モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



途中までの記事があるんですが でもさびしい冬のベランダから 私たちのことは無視~? って言いますから・・・・

鶏頭ですけどね やっぱり季節を間違えたから・・・・・ここまででした。。。 もともと水仙の棲家ですからね。抜いてしまったけどまた種が落ちてるかな?

 

四季咲きなでしこは がんばって咲いています。。

 

 

ヒアシンスが雪の朝 やっと咲きました。。。 外だから1か月以上かかりました。。。 室内じゃ早すぎるもんねー

そして昨日・・・・春爛漫って顔をしています。

 

室内の方 これは 根を楽しめます  馬鹿な私は気になって1回引き抜いたんです。 まん中が細くなった瓶・・・・ もう元通りには入りませんでした。 

よく見たら真ん中あたり 収まらなかった根がはみ出してるでしょう?

 

クモマグサ かわいらしいです。。。 なんか名前が可愛くないです・・・

 

おしゃれな雑貨店で買った ジュリアンも次々に開きます。。

 

草刈り

自分が食べた枇杷の種から育てた枇杷の樹 小さな雑草がびっしり だから草刈りをしました。100円ショップで買ったノコギリ鎌が便利です。

 

半径×半径×円周率 小学校で習う円の面積 大体の数字・・・このくらいしか必要ないし・・・

直径35cm です。  17.5 × 17.5× 3.14 ≒ 962 ㎠  小学生の皆さん ちがってないかな?

虫の来ない薬の量を計算したんです。。。。 このくらいかな?

 

 

 

いつの間にか 1月も終わりですね。。。風邪をひかれませんように・・・

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小説に出てくる場所を歩いています。  工事が失敗したときの見せしめの5つの磔(ハリツケ)台は大石堰にありますが実際にはここ長野堰にあったそうです。

現在は稼動していない長野堰 川は隈上川です。上流からで、 左岸に水神社があります。

 

サイフォン方式というそうです。 大石堰から来た水が 隈上川の下をくぐっています。 穴ではなくガードレールの端っこっておっしゃいました。

私がなかなか分からないもんで 白鷺が飛んできて ここだよ って言いました。

 

くぐって出てくるのは こちらです。  長野水道です。 左側が長野水神社です。

 

水神社の鳥居  奥に本殿が見えます。

 

手水の石は大石堰の石だそうです。 五庄屋の家紋が配してありました。 

手水石の説明  この石は 寛文4年(1664年) 五庄屋が、長野水門を作った時の天井石です。噴水口には五庄屋の家紋が彫ってあります。(案内板より)

 

 

それぞれの辺に5人の庄屋の家紋です。。  山下家は中段右側 です。

 

この神社は五人の庄屋を祀って五霊社ともいわれます。 明治44年っておっしゃったと思います。長野水神社をご紹介します。

ふつう 水神(すいじん)さん っていうけど 神社は 「みずじんじゃ」 って読むそうです。

 

記念碑です。。 写真は大きくしたら文字も読めます。。でも見たいのはきっと私だけですね。 割愛します。

でも石は これも大石堰のもので 昭和34年に造られたそうです。。 台座の文字も読めました。確か竣工後100年に彫られたっておっしゃってました。。

 

竣工350周年の 記念碑です。 難工事の途中 これは100年後200年後 も役立つってわかっていました。 流域多くの方の命を守っています。

 

帚木蓬生著 小説「水神」に出てくる場所 長野水神社を 浮羽歴史民俗資料館の樋口さんが案内してくださいました。   

小雨が降って傘をさしての見学でしたが もっともっとお聞きしたかったです。

つづきはまた・・・・ 本を読み始めた方がおられたら嬉しいな・・・

 

続きは 水神 (3) 弓達神社を訪ねた記事です。



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私は川が大好きです。 この本は 江戸時代 水不足で、不作の時には食べ物もなかった苦しい農民のために 5人の庄屋 が 身代なげうって 命がけで 筑後川から水をひくために堰渠を作ったお話し。

著者は 帚木蓬生 さん 近隣の方です。 

細かいストーリーは省きます、、、、 ぜひ読んで欲しいから・・・・  私はどんな所か知りたく原鶴温泉に行った折に 訪ねてみました。。

生葉 という地域 現在のうきは市吉井町  のお話です。。  このあたりかな? 信号に生葉とかいてあります。 もしかして イクハ が ウキハ になったのかな?

