モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



お天気を気にしながらの一泊の旅 最終です。 日出町、ポツリポツリと雨が落ち始めました。 7月9日です。

 

馬上金山(現、杵築市)での金鉱石の採取成功により一躍富豪の仲間入りをした成清博愛が、大正4年に建てた別邸(パンフレットより)

 

お庭は 公園として誰でも入れます。 私達、同級生のCちゃんと、その姪っ子 裕子ちゃん(ずっと運転してくれた)3人は旅の最後・・・

 

広間からの借景 かすんで見えるのは 別府湾と高崎山です。

 

私 何でも顔に見える悪癖があるのですが・・・妖怪の顔に見えます。 大きな大きな沓脱の石です。

 

食事する大広間 灯りしか見えませんが大正時代の 彫金の施されたランプです。 

大きな富士の絵は 現、福岡市城南区出身の日本画家 今中素友の作品 (パンフレットより)

 

私は右から読むか左から読むかも分からなかったのですが 伊藤博文の書

國本とは 「国が一番の基であり国のことを考え。国のために尽くさなければならない。自分がそうであるように皆にもそうであってほしい」という願いが込められています。(パンフレットより)

 

美味しかったですよ~ 豊後牛・・グルメリポーターじゃないけど やわらか~い

 

ごはん お味噌汁 漬物  デザートは フルーツ おいしかった。。

 

不思議なもので お腹いっぱいになると もう帰ろうよ・・・・ 通り道で 赤松橋が見えました。 これは知ってました。

 

流れが激しいです。7月8日、9日  8日の朝 嘘のように晴れていたので、出発したのですが このランチの時に小雨が降りだしたから 帰ったのがよかった。

長々と お付き合いいただいた 大分の旅 お終いです。 ありがとうございました。

 

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大分県日出町(ひじまち)二階堂美術館から・・その周辺 歩く距離に神社が並んでいました。

まずご紹介するのは 若宮八幡社です。

 

 

 

鳥居の向こうに 立派な楼門が見えるから 行ってみます。

 

楼門の隙間から 失礼して随身を撮らせて頂きました。 左大臣です。 向かって右側です。

 

右大臣は向かって左側の若者です。【力】を司る随身だそうですよ。

 

社殿です。左奥が社務所でした。

 

御朱印を頂きました。

 

楼門の内側から 見ると、ここは高台で 向こうは海、別府湾です。

 

並んでいると最初に書きましたが 一旦階段を下りて お隣は 愛宕神社です。 7月9日ですが 紫陽花がきれいでした。

 

時間がないのに 私だけ急いでお参りしています。

 

また階段下りて また昇るのです。 愛宕山 蓮華寺 です。

 

九州八十八ケ所の24番霊場 均整の取れた美しい本堂です。

 

九州八十八ヶ所お遍路では お大師さんのお参りですから 大師堂でお参りしたでしょうが 憶えていません。

 

 

駆け足で 日出町の 二つの神社と 1ケ寺 をご紹介しました。

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賢治さんの弟 宮沢清六著 【兄のトランク】 ちくま文庫 をご紹介します。 今日8月27日は 賢治さんの誕生日(明治29年)なのです。 今年は没後90周年 37歳で亡くなってますから 生誕127年ということになります。

 

2017年 賢治の会 6名で 花巻旅行した時のこと 友人の1人が 産湯の井戸と お寺に行きたいということで・・・いきました。産湯の井戸

賢治さんの母親の実家 私は前年に行って この時は案内役です。

説明してくださいました。

 

生まれて5日目には 大地震が起きている・・・兄のトランク の 生涯編 にも書いてありました。

 

途中読みながら 何度も 賢治さんの文章か 清六さんの文章か 確認したことです。 9つ違いで 小さい時から 本を読んで貰ったり 賢治さんが中学になると 一緒に映画に行ったり 清六さんが中学になると 盛岡で一緒に下宿したりしているから 言い回しが似るのは当然かもしれませんね。

