モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



北九州市八幡西区 市街地にある岡田宮にお参りしました。 令和4・3・21 の事です。

上から行けるのですが 運動の為、階段を上がりました。

 

大正6年奉納か~ 亡母は大正9年生まれでした。亡父は明治35年ですから5歳・・・

 

 

 

 

門越しに 社殿が見えてきました。 御祭神 神日本磐余彦命 「神武天皇」 

ちなみに読み方は・・・カムヤマトイワレヒコノミコト

 

本殿ー享保3年(1718)  幣殿ー文久2年(1862) 拝殿 平成2年(1990) 造営 (岡田宮略記より)

 

神社の方たちが 樹の剪定で枝をバキバキ伐っておられました。 向こうに見えるのは皿倉山です。

南天の枝 小さいのを頂けますか?とお願しました。恥をかきました。

南天じゃなく クロガネモチですがいいですよ。。そういえば・・・・

 

一週間後の28日 地区の高齢者体操の会で お花見でした。

 

桜はいい具合ですが この日は肌寒かったです。 おべんとうは 東筑軒の かしわ飯 でした。

 

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3月21日、お彼岸の中日 成田山不動寺には一人で行ったこちらは午後 妹と行きました。。

 

狛犬さん 阿像は口を開けて当たり前だけど これは特に大きく開けてますね、

 

興玉神(おきたまの神) 椿の花が落ちて風情があったので 見つけました。

 

これは説明板を観る前に斎場だと分かりました。

 

その本宮の鳥居です。王子神社 明治33年 

 

疫神社 です。

 

疫病退散の神社だから アマビヱのお札を頂きました。 4・3・2・1 の日付です。

 

こちらは蛭子神社です。 恵比寿が多いけど・・・  小さいけど 狛犬さんがいました。

 

手水鉢です。

 

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隣の岡垣町、車で15分くらいかな? 成田山不動寺 この辺では 桜の名所です。 幽霊坂も有名ですがその坂道の たった1本咲いていた樹

 

その1本の全体です。 月末には花見客で賑わうことでしょう。

 

不動寺本堂です。 真言宗のお寺ですから お大師様ご入定(3月21日)の法要かと思ったら ちょうどお彼岸の中日で、その法要でした。

ご本尊の不動明王 両隣には 矜羯羅童子(こんがらどうじ)と 制多迦童子(せいたかどうじ)がおられます。空が真っ青でした。

 

上の写真で右側 に下りたら 玄界灘 展望所です。三里松原と言われる松林が芦屋町まで続いています。 

 

タイトルのカウントダウン 数字を見るのが仕事ですからね。。 令和4年3月21日 と思って 御朱印をお願いしましたが 残念ながら 二一日ではなく二十一日 でした。 

 

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3月8日 長崎の姪のところに持って行くものがあって 私、運搬屋さんでした。

3回目のワクチン後3週間以上たっていたし 蔓延防止も解除された後でした。 特急【白いかもめ】の車窓から。。。

 

長崎は坂道が多く 分かり難いので グーグルマップをコピーして行ったのですが タクシードライバーが慣れてない方で うろうろ・・・ そして 迎えてくれた ネコちゃんです。

 

妹(姪の母親)が持たせてくれたお弁当を、姪と2人で 昼食です。  今回は 規制解除されたとはいえ 外食する気にはなれませでした。

 

しばらくゆっくりして帰り道, 駅までの途中 浦上天主堂に寄りました。

 

こよなく晴れた青ぞらを~~  悲しと思う切なさよ~     そんな青空でした。

 

昭和20年(1945年)8月9日 11時2分、松山町上空で炸裂した原子爆弾で一瞬に倒壊。(無傷で掘り出されたアンゼラスの鐘・右上) 浦上天主堂ポストカードより

 

4ヶ月ぶりの長崎駅、新幹線工事も進んでいました。 お土産店などは移転の為閉館中でした。

 

再び 特急白いかもめ の車窓より・・・

高速バスが便利なのですが コロナ不通の為 急遽JRに変更 博多で乗り換えなくちゃなりません。

 

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前回ご紹介した 石橋鉄心さん、匠の技 続きは 大河ドラマ編です。 大坂城は素晴らしかったですよ。

真田丸より左の下向き鹿の角のあるのが 五人衆の真田信繁(幸村)、右は真田十勇士の望月六郎(兵衛)

 

大坂五人衆とは 慶長19年と20年の大坂の陣の際に 豊臣方(大坂方)の中心勢力となった5人を指す Wikipediaより

その五人衆より 左 明石全登    右 毛利勝永

 

 

真田十勇士より 左 三好清海入道  右 猿飛佐助  

時代小説は好きですが歴史は全く苦手です。 五人衆と違って紙芝居でもありそうで名前は知っています。

 

 

同じく真田十勇士  左 霧隠才蔵 右 根津甚八

 

 

同じく真田十勇士 筧 十蔵    そしてやっと…去年の大河ドラマ 渋沢栄一

かなり 触ってみましたが 重かったです。

 

