船の中から 近づく軍艦島(端島)
まん中の祠・・・ 端島神社 祠だけが残っています。 炭鉱は年間364日 休みなく働いた・・・年1日の休みが
この端島神社のお祭りの4月3日 これは私 検索しなくても心に残りました。
天候によって 上陸できるのは200日くらいだそうです。 なぜツアーも上陸を約束しないのか分かりました。
桟橋がない・・・ このコンクリート壁に接岸し 途切れたところに船から鉄板を渡してスタッフの方の手を借りて上陸しました。
上陸したら がれきです。私は この美しい石垣が気になりました。。
石灰と赤土を混ぜた天川とよばれる接着剤を用いた石積み工法だそうです。 (パンフレットより抜粋)
右に見える建物 端島小・中学校でした。。 左 屋上に保育園があったそうです。 おそらく日本最初の保育園だろうとの事です。。
今にも児童が出てきそうな 教室そのままがあるそうです。 声が聴こえるような気がしました。。。 そしてちょっぴり胸に迫ります。
空まで もの悲しく映ります。
裏の方 住居部分です。 まん中の建物 中央に中庭があったそうです。 左 への字型の建物は防潮棟 この高さまで潮がきたそうです。
防潮棟の4階から5階のところに ボタを裏側の海に流すためのパイプが通っていたそうです。 ツアーに 過去の住人が来ることが多いそうです。
その人たちは ここでは写真を撮らないんだそうです。 せつないんでしょうね・・・その立場に立ったならば・・・
赤煉瓦の建物、鉱山の中枢 本事務所 白くなっているのは塩をふいているそうです。 だからお天気によって白くない日もあるんです。
白い灯台は閉山の後 造られたものです。。 炭坑全盛期 24時間稼働する不夜城で、灯りは必要なかったそうです。
灯台の横 窓のない建物は 水タンク 水は貴重で 陸地から運んでいたそうです。。 プールは塩水を使ったそうです。
まん中に見えている 階段のついた建物 第二竪坑坑口桟橋跡 です。
ズームします 一番時間をかけて説明して下さいました。。 みんなシーンとなり 胸がいっぱいになりました。
この階段をあがって踊り場から落ちるという速度で降りていく 600m下って2.5km歩き そのあと坂道を480m下ったそうです。
ここから降りて行って その後亡くなり 上がってこられなかった人も大勢いた・・・・ 外国人のツアーが見学に来られた時 【私の国の人は何人いましたか】 と聞かれたって仰ってました。
軍艦島 最後にもう一度 これは船に似た島じゃなく 端嶋炭鉱という炭鉱なんですね。 遠くから見る方が・・・
今回の軍艦島見学 あしや会6名の内 4名参加の日帰りバスツアーでした。