モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



伊豆の旅 ちょっと休憩しますね。。。


中国障害者芸術団の公演を観ました。

もう皆さん ご存知だと思いますが千手観音の美しい踊りです。

2階16列目(S席)ですが中央なので 1人に見え後の踊り子さんが見えない
から文字通り神々しいまでの千手観音でした。。。

舞台の両袖でお二人...客席に背を向けて音楽の聴こえない踊り子さんの為に
コンサートの指揮者のようにずっとリズムを、強弱を、“振り”で指揮されます。





司会の方の手話はそれは美しく、あたかも鳥が羽ばたいているように見えました。

事故で両腕を失った青年が足を自在に使い、田園風景の中の日常生活を表現しました。

車椅子の女性が、美しい日本語で 涙そうそう を歌いました。

京劇は、視覚障害者と聴覚障害者が一つの舞台に立ちました。

聴覚を失ったベートーベンの 月光を 聴覚を失った方が 演奏されました。
あんな月光を 聴いた事がありません。。。

視覚障害の男性が 乾杯 の歌を。。。
ご自分では見えない その衣装はスパンコールが いっぱいでとびっきりきれいでした。





渡された小旗を力いっぱいふりました。 旗の裏側は
We are the world  四海一家  と書いてあります。。。。

一瞬の暗転で次の演目に替わり、息つく暇もない90分でした。

視覚障害の方の歌 踊りには 手が痛いほどの手拍子と拍手を。。。

聴覚障害の方の舞踊には手を振り続けました。

どのようだったかだけ お伝えして どう思ったかは書いていません。
私の少ない語彙で表現できない。。

だから   ありがとう。。。。



☆~☆~☆~☆~☆☆☆~☆~☆~☆~☆


今日は ブログを始めて2年の記念日です。1年でやめようかと思ったけど
あと1年と思いました。。その1年が来たけど また延期します。

読んでくださる方有難うございます。 

そして真心のこもったコメントをお寄せくださるお友達(勝手にそう思っています)
それは私の元気の源です。 有難うございます。。





コメント ( 24 ) | Trackback ( 0 )




はい 伊豆の旅 ふたたび発車しまーす。

2日目になりました。朝方の雨がすっかり上がっています。
向うのは石廊崎(いろうざき)です。

135号線 大室山を過ぎたところでガイドさんの叫び声 富士山が見えました。
ココからはガイドさんも添乗員さんも見たことがないそうです。
11月は空気がいいんでしょうね。。写真は間に合いません。一瞬でした。

車中から   サーファーが大勢海に出ていました。。。




地理に弱いので確認しました。静岡県 2日目は西伊豆です。
写真が多いんですが その分(?)文章が短いです。
さささーっと ご一緒に旅行している気分になって。。

石廊崎の港です。上り口には「役小角」の銅像があります。
写真 手前を左から右に坂道をフーフー登っています。




お天気がよくて空も海も美しい!!岩場が見えます。



岩ノ下の方 釣り人です。お迎えの舟の方が緊急事態でこられない時は
どうするんでしょう。。。ケイタイがある時代でよかった。。。。(小さな赤と青)
写真中央下の方 見えるかなぁ。。。




振り返ったら灯台が見えます。



なるほど。。。。




ちょっとよじ登ってカメラだけ不法侵入して撮りました。。



石廊崎でした。。ここまでかなり歩いています。。。

昼食を挟んで次に向ったのは、やはり西伊豆 
堂ヶ島めぐりの遊覧船です。これはオプショナルで920円でした。。。



ちょっとの時間だからデッキにいました。



色んな島(?)があります。何かに似ていませんか?
答え・・・・・象岩です。。。。



この遊覧船の目玉。。。この洞窟内に入って行きます。ぶつかりそうですよ。
舟が鉢合せにならないように合図をします。



そして目玉の中の黒目  上がぽっかり開いて歩いている人も見えますよ。
「天窓」(てんそう)っていいます。人じゃなく天が写っているのを選びました。


  

お疲れ様でした。。。船酔いしませんでしたか?

コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )




伊豆の旅。バスに酔われるといけませんから ちょっと休憩しましょうね。。。。


 の嫌いな人はいないと思うんですがウチはあまり無いんです。

ほんとうは父が19年前に亡くなって いつも花は供えてました。
モモが死んでからはお供えというより可愛い花をきらした事はありませんでした。

ある日ミニ薔薇アスターの時でした。ちょー苦手な あお○し がいたんです。
 薔薇のほうに。。。でもアスターの方が圧倒的にが多いからアスターに
いたのが移ったと思います。。。それからは、たまにしか買いません。
妹が自分ちで咲いたのを フマキラーを撒いて時々持ってきてくれます。

でも旅行も終わって きっと淋しくなったんだと思います。。。
お花を買いました。 3種類買って一緒に鉢に入れました。。。。 500円、安い!

