

 

 

 

最後に・・・・ 2008年11月 の記事より・・・

摩林峡 念仏橋です。以前にもUPしてますが紅葉が美しいんです。

 

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今年初のお出かけ 友人から神社参りでも行かない? とのお誘い 私の希望で 中津市 雲八幡神社(雲八幡宮)に行きました。 他の友人からのラインで見ていたのです。 雲(くも)八幡宮の名前がいいのと ほら 先の方に 石橋が見えています。

 

かなり風化していますが 阿吽の 狛犬さん

 

少し進んだら あらあら カッパ・・・カッパさんも 阿吽ですよ。 行司の軍配も持ってるし 力士ですね。台座には 皇紀二千六百五十年 平成二年秋 側面には 紀念 と刻んであります。

 

昔この地では、源平合戦に敗れた平家の人々が河童となり、その無念さから里人に災いをもたらすといわれていました。

そこで彼らの魂を音楽で鎮めるとともに、河童の神通力をお借りして五穀豊穣や無病息災を祈願したことが、「かっぱ楽」として受け継がれているそうです。(ネットより)

そういえば 先般 芦屋町の歴史資料館で開催された 妖怪展でも そう書いてありました。 芦屋町にも平家の河童伝説があります。

橋の手前にも カッパさんが 片足を立てて寝転んでいます。 

 

雲八幡神社参道橋をご紹介します。橋の向こうに社殿が見えています。

 

安永十年(1781年)と刻んであります。 横の文字も 月日は見える毛ど 月日じゃね~ 月じゃなくて漢字の一部? 

 

橋を渡ります。川は旭川(niemonさんのHPより)

 

橋のたもと 左は 相撲をとっていますね。  右は お酒を飲んでいるのかな? 隣に 子供カッパちゃんもいます。

 

 

河床から観たら 向こうにも アーチが見えます。 気になる気になる・・・・続きはまた・・・

 

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停めて~ 車窓から美しいアーチが見えました。馬渓橋(ばけい橋)右岸下流側です。大分県中津市、川は山国川です。 12月3日のことです。

 

大分県指定有形文化財です。 近くには 全国で1番長い耶馬渓橋(8連)もありますが この日は見ていません。

 

上の写真と同じじゃないかって? 少し進んで 少し違うんです。久しぶりの石橋記事で嬉しいんです。

 

橋部の親柱の文字 左、山国川  右、馬渓橋 です。

 

右岸上流側です。

 

平成24年の北部九州豪雨で被災し 修復が終わった平成30年 山国川水害復興記念碑です。

今回の宇佐ドライブ 紅葉の時期だったので 順番を変えましたが 順番としては ①宇佐八幡 ②大楽寺 ➂ 御霊もみじ ④馬渓橋 そしてこれから帰ります。

 

帰りは 英彦山経由です。 今回は 同級生3人で、運転しているのは Cちゃん  この乱れた写真 間に合いませんでしたが 英彦山山中で鹿が車の直前を横切ったのです。続いて かわいい小鹿も横を通り 後部座席にいた私は振り向いたら もう一頭。 多分親子3頭 通ったのです。黒いのはバックミラーにぶら下げたぬいぐるみです。

”おくやまに もみじ踏み分け なく鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき”   この時季なんですね~  

 

紅葉に鹿か~ 花札を思い出しました。 私は若い頃 Cちゃんのお母様に お花(いけばな)を習っていたのですが 花札も習ったのです。結構 熱中 もちろんお金はかけず マッチ棒でした。 

 

英彦山でヤマメの塩焼きを 食べるつもりだったけど 5時でした。 今、終わったと言われて残念。

大任町(おうとう町)の道の駅です。 イルミネーションがきれいで 走る車の中から撮りました。この日は寄っていませんが1億円のお手洗いがあります。

 

夕飯は 直方 浜勝(はまかつ) 私は2~3回しか行ったことないけど美味しかったです。 まず 自分で ゴマをするんですよ。

 

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【犬も歩けば棒に当たる】 お正月ですが カルタの話ではありません。 12月25日目的地の 長崎大学病院を確認して 時間つぶしで浦上天主堂方面にウオーキング 妹と二人です。

歩いていたら・・・見つけてしまったのです。 石橋じゃなく どこにもたどり着けない階段   でも 一番下は アーチじゃないですか・・・

 

降りてみました。この降りる感じが 何か懐かしいような・・・・ 壊れそうな階段は いくら私でも 一段だって上りません。

 

反対側 こっちのほうが分かりやすくきれいなアーチです。

 

あぁ でも上を見たら・・・怖いです。

 

これは撤去も難しいのかな

 

上の道路側も アーチでしたが こちらはコンクリートです。

 

家に帰って 調べてみたら 過去に来ていました。2007年7月 niemonさんの データーの追っかけをして・・・懐かしい感じしたはずです。平野町 23   住所表示板の左 アーチののぞき穴             マンホールのふたは あじさい です。

 