 

たくさん出てきますので ご興味のある方は 福岡県 宮若市 石橋鉄心 さんで 検索してくださいね。

前回虎をご紹介しましたが 十二支の動物は全部あるそうです。

 

こちらは 有吉ゆかりさん です。 絣のデザインがおしゃれでした。

 

幟や 大漁旗を 染めて(柿渋だったかな?)素敵でした。 スカート欲しかったけど 着こなせない・・トータルでないと・・・。

 

たくさんの下げもんや手芸作品 は パッと明るくて 花が咲いたようです。 掛けてあるのが鉄 で それもよかったです。

 

兎のお雛様は可愛かったし、 一番左の樹は 鉄の樹に 指でつまんだようなお花がつけてあり 素晴らしかったです。

それぞれの工房を機会があったらお訪ねしたいです。

 

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太鼓を囲んで輪になって、 編笠をかぶって 盆踊り・・・炭坑節を踊っています。

触っていいと仰ったので触ったら、持ち上げてもいいと仰ったから 落とさないように 抱えてみました。

 

櫓の上で 歌っているのは 三橋美智也 だそうです。そういえば似てますよ。

 

あんまーり~ 煙突ーがー 高いーので ~~ さーぞや~ お月さんー けむたーかろ サノヨイヨイ スッチャラカチャンチャン

煙突から煙が出て お月さまがけむたそうです。

 

この写真は飯塚市にある石炭記念公園に行った時 大きな煙突が2本あります。

 

選炭場、ほとんど女の人が作業していたそうです。 左の土手の花は 蕾も葉っぱも作ってあります。

へー 人形かーー と思われたでしょうが 問題は この人形の材料は・・なんです。

髪の毛は銅線 廃物利用のボルトや 座金 釘など・・

 

フクロウです。 目はボルトです。 君の瞳は100万ボルト~   ボルトでできています。

このフクロウ 後姿は・・・・虎なんですよ・

 

 

フクロウの裏側は 今年の干支 虎です。 そして 作家さん 石橋鉄心さんです。

これは大きくて 持ちませんでしたが 40㎏ あるそうです。 写真を一緒にと誘ってくださいましたが 私達は3人で イヤ いいですいいです ってご遠慮。 

 

この虎ですけどね。 鉄線を並べて溶接してあります。 鉄心さんは早くにご両親を亡くされて 製缶工としてお仕事をする中から 独自の造形をされています。

繰り返し繰り返し 言われたのは 今からでも物を造ったり 買ったりする時 人の真似じゃなく 自分の感じたように・・・ 有名な人だから とか ブランドにとらわれず 自分の感じたように・・

 

一番最初に これ樹なんですが 鉄なのに 木製に見えました。 「これ 釘ですよね?」 って言ったら 「よく気が付きましたね」 と言われました。

それから 「ここ 鳥の巣ですよね」 って言ったら たいそう喜ばれました。 カラスの巣 ハンガーなど置こうか とも。

 

太宰府天満宮の宮司さんにお会いになった時から お名前を 鉄心 になさったそうです。 

この展覧会は行橋市の 旧百三十銀行でしたがもう終わっています。

いまは ご自宅能工房で・・ わが町からは 1本道で ご自宅の方が近いです。

 

鉄のお雛さま です。 ほかに NHK大河ドラマのモデルなどたくさんあります。

また 背景に見える 布の展示物は 有吉ゆかりさんの作品 次回ご紹介しますね。

 

いらっしゃいませ 今日はコメント欄を開けています。

 



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太宰府からの帰り道の寄り道です。 久山町の伊野神社 有名な茅乃舎さんの近所、友人の案内です。

 

私には石橋に見えました。下りなかった。。

 

岩井の滝 白い龍神さんがいるそうですよ。

 

燈籠には 伊勢神宮下賜常夜燈 と書いてあります。 式年遷宮の時ですね。 鳥居もそうかと思ったけど書いてありませんでした。 向こうは拝殿です。

 

小ぶりな狛犬さんは きりりとした獅子でした。 拝殿です。

 

拝殿の奥 神殿です。 天照皇大神宮です。

 

 

もう一段上がありますね。上がってみます。ちょっと不思議な人に出会って パワーを持っているから痛いところがあったら撫でて治す って・・・もちろん どこも痛くないって言いましたよ。 腰痛だけど・・

 

古神殿跡 ここに神殿があったのですね。

縁起など 詳しいことが知りたいけど 社務所は閉まっていて 御朱印は1日と15日だそうです。

 

さらに上があるのかな? ここから出てまた上がって いい運動になりました。

 

友人と2人っきりだし 下りてきました。 そしたら2・3人 来られました。手水鉢が、いい感じです。

 

そして 五十鈴橋  その下の川は・・・・・ 伊勢神宮と同じ・・・ 五十鈴川でした。

 

 

最後までご覧いただき有難うございます。

今日のお雛様 友達の手作りなのですが もう35年くらい前・・

 