 

このお花 モモ色はジュリアン 小さなピンクはライオンロック ダイアンサスって
書いてありました。真ん中の黄色は ビオラですよね。名前は「てふてふ」です。

商品のネーミングって大切ですよね。

 

これ 蝋燭なんですが “ 星のしずく ” 消し忘れたらいけないので 短い時間
8分用です。。。 でも他社の商品で5分用もありました。

これが“星のしずく” じゃなく  「洋??号」 だったら.......
私は同じ数字でも5分用を選んだでしょう。。。

こんな単純な消費者のために 生産者は日々研究なさるんですね。(笑)

でも 橋の名前は ふれ○い橋とか おも○で橋とか 好きじゃありません。

食べ物か....せいぜい花と蝋燭。。。

  



コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )




鎌倉大仏  
誰が見ても 美男におわします。
ここも東大寺と同じく大仏殿があったんですね。
1300年代の台風で壊れその後は露座です。

思い出して修学旅行の写真を見ました。階段に整列してみんなかわいい。

鎌倉の大仏さんです。





昼の白い月が見えます。丸くなってきました。(右端に小さく。この日は月齢13日)
一緒に入る位置で撮りましたが頭の上は何なのかなぁ。。。
偶然カラスが通ったのかなぁ。。でも大きいし。。




ここにも小さな橋がありました。




この日の宿 伊東温泉につくまで ガイドさんの頼朝の説明に 義経を
思い浮かべて聴き入りました。

義経が頼朝の誤解を解くため詫び状を書いた万福寺 何とか 頼朝に伝えて欲しい
と大江広元にその嘆願書(?)を渡す 腰越。。なのに伝えてもらえず引き返す主従。
ドラマでもううううううう!と歯がゆくなる所ですね。

それよりずっと前のはじまり。。義経が奥州から数人を連れて頼朝を訪ねた。
その場所も紹介されたから尚更哀しくなりました。
港の名前の文字を「祝」の字に変えたというのに。。。
(忘れたけどイワの字を祝に改めたとガイドさん)

逗子 車窓から 夕日がきれいでした。



車窓から富士山 ここから見えるのは 『このツアー』では珍しいそうです。



 車窓から 砂浜がきれいでした。 




段々少なくなってゆく残り時間(旅行じゃなく人生) 江ノ電に乗って
腰越あたり 回りたいです。。。

1日目の宿は伊東温泉 パウエル伊東 です。。。
それなりでした。
でも翌日にはここがとてもよかったんだと思うのであります。わかるかなぁ。。。


コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )




逆回しじゃなく初日(11月22日)です。

2度目...とは言っても 何と1度目は修学旅行。。う~~んと昔です。
行ってみてびっくりしました。想像(?)と違って。。
カラーと思ってなかった。。。修理されたとはいえ朱塗りだったんだ!!
そうなんです。修学旅行(高2の秋)カラー写真じゃないからなんです。

舞殿をご紹介します。楼門を背にしています。右半分は大銀杏です。



静御前は吉野山で捕らえられて鎌倉につれてこられます。そしてこの舞殿で
鎌倉を称える奉納の舞をするはずですが、この歌を詠みました。

“吉野山 みねのしら雪踏み分けて いりにし人のあとぞ悲しき”

愛する義経への想いをこめて舞いました。きっと、もうこれまでと覚悟を決め、、
せめて最後まで詠みたいと思ったでしょうね。頼朝を恨んだでしょうね。
(私は関連する時いつも書いてますが文字通り判官贔屓です)




そのあとの歌が しずやしず。。です。

「しずやしず しずのおだまき 繰り返し むかしを今に なすよしもがな」

こちらの方が有名(?)かな? 
修学旅行のときの説明でその元歌のことも聞きましたが、状況は分かるけど
歌は忘れました。


源氏池の鳥たちです。平家池にも飛んでいきます。
一羽は 溺れているようにみえます。




大銀杏です。

幹周6.8m 樹高約30m 樹齢伝承1000年以上 石段の途中にあります。

3代将軍源実朝が、通りかかった時、銀杏の中に身を隠していた公暁(甥)
に殺害されたという伝説があります。



銀杏は中国から来たもので鎌倉時代はなかった。
この木の樹齢はせいぜい700年。
仮に当時この銀杏があったとしても、人が身を隠すほどの大きさはなかった。
という説もあります。でも伝説は伝説でいいでしょう。。