 

gooブログに ログイン 画像 昨日は ずっとできませんでしたね。

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あけましておめでとうございます。 本年も仲良くお付き合いのほど よろしく お願い申し上げます。 

             

 

25日 観光ではなく お見舞いの為 高速バスで長崎に行きました。 お見舞い時間調整の為 歩きました。長崎市 浦上天主堂です。

 

 

上の写真の左手前 レンガ塀の一部が見えていますが 【聖者たちの石像 原爆によって破壊された聖者の石像】です。

今回は 天主堂は 前を通っただけで入っていません。 残念ながら、それほどの時間はありませんでした。

 

1945年8月9日 原爆により天主堂は破壊され 北側の鐘楼は 現在の位置まで崩れ落ちました。

 

その破壊された旧浦上天主堂の被害を 当時と同じ場所で物語る唯一の遺構となりました。

 

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、2024年のノーベル平和賞を受賞しました。

普段は忘れている私達も せめて今年は被爆80年 被害者の方々に思いを寄せることができたらいいと思います。

 

工事中だった長崎駅が完成しています。 後ろに見える山は 稲佐山です。今 戦争中の国もありますが 2025年が 平和な年でありますように祈ります。

 

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宗像ユリックス・・・近場です。 友人を誘って、プラネタリウムへ・・・ 【銀河鉄道の夜】12月22日 に行きました。

 

12時開演なのに チケット販売は自販機で10時から 80席限定だから 早く行って確保

 

これがプラネタリウム

 

このプログラムを私は 2007年に2回見ています。 その後 映画会とか 演奏会とか行くたびに アンケートに 希望を書き続けました。 やっと実現 17年ぶりか~ その時のチラシです。

 

KAGAYA氏によるCGが頭上に広がり美しい音楽と満天の星空の中銀河鉄道に乗った気分です。


    2007年のチラシです。

 

お芝居は 前の方の席がいいかもしれないけど プラネタリウムは後ろですね。すべての案内灯が消えると同時に 空がまあるく一面 この場所が こんなに広かったかと 誰でも思います。

全く 自分が汽車に乗って 銀河をめぐっているようです。花巻の童話村にも 夜に行ったし 思いだして星空の中です。 線路の両脇には ススキ そのあとは リンドウの花が一面に。。

 

プラネタリウムだから映像を見る為で 内容としては ほんの少しです。

 

これは 賢治さんの眠るお寺 身照寺さんで求めた 御朱印帳 銀河鉄道です。

 

花巻からJRで平泉に行った時には・・・。 銀河鉄道ですよ。 

 

宗像ユリックスのプラネタリウム 1月もあるようです。 お近くの方 お調べの上 いかれてくださいね、

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カップを見ただけでおいしそうでしょう? 11月4日 小岩井農場の続きです。

 

これだけは 見落とせないから 友人と二人で探しました。

 

景色が映り込んで見えにくいでしょうが・・・案内板にありますが 署名は 賢治さん自筆だそうです。

    すみやかなすみやかな万法流転(ばんぽふるてん)のなかに

    小岩井のきれいな野ばらや牧場の標本が

    いかにも確かに継起(けいき)するといふことが

    どんなに新鮮な奇蹟だらう

                  宮沢賢治

 

心象スケッチ【春と修羅】自費出版本 小岩井農場の詩は591行という最も長い作品です。自筆の原稿 コピー 

 

 

四号牛舎です。 国指定重要文化財です。サイロもあります。ここは中に入って見ることができました。もちろんカウンター越しです。

 

 

 

一号サイロ、二号サイロ 木製でした。国指定重要文化財です。

 

もうもう号にも乗りました。 向こうまで行けば 鞍掛山が はっきり見えるんじゃないかと思って・・・・

 

でも そうはいきませんでした。 岩手山の右下に重なっています。 盛岡までのバスは12時です。 滞在時間2時間半 まぁ よく動きました。

 

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前回ご紹介した英彦山(ひこさん)は福岡県田川郡添田町にあります。 その後のダムに行く道の津野という所に ちらっと見てしまいました。旧数山家(すやま家)をご紹介します。

 

 

案内板がありました。

 

案内図によると、 囲炉裏のある部屋が広間 その奥の戸棚のある部屋が中の間 一番奥 床の間?があるのが 座敷

広間の左側 ひきだし の見える部屋は茶の間 です。天井がそれぞれ違うんですよ。

 

これは分かりました。 唐臼(からうす)陶器の窯元で見ました。 手前は脱穀機。 私は田舎に住んでいますが 農家ではなく、特に中学まで 米軍基地があり 生活範囲内に農家は無かったから 農機具は分かりません。 友人達の手ぶり足ぶり?の 講義が興味深かったです。(高校時代の友人で町外)

 

かま おくどさんといって我が家にもありました。 後ろに井戸が・・・井戸は祖父の住む集落にあったから憶えています。

 

みそべや です。

 