 

友人とよく筑後川をドライブします。 去年の豪雨では 水に浸かったテレビや家財道具を出してある民家をみて胸が痛かったです。

土手の下に 水神様がありました。 右側方面が耳納連山 左側が筑後川の土手です。

 

浮羽歴史民俗資料館です。 

ここに(五庄屋 のひとり この物語の主人公は 山下助左衛門)  山下家に伝わる絵巻物の写しが展示してあります。

 

 「 大石堰
江戸初期の浮羽地方は、筑後川の沿岸にありながら土地が高く水利が極めて不便なところで水田にすることができませんでした。五庄屋(栗林次兵衛・本松平右 衛門・山下助左衛門・重富平左衛門・猪山作之丞)は、筑後川の水をこの大石から水道へ引き入れ送水して下流域を水田化しようと決心しました。
寛文三年(1663)九月にこの計画を久留米藩に提出し、同年十二月にこの計画が採用され寛文四年(1664)一月藩営事業として工事が始められて、三月 中旬に開通しました。翌年寛文五年に溝幅が拡張され、続いて六年、七年と拡張工事が実施されました。更に灌漑面積を拡大するため、延宝二年(1674)難 工事の末、大石堰が完成しました。その後、農民の永年の苦労と努力にささえられて現在のような米作りの盛んな水田地帯となりました。
(尚、江戸時代の大石堰は昭和二十八年(1953)の大洪水により甚大な被害を受け破損しましたので現在の大石堰はその後完成したものです。)
              うきは市教育委員会  」


大石堰です。。 現在の堰ですが5庄屋の命がけの事業があってからこそ・・・ですね。 筑後川から 取水口までです。

 

大石堰には 工事が失敗した時のみせしめに 5つの磔(はりつけ)の処刑台が立ててありました。。。実際にはその磔台は長野堰にあったそうです。

 

工事中に 水門からの戻り水で ひとり亡くなります。 5庄屋は最初から誓約書を書いているから磔を覚悟しています。

 

下には水神社があり 三堰の碑があります。  小学校で習うそうです。 余分な説明は省きます。

 

大石堰から もう一度 浮羽歴史民俗資料館に戻ったら ゆかりの場所を案内していただくことになりました。

はりつけの処刑は・・・・・・・・・・・・つづきはまた・・・

ポイントごとにまたご紹介しますのでお楽しみに・・・・  ほら読みたくなったでしょ? 新潮文庫 上下巻 各578円です。

  

この続きの紹介 「水神」 (2) は  1月29日の記事 です。



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長崎県に着きました。まずは松浦市 79番札所 善福寺さんです。 立派な山門を入ると左側に・・・・皮だけしか残ってないような柿の木がありました。現役です。

樹が皮だけのようなの分かりますか? 先達さんも色々で今回は古木は紹介されませんでした。

 

長崎県指定 重要文化財の鰐口です。  鰐口って神社でいえば鈴かな?

 

柿の樹よりも、由緒ある鰐口よりも もっと珍しいのはご住職・・・・・ギター説法のご住職です。

ご自分で作った歌の中から 輝き という歌を 披露されました。 手にはギター ハーモニカもかけています。

かがやき カンパーイ    カンパーーイ かがやき カンパーイ    カンパーーイ

かがやき バンザーイ    バンザーーイ かがやき バンザーイ    バンザーーイ

聴衆参加のコンサートのような時間でした。 青い文字はご住職の声赤い文字は私たちの声です。

  

 

そして平戸に向かいます。 バスの中から平戸大橋が見えます。 長崎県の地図の平戸の・・・上の方に行きました。

島が分かれていて 平戸でも 左側の生月に渡る“生月大橋”は最近勤務先が補強工事をしたからみたかったけど・・・そっちに入っていません。

 