春と修羅 のくだりを読んで いつも思うけど 難しいんですね。 でも もう一度読もうと思いました。

盛岡で一緒に下宿していた辺り 今年春に 友人と訪ねました。その時の記事より

 

目の前が その下の橋です。

 

 

清水のところに 井戸があるとあったので探します。 この井戸です。 弟の清六さんと一緒に暮らしたんですね。

井戸の右と書いてあるけど 真ん中の建物かな 表札を見て回ったけど 玉井家 わからなかった。

 

なんかなんでもない風景を沢山 撮りました。この辺に確かに居たと なんか息吹のようなのを感じます。写真は割愛します。

 

因みに 【兄のトランク】 賢治さんが父親と激しく話し合った後、家出し 妹トシの病気を知って帰ったときに 持って帰ったトランク

中身は・・・・今残っている イーハトーヴォ童話集 花鳥童話や 民譚集、村童スケッチ、その他・・中略・・・不思議な作品(この本より)

 

あ~ また 止まってしまいますね。 もう一冊ご紹介します。  【死にゆく者の祈り】 中山七里著 新潮文庫

 

 

これは私 一気読みでした。 大学時代の登山仲間 命を助けたものと助けられた両者が 後に・・・死刑囚と 教誨師として再開する

ホントに 胸がドキドキ 最後知りたいけど飛ばすわけにはいかん 寝食忘れました。(笑)

 

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大分と言えば・・・ 二階堂酒造さんの 二階堂美術館 帰り道方向の日出町(ひじ町)に行きました。

 

大分の旅 やっと2日目に入った7月9日です。 雨天の場合の為に 初日に磨崖仏・石橋探訪をしていました。

なかなか立派な建物・・・私は初めてです。

 

さすが酒造会社 太っ腹です。 入館料も無料の上 この立派な図録も無料です。 図録と見比べながら鑑賞できます。

 

いきなり目を奪う大屏風  横山大観の【遠寺晩鐘】という作品です。  写真もほぼOK、横に説明もあります。

 

作品の説明と 撮影OKの印 です。

 

こちらは 下村観山の 【初冬】という作品で 好きでした。

 

企画展のチラシ 平家物語の名場面が色々あったけど 全部ご紹介できないのが残念

 

平家物語の中から ・・・ 絵は知らないけど 話は、本や画集やテレビで。特に智鏡尼の琵琶の十八番です。壇ノ浦 敦盛など。

判官贔屓だから この絵を選びました。静御前 上村松園【静女之図】です。

 

ボケボケですが 説明です。

 

高山樗牛の小説が好きだった横笛  絵の方は 梶田半古【横笛】 恥ずかしながらお名前さえ知りませんでした。

 

来年の大河ドラマは 紫式部 だそうですね。 すごく広いスペースで 絵が展示してありました。  

やっぱり 橋を見つけてしまったから・・・・代表は 前田青邨 【宇治橋】です。

 

あ~ 資料も写真もいっぱいあるけど きりがないからこの辺で ・・・・

 

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豊後大野 私は方向音痴で 行きたかった犬飼町の石橋は 友人たちに却下されたかと思ったら 出発点に戻って待望の石橋探訪です。

まずは 神宿橋 (かんじゅく橋) を ご紹介します。川は柴北川です。

 

んんん~ ここからでは 半分しか見えない・・・

 

長さ 27.7m 径間 22.7m 拱矢 6.6m 幅 3.4m 架設年 大正10年(1921) 山口祐造著「九州の石橋をたずねて」より

 

次にご紹介するのは 両村橋(りょうそん橋)です。 かなり手前から見えたので 私は下車して歩いています。車は先で待っています。川は同じく 柴北川

 

石橋の写真は それぞれ「私の宝物」にも たくさんUPしています。

 

 

親柱 柴北川 ですね。

 