壁にかかっているみのを見て Cちゃんと私 同時に・・・

 みの着て 笠着て クワ持って~  お百姓さん ごくろうさん 

 今年も豊年満作で~ お米がたくさんとれるよう   朝から晩まで お働き~ 

最後まで歌うのを Fちゃんが 笑いながら聴いている・・・

 

左 唐箕(とうみ)は農具だから分からないけど 右 夏場用 ご飯粒が竹の網目に絡まないように布巾を敷いて ご飯をいれてこんなふうにぶら下げてあった 風を通さないとご飯が腐るんですよね。怪しくなったら それを洗ってカラカラに干して 砂糖混ぜてホシイイさん と言っていた。

 

 

まや(馬屋) この古民家 藁屋根の厚さがすごく厚かった 他にもいっぱい気になって写真はまだありますが割愛。 

 

友人2人の言うのが最初 分からなかった・・・外の濡れ縁は分かるけど 奥を覗いている 金網があったよね? って。 あります。

床下で 鶏を飼っていたというのです。 これは初耳 うるさくて寝られないでしょう・・・

 

石橋進ですさんのご要望にお応えして 歌です。

童謡 おひゃくしょうさんのうた キング児童合唱団  (赤盤 SPレコード)

 

 

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8年前の昨日、熊本地震で被災された方々へ 心よりお見舞い申し上げます。

 

二俣橋の後 上の道路に出たら すぐ右手に 小筵橋(こむしろ橋)が見えて それから 年禰橋(としね橋)の上部が見えて 左下には (豊野町の)山崎橋が見えるのです。  友人が 行く? と気を遣ってくれますが時間がなく、我慢して 一番会いたい大窪橋へ急ぎます。

大窪橋は、既に葉桜になり 橋の上部が桜色でした。

 

残念ですが 足場の悪い場所ですから 雨の日をやめて 桜に間に合いませんでした。

年賀状は毎年毎年 この角度の桜の大窪橋でした。そうか 過去じゃなく今年もでした。

 

被災した年の9月の写真です。パッと見て 特別変わってなかったから まずホッとしました。

会報で 上流側って書いてあった・・ ここかな~  こんなに丸いところあったっけ・・・?

 

今回です。

 

石橋の上から 都留川下流を観ています。無理やり桜の後ろから撮りました。

 

いつも思うけれど これが最後かもしれないから 案内板です、

 

 

案内板に書いてある 車通篇可ら須 (車通すべからず)の石碑です、

 

さぁ 帰り道はもうここを通りません 名残惜しいけど お別れです。これから阿蘇の方に行くのに霊台橋を 通っていきます。一本道で途中の石橋も寄りません。 霊台橋です。

 

右側の端っこに 建物が見えています。 そこで食事をしたことがありますが 今回はお休みでした。

 

これは震災後の写真です。 過去記事より 

高欄にわずかなずれ・・・ こういうのですね。 楔がはめ込んでありました。

みえますか? 小さな石がはめ込んであります。

 

今回 ここでも 桜は 葉桜になっていました。

 

上流から すごい水量です。  放流しているのかな?

 

熊本県美里町の 大窪橋と 霊台橋をご紹介しました、

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最初に 4月14日は 熊本大地震の日です。 8年前のことでした。 被災者の皆様へお見舞い申し上げます。

7日、日曜日 お天気は心配でしたが 熊本県美里町に石橋探訪しました。友人の運転です。

二俣橋は 3つの石橋を同時に観ることができます。まずは 二俣福良渡目鑑橋(ふたまたふくらわたしめがねばし) です。左端 地震で壊れ復元されたものです。

 

上の写真と見比べると ブルーシートの分欠落しています。後ろに見えるのは並行してあるコンクリートの端ですこの姿を見るのは 本当につらかったです。

 

これは被災前です。民家とも近く、花が咲き 趣のある石橋でしたが 壊れました。

 

これは今回の写真です。以前は河川敷に降りられたけど 左、まるで滑り台のようで 降りられません。ほぼ直角に曲がった 手前の欄干 小筵二俣目鑑橋(こむしろふたまためがねばし)から撮っています。

 

以前は降りられた 二俣福良渡目鑑橋左河川敷 から撮った被災前の写真です。3つの石橋が見えます。

左は二俣福良渡目鑑橋 右は 小筵二俣目鑑橋 その後ろに鉄骨車道橋の奥 年禰橋(としねばし)が見えています。

 

小筵二俣目鑑橋 この柔らかい感じが 私は好きです。ここは降りられるから下りてみますね。

 

下から見た所です。2つの川がほぼ直角に 合流しています。

 

ここは近年 ハート形に見えるということで 若いカップルにも人気のようです。愛の鐘なんてのもあります。

 

日が差したらのことで これは以前の写真 ハート形分かりますか?

 

最後に 石橋だと分かり難かった グレーの鉄骨の橋ですが その奥にみえるのいが 年禰橋 です。4連なのです。 一番奥に アーチの名残? 気持ちで観てくださいね。。

 

地震の前、自分には分かるけど ややこしい説明になり失礼いたしました。

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