 

77番札所 最教寺、奥の院 とっても大きな三重塔がありました。右が本堂です。 お参りの後 登ってみます。。

 

1番上から 平戸城がみえました。 遠いんですけどズームです。

 

移動中 車窓から石橋を見つけてしまった・・・・・平戸といえば幸橋だ・・・・・ それからが もう私 日がくれないうちにホテルに着きたいとそればかり・・・

 

そんな気も知らず 78番札所 開元寺 ここは本堂はありません  田の浦 という地域で一番の見所のようです。

空海が遣唐使として唐に渡るとき 艫綱を解いた場所(出港した)だそうです。 山の向こうの矢印 若き大師が唐の方角を指しています。

 

 大きくしますね。。  

 

さぁ ホテルです。。。  「吉」と出た・・・・  千如寺に行けなかったこと バスが小さかったこと 私の二つの不満はホテル到着が1時間も早くなり・・・・

私は・・・・ 近くに石橋があるって知ってるから食事までの1時間を有効に・・・・・タクシーを頼みました。

そのことはまたの機会にして ホテルの夕飯です、、、、 御馳走でしょう? 撮ってないのもありますよ。。。ヒラメのお刺身や 陶板焼き

 

 

 

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今年初のお遍路です。。一泊二日で14ケ寺を周ります。 今まで16人でも大型バスだったのに 今回19人で中型・・・・ほぼ満車です。

でもラッキーなことに1日目 一人の席です。まずは福岡県糸島市 107番札所 隆善寺さんです。参道に17日に降った雪が残っています。

 

本堂です。 ここはお地蔵さまのお寺ですが 珍しく将軍地蔵っていうそうです、初めて聞きました。

 

次にお参りしたのは 千如寺 11月に大楓を観にいったお寺です。 大きな観音様が ど迫力 です。

・・・・のはずですが雪のため行けません。 左の道路ですが 全然雪がないのに、まだまだ途中までは十分行けるのになぁ~。

 

それなのに・・・・・あろうことかコンビニの駐車場で車内からのお参りです。 この日の先達の尼僧様は副住職が降りてきて嬉しいと、くり返しくり返し翌日までもおっしゃってました。

私は千手十一面観音様にお会いしたかったです。 ここから雷山を観てお参り・・・・ 遙拝(ようはい)って言うそうですね。

 

唐津海道歩きで歩いた道を通り 佐賀県に入りました。唐津市です。 千如寺に行けなかったから10時半だというのに昼食です。

11時半の予定をレストラン開店時11時15分に合わせて貰って・・・それでも45分も待ち・・・・ここは おさかな村といって大型バスが何台も入る休憩場所です。

でも出発したばかりで 買い物する気にもなれない。。。 ランチは・・・・これはさすがに美味しかった。小学生の男児がクジラの竜田揚げを買ってと言ってます。

 

唐津市の札所 80番 鶴林寺さんです。 天井に一つ一つ四国八十八ヶ所と西国三十三観音の御本尊の仏画がありました。

 

子安大師・・・本堂の左側に見える子安観音様のお足もと 寒そう・・・・それと本堂の右側雪です。

 

次は 81番札所大聖院さんです。 鶴林さんに鶴はなく・・・・大聖院さんに鶴がいました。

ご住職のご詠歌・・・・同行二人 いいお声でした。ありがたや 行くも帰るも留まるも われは大師と二人連れなり

 

本堂の横にまわってみたら・・・・・ 中国の神様のようです。。。 「神道」って書いてある ってどなたか言われたけどどうみても・・・・

帰って調べたけど  道神 じゃないかなぁ~  五道神っていう中国の民間信仰の神 残念ながら画像がなかったけど私はこれだと思う・・・

 

福岡・ 佐賀 のあと これから長崎県に向かいます。。 ところでタイトルの 吉か凶か ですが

千如院に行けなかったことが残念ですが 昼食が30分早くなったんです。。 ホテル到着が少しでも早かったら・・・・・いいことがあるか ないのか ・・・・。ついてるかついてないか・・・・