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車は九州国立博物館の駐車場に置いたまま 自然道から光明禅寺の方に下りて天満宮に行きます。

天満宮 過去橋を渡るときは 振り向かない・・

 

画像が15枚もあります。 お急ぎの方 早退(^_-)-☆なさってくださいね。

 

平らな現在橋は・・・・ゆっくり渡りました。梅は見頃でした。

 

未来橋を渡りました。 同じ橋ですが みんなそれぞれ先の長さは違うんですね。 

 

楼門です。 人が多い・・・・11日金曜日 九博は少なかったけど・・・ 

 

参拝客が並んでいます。私と友人は蜜を避けて列から離れた右端を1番前まで進み 横からお参りしました。

 

相輪塔 梅の印があります。 下に説明板があります、 こまったなぁ~  漢字がないんです。

 

相輪塔  とうは木ヘンに堂 手書き辞書でも出ない 手偏ならあるけど 意味が違うんです。

伝教大師によって伝えられ・・・・その伝教大師最澄展を見てきたばかりです。。  

 

梅の花が似合いますね。

 

鐘楼かと思ったら 太鼓楼でした。

 

梅の花です。 

 

影まで 梅の色に見えました。

 

駐車場まで戻らなくちゃいけません 今度はエスカレーターと光のトンネルを通りました。

 

この右手には 洒落たレストランがあるのですが がらんどう テーブルも椅子もありませんでした。

 

今日のお雛様は 青島雛 和紙の立ち雛です。

 

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九博で開催中の 【最澄と天台宗のすべて】展に行きました。平日を選んだので、ゆっくり・・・ 

 

伝教大師最澄1200年大遠忌記念 で 比叡山延暦寺では戒壇院を初公開。  昨年12月にツアー申し込んだけど その日の人数が足りずに不催行でした。2015年にお遍路した時の 戒壇院です。

 

音声ガイドを聴きながら 拝観したことのある仏さまに出会ったり 見惚れたり 知らないことをじっくり聴いたり時間が足りないくらいです。

 

パンフレット 一部拡大しますね。六郷満山もお遍路したから長安寺 憶えています。

不動明王と言えばの前の厳しい表情ですが その化身 優しいですね。 福岡県も 大宰府 宝満山 彦山、その他たくさん展示されています。

 

館内で撮影可能のブース 回峰行 

 

本で回峰行を知ったのは半世紀前 【籠山12年】中野英賢 を読んでからです。昭和46年 初版の【籠山12年】は 引っ越しでも処分しなかった宝物です。

 

根本中堂 2015年の写真 ここから入ります。 

2019年に行った時には工事中でシートで覆われていたから 修復されたでしょう。

 

イベントでは、根本中堂の一部を再現されいて 撮影可能です。 

 

横川中堂の観音様にもお会いしました。 離れ難い感じですよ。

写真はお遍路した時の横川中堂です。

 

お寺や神社 仏像展には よく行きますが 博物館で御朱印があったのは初めてです。

1階入口でお坊様が日付を入れてくださいます 誰もいなかったからお話したのですが 「僧侶でも戒壇院は初めて」だったそうです。

 

興奮冷めやらない、この催し 3月21日までです。

 

今日のひな人形 ペコちゃん ポコちゃん ずー――っと前に100円で買ったものです。

 

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今回は地島で観たもの 史跡など ご紹介します、このタンポポは 日本タンポポなのかな? 

 

前回お知らせした観音堂です。 地元の方が守っておられ きれいな水仙が 活けててありました。

観音様は聖観世音菩薩像です。 安政2年の石碑がありました。

 

右側の石碑 一文字ずつ読めるのもありました。波止建設の供養塔でしょうか・・。

 

厳島神社です。 階段上りました。

 

下にあった 厳島神社の縁起です。 

 

狛犬さんは とても可愛かったです。 絵馬は色んなのがありました。赤ん坊(多分幼帝)を抱っこしたのとか・・・

 

とにかく16,000歩、歩いてますからね。。 前回お知らせしていた大師堂です。高――い所にあります。 こちらもきれいにお掃除してありました。

 

十三佛です。

 

ここは地島小学校 法面崩壊対策の工事中でした、

以前 山村留学の児童たちが親元に帰る船で 一緒になったことがありました。

島の子たちとの別れの場面は映画のようでした。

 

展望所でお昼です。 いつものように 食べ物持参 というか 持って行かなくっちゃどうにもなりません。椿祭りがあれば 露店がありますが。。。

今回は3人です。玄界灘を眺めながら・・・

 

木の柵がしてある所は特別に 出てもいいぎりぎり  沖ノ島が見えるスポットですが この2月27日は見えませんでした。

 

でも・・・目を凝らしたら みえるんです。(笑)

 

神湊で乗った船は 泊(とまり)港で下りましたが とにかく歩き・・・ 今度は新浜港から乗ります。 切符は410円です。

 

今日のひな人形は 古布で作ったもの(友人が)です。。

 

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