太鼓橋です。渡る事はできませんでした。行く前にお友達から聞いていて
これも楽しみにしていました。






自由時間は少しですが、そのあと鎌倉彫のお店を覘きました。


コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )




2泊3日で鎌倉・伊豆に行きました。
とても寒いと思って マフラー 手袋 ホッカイロ 持っていったんです。

嬉しい誤算で暖かく、そうなると邪魔です。2日が過ぎて、お土産も買ったし
要らないものをホテルから送ったんです。

その時にまだ撮れるのに、カードを差し込むところのカバーが外れそうだったから
2日分でも安全なように、カードを交換してSDカードも送りました。、
たったあんな小さなもの荷物にならないのに なんで送ったかなぁ。。。

まだ届かない(日時指定)から記事が書けないんです。
入ってる分はあるから、モチロン行った順じゃなくていいけど繋がりがまずくて。。。

だから帰る時の話をしますね。(笑)

最後が国道も東名高速も渋滞して 旅行会社の想定内の渋滞を遥かに越えた為
羽田で予定の夕食は抜きでした。 機内用のお弁当を買う暇さえなく.....というか
乗れただけマシ。。
到着飛行機も遅れて搭乗手続きも遅れていたから。。

車窓からの富士山

バスは日が照る時間に出て 夕日になって 月が出て、7時半の飛行機なのに
空港に着いたのは7時13分でした。(出発が10分遅れました。)

ツアーじゃなかったら私なら乗れない。。。(パニック!!)

でも物は考えようで おかげで得したんです。

美しい横浜の夜景ベイブリッジの手前から、そして渡りながらずっと観る事が
出来ました。夕食よりもずっといい時間でした。

 

富士山も都会の夜景も、途中で見えなくなりましたが 真ん丸い月は最後まで
私と一緒に帰りました。。。

  

あれー? もう旅行は終わったみたい。。。まだ始まってないんですよ。。。。

  



コメント ( 18 ) | Trackback ( 0 )




肝機能の精密検査ってなにをするんですかー???

 先月 健診を受けたのですが結果通知が来ました。

実は2泊3日でツアー旅行に行ったんです。行く前の日に通知が来たから
開けないでおこうと思いました。悪かったら気にして面白くなくなるから。。

でも封筒の上から 触ってみると 小さい封筒の形がありません。
精密検査の場合 封をした病院宛の封書が同封されているはずナンです。

やったー  と思って開封しました。異常なしがズラッと並んでいます。
安心して旅行に行けると。。。 半折りの反対側を見たら 蛍光ペンの黄色が
3箇所。。。

肝機能に異常を認めます。。判定は  E です。


 

精密検査ってなにをするのーーー??



コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )




昔 会社の旅行で行ったことがあります。でも忘れてました。駐車場が
まん前だからこんなに真下からです。




中に入りました。宮本武蔵展があっていました。私は「超ファン」です。

次の階です。島原の乱....私達は学校で学んだり、歴史の物語を読んだり、ドラマ
を見たり色んな事で断片を知る事がありますが、すぐ忘れます。(私は)

でもその地に行ってみると絵として残るから少しは心に残ります。。。



少なくとも 今 島原の乱とは...って聞かれると 今なら答えられます。
(忘れるでしょうが...)

展示品の中で、キリシタン弾圧を受けた時に大部分の住民(隠れキリシタン)が
隠し持っていたマリア像に胸が痛みました。
仮託像....鬼子母神に仮託したマリア像ほか いろんな仏像に仮託した像。
また台座や見えないところに十字架があるもの。。

踏み絵の実物も観ました。今でも似たようなことをさせる人もいます。

天守閣からは東西南北 それぞれの風景を観ました。
西側の眉山 と 北側の長洲港 阿蘇 等が見えます。(方角大丈夫かなぁ)

せっかく持っていたコートも手袋も車の中において、とにかく 寒かった。。

寒すぎて目に付きました。



降りてきてすぐお店へ。。。寒ざらしぜんざい 300円 
これは☆はあげられません。



記念写真撮影スポットがありました。



帰り道 やっぱり石垣が呼ぶんです。。。もう帰るん~??って。。。
お城の島原の乱の絵の中に この石垣をよじ登る秋月藩士の絵がありました。




実は私 お城を訪ねて回ろう。。。と思ったこともあるんです。 昔。。
でもこちらは軍資金がかかりそうですから。。。。

コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )