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芦屋町は明治24年に町制が施行され 2011年 120周年を迎えました。 それを記念して かるたの製作事業が行われました。

絵札 と 読み札があり 絵札の裏に説明書きがあります。 大還暦・・・・60歳が還暦で その2倍120歳は大還暦だそうです。

 「あ」 芦屋町 大還暦の 祝い事  祝い年 (まちがってました)

 

「い」 伊万里焼 諸国に広めた 旅行商人 

 

説明書きは こんな風に・・・・・ 書いてあります。 これは 「い」の絵札の裏です。

 

「う」 海の幸 いかにいりこに みりん干し  

私 イカはスパーでは買いません。。 早朝 色が透明なうちに買えます。

 

「え」 江戸の世に 賑わい 栄えた 芦屋千軒

 

「お」 おくんちに 狩尾神社の 神楽舞う

芦屋町は 遠賀川をはさんで 大きく 山鹿 と 芦屋 に分かれています。 私は芦屋側ですから氏神さまは岡湊神社ですが 狩尾神社は山鹿地域の氏神様です。

 

波懸大橋 の下です。 ・・・海と川の境に鳥居があります。 ここから下を海沿いに歩くこともできます。

 ここが狩尾神社と思ったら違ってた・・・・ 歌碑がありました。 高山彦九郎正之 

浪懸(なみかけ)の 岸に望めば から國も 

   海をひとえの となり也けり 彦九郎正之

 

狩尾神社に行ってみます。。。 こちらです。。 天保六年・・・の文字

 

本殿です。。。。 私 三社参りってしたことないけど 岡湊神社 宗像大社 狩尾神社 図らずも三社参りしてしまった。。。。

 

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阿蘇ファームランドが 愛車最後のドライブだった事は、ご紹介しましたが 帰ろうと思ったらキーがありません。駐車場の前です。

車に近づいたら ピピー って鳴るはずだから、ないのは確かなんです。。。 なのに無駄に探すこと2分 男性が近づいて 「キーをお探しですか? 」

総合事務所に届けてあります・・・って。。。 なんとラッキーな・・・・・ 後で思うとほんとラッキー。。

 

 

ここに事務所があるって・・・・・ 実は写真どころじゃなく この写真は呑気にお店を観て 角松が珍しくって撮っていたものなんです。

拾ってくださったのはスタッフの方でした。 こんなこと初めて・・・ 帰れなくなるところだった・・・・

 

そして ほんとに最後の日 今からダイハツさんに車交換行きます。 無事故でありがとね~

 

ダイハツさんまで10分ですが 途中最後の洗車をすることに・・・・・・・ 普通はこんな写真ないんですよ。

前に 前進 か停止 かの文字が出てます。。。  実は 途中で止まってしまったんです。。 水は出るけど ブラシが凍っていて・・・

 

最後になって なんか 車がすねているように思えました。。 ごめんね。。。 

そして新車のお祓いにそのまま宗像大社にお参りしました。 全国の宗像大社の本社で国宝がたーくさんあります。写真は祈願所です。

 

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阿蘇には色んな季節ごとに行きますが 今回は長い間お世話になった愛車で最後のドライブです。

 

阿蘇ファームランドは初めてでした。たくさんの施設があり、食事のため立ち寄った私は目を見張るほどです。ワクワクします。

左側は動物園。隣は電飾が・・・・夕方ならきっと別世界でしょうね。。 この右側にレストランのある建物がありました。

 

 

まずは腹ごしらえ。。。。  七草粥で胃をいたわるほど御馳走を食べてなかったから この日はステーキ定食・・・阿蘇赤牛です。。。

 

 

前出の右側のアーチを通ってみました。動物園が左に見えます。 キリンとか象じゃなく ゆったりしたカピバラ のそ~っとゆた~っと動いてるのが遠くに見えました。

ヤギもいました。 この鳥 昔宮崎の青島で観た インコに似てるけどわかりません。

 

 やっぱりオームの仲間かなぁ~  少し大きくします。。。 バッチリでしょう?