島原の石橋は3基さがします...最後の3基めを探しています。

ポンプの横に元船津町と書いてありました。有明海に注ぐ川 海も近くです。
船津です。このポンプは防火用かな。。。ポンプじゃ間に合わないけど隣に高い
水槽らしきものがありました。でも川のほうが近いからねー。。
でも引き潮の時は水がないしねーーー。




石橋を探しながら山を見ました。これが普賢岳かと思ったんです。違うんですよ!!
昨日の記事の背景の山です。



少し近づきました。
近くのお店の方に聞きました。普賢岳はここからは方向違い。。
この山は前山といい、200年位前に爆発したそうです。




『肥後迷惑』 の話を聞きましたが、あいまいな話を紹介するといけませんので
調べました。

☆~☆~☆~☆~

寛政4年(1792年)に長崎県でおこった雲仙普賢岳の噴火およびその後の眉山の
山体崩壊とそれに起因する津波災害。津波は島原対岸の肥後(熊本県)にも大きな
被害を与えたのでこのように名付けられた。

☆~☆~☆~☆~

火山活動が収まりかけた頃大地震によって城下町の背後の眉山が大規模に崩壊し、
大量の土砂が島原の街を通って有明海へ向かって流れ落ちた。


因みに眉山とおじさんの言われた前山は同じです。




それで熊本県に迷惑料を払わなくちゃいけないけど 払えない。。。
そこでこの山を熊本県に上げたそうですよ。

だから 熊本営林署の管轄だったそうです。今は返して貰ったのかも知れない
って。

妹とふたり この方と道端で話し込みました。70歳くらいの知的なおじさん。

どこから来たのか聞かれたので北九州 県外ではそう言わなきゃ遠賀郡なんて
言っても分からないでしょ。。そしたら北九州のどこかって。。 八幡の近く。。
もっと聞かれます。最後まで言いましたよ。


数年前まで小倉の紫川近くに住んで....住金(住友金属)にお勤めだったそうです。



山は自分がどちらの県のものかは知らず昔と同じようにただここにいるだけ。。。







「島原大変肥後迷惑」というお話でした。。。。。




さて石橋ですが見つかりました。「新地橋」をご紹介します。




いい感じでしょう? 近くまで行きますね。
この石橋は昨日の津町の橋と同じく車も通ります。明治3年(1870)架橋です。



昨日今日で 島原の石橋3基(全部駅付近)ご紹介しました。
観たいなと思って頂けたら嬉しいです。

追記 多くの犠牲者のあった平成の爆発もあり 配慮が足りませんでしたので
一部削除しました。犠牲者のご冥福をお祈りします。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




今回の長崎行きは姪の家には行かない事にして島原に行きました。
諫早から先は、有明海を左に見ながら島原鉄道に沿って進みます。
目指すのは三会駅(みえ)です。有明海です。海の向こうは熊本。。。

ブログ友達のどんこさんが今日の記事で熊本側から見た美しい有明海の
画像「秋の海岸暮色」をUPされてます。そちらもご覧下さいね。




今回は石橋の旅ではないんですが、少し時間があります。
三会駅は 駅舎はありません。天神さんの橋を探しますが.... それにしても
地元の方はご存じない。 ガードレールがなければいいのにな。。 




何とかいい角度を探そうと、よそ様の敷地内に登りました。
この写真 右側の石段の上・・・幅は狭いんですよ。ビニールハウスです。


途端に頭の上で サイレンが鳴り出しました。すぐ止まる思ったら止まりません。
泥棒に間違えられたのか まだなってます。 段々怖くなってます。
妹と顔を見合わせて....逃げるしかありません。
そんな怖い思いをしながら撮った 「天神さんの橋」をご紹介します。



車のドアをあけたら 大きなマイクの声。。。もう開き直るしかない。
悪気がなかったのは分かってもらえるはず。でもドキドキしました。

ところが、火事の知らせでした。
拡声器が頭上にありました。(2枚目左上の柱)

急に強気になった二人『別に悪い事してないモンね』。。(不法侵入になる?)

そこから南島原まで行きました。南島原駅です。

電車は黄色です。


この辺は津町です。もう目の前は有明海です。船がありますよ。
車をこの辺に置こう。。下りたら目の前に橋。。少し離れて覗いたら石橋。。
妹が“すごい”と感心しました。姉ちゃんは幾つになっても姉ちゃんですからね。

「津町の石橋」をご紹介します。



下流側です。

海側から見たところです。



私の立ち位置の後は有明海です。 前に見えている山の話はアシタノココロだー!

(写真が多かったのでリンク表示にしました。)

コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