 

いろんな施設があります。 還元温泉 健康や癒し系のもの エステ サンリオ館もかわいい小物が見えました。 トトロも・・・・嬉しいことにはメイちゃんも・・・

 

阿蘇健康火山温泉・・・・湯気が出ていて 入りたかったけど時間がありません。全部素通りです。

オルゴール館 石ころ館 ガラス館 ・・・・観たかったなあ~

 

 

阿蘇ファームヴィレッジ 受付があるけど入れそう・・・・展望台があるようです。  先にもう一個アーチがありますよ。

 

 

 コテージ村 ここから先は宿泊施設です。。。 冬休みも終わり誰もいないから入ってみました。

 

かわいい塔の前 展望台です。。登ってみました。

 

これが宿泊棟ですね。 阿蘇山から見下ろしたら メロン畑のように見えて どんな所か行ってみたいと以前から思っていました。

 

いつか泊ってみたいなぁ~    6人くらいがチョウドイイかな?

 

今日は阪神淡路大震災の日ですね。 長崎の姪は当時神戸に住んでいて罹災しました。 あの日 「もしも」という時のために腕に実家の電話番号を書かれた姪孫は成人式を迎えました。

 

犠牲者のご冥福をお祈りします。 



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水神  


昨年の写真で・・・・・食べたものだけUPしてもね~ と一旦 置いていました。 熊本市内でのランチ

市内に友人がいて 日帰り温泉に行った時のものです。

 

私はうなぎは食わず嫌いで・・・・・ 豚肉の生姜焼き定食  薩摩の肉です。厚切りで濃い味付けです。 見えにくいけどサラダ添えです。

 

なぜ・・・・・いま思い出してUPするかというと・・・・・いつもコメントを入れてくれる 石橋進さんの勧めで

今 『水神』という本を読んでいて、 大好きな筑後川の話ですからはまっています。 それで・・・・・

そういえば 水神さんの写真を撮ったなぁ~ って思い出したんです。。 うなぎ屋さんの敷地内です。

 

 

いつも川や橋に行くから 水神さんを見る機会は多いんですが 田の神さんとちがって形がないんですね。  なにせ水ですからね~。。。。

 

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いつも数字が好きだと書いてますが・・・・車の走行距離じゃないですよ。  今回はホントは算用数字じゃなく三五八で、 さごはち漬けです。。

年末に友人からこうじを貰っていました。味噌を作った残りとのこと。。。。これで作ります。。塩と米麹とごはんの割合が3:5:8で三五八漬けというそうです。

でも・・・・米の麹 と書いてある 米は糀 で 麦は麹 だと思ってた。。。 もらったのがどっちか分からないけど・・・

 

ネットで調べて 1:2:4 にしました。簡単だから・・・①まずおかゆを作ります。  ②できたおかゆを60度くらいに冷まして糀を混ぜます。 それから塩を混ぜて三五八の素になります。

③それを10日くらいおいたら出来上がり  野菜を準備します。

 

 

容器にジャポンと入れたんじゃ「素」がダメになりそうだから、ビニール袋に三五八を小分けして大根やキュウリを漬けました。

味は・・・・ しょっぱかったです。  2回目になると白菜も入れ 今度は上々・・

 

ホントは三五八を使って 茄子の辛子漬けを作るのが目的です。。 バラ園主に貰って美味しかったから・・・。

①なす 500g を半月に切って 塩15g をまぶし30分くらいおいて 水気を絞る  

②砂糖120g 醤油50cc みりん50cc 三五八 100g  粉辛子15g を混ぜる 

 

 

(ここまでできて 買っていた辛子が見つからず 仕方なくまた買いに行った・・・) 後で出てきたけどね。

①と②を混ぜて密閉して 翌日から食べられます。。(ネットより)

 

漬物ってホントは おまけのようなもんでしょうが私は 漬物だけでご飯を食べられます。

 

 

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