バス停も 両村橋です。どこにでもあるけど 旅先で見ると懐かしい雰囲気です。

 

長さ 28.6m 径間 21.1m 拱矢 7.0m 幅 3.9m 架設年 昭和14年 

   ( niemonさんのHPより お借りしました。)

 

3番目にご紹介するのは 樋の口橋です。

 

ちょっと分かり難いけど 緩やかなアーチの下に 河床の石が見えています。

 

上部はこういう風に水路になっています。

 

 

長さ 29.0m 径間 20.6m 拱矢 5.1m 幅 3.7m 架設年 大正12年(1923) 山口祐造著「九州の石橋をたずねて」より

 

最後にご紹介するのは 宮脇橋 です。 阿蘇神社です。 宮脇橋は 少し離れています。

 

可愛いですね。この橋だけ 川は柴北川水系黒松東川 です。

 

親柱は、みやわき橋 向こう側の親柱は 参宮橋 でした。

 

長さ 2.8m 径間 1.8m 幅 1.5m 架設年 大正15年 (niemonさんのHPよりお借りしました。)

 

ふ~ やっと1日目の予定を終えて 別府のホテルに向かいます。 ホテルは庶民の味方 AZ

温泉は近くの立ち寄り湯 250円 きもちよかった~ この日(7月8日)約12,000歩歩きました。

さぁ~ 明日もお天気になりますように・・・

 

 

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サギがいっぱい飛んでいる。友人の運転で 約2時間半 樫原湿原は佐賀県です。8月4日です。

 

可愛いです。

 

上天気の日でした。 こんな空が一番好きです。 雲一つないよりも 雲が一つある・・・

 

この日沢山の種類のお花を観ました。 多すぎて何を選ぶか困り、気になったものからご紹介します。

カワラナデシコ です。 礼文島の花タカネナデシコを育てたから、・・・ 似ています。

 

コバギボウシです。 コバは小葉 擬宝珠は 橋の欄干の擬宝珠と同じ とっても詳しいお客さんが 教えて下さっています。

 

ウツボグサ 紫の花です。 花が終わったら 名前が カコソウ になる・・ちょっと虫っぽい 気持ちの悪い形ですが 過去 という意味ではないようです。 出世魚は名前が変わるけど・・・そういえば ウツボは魚ですね。

和名ウツボグサは、中国植物名は、夏枯草、日本夏枯草(にほんかごそう)、日本で漢方などで使われる別名は夏枯草(カコソウ)といい、夏に花が終わると褐色に変わって、一見枯れたように見えるところから呼ばれたものである(ネットより抜粋)

 

ツチアケビです。 形の不思議さが 気になります。

 

ユウスゲと 桔梗 どちらも好きです。 ユウスゲは咲いたら 百合のような形の花です。

桔梗は 宮澤賢治が 空の色をたとえています。 桔梗色の空・・・

 

ガイドしてくださったお客さん 桔梗は今朝の花 昨日咲いた花と違い おしべとめしべが くっついている とのことでした。

 

ヌマトラノオ です。 他に イヌヌマトラノオ も みました。

 

ノササゲです。 ささげ豆のことかと伺うと 豆の仲間だそうです。

 

もしも名前が違っていたら 私の記憶違いですので教えて頂けると嬉しいです。

 

最後に笑わないでくださいね。 ジカ目では もう見えないのを  あてずっぽうで撮って切り取った カワセミです。直角のところ

いらっしゃいませ 今日はコメント欄を開けています。



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豊後大野の磨崖仏をいくつかご紹介しましたが 途中予定外の磨崖仏に出会いました。 

大迫(おおさこ)磨崖仏・・・ 通り道に、この案内板があったのです。

 

まずこの仏頭が目につきました。小さいんですよ。穏やかな 良いお顔ですね。

 

ジャーーン  大きいし 3人いるからいいですけど もう真ん前だからド迫力、怖かったです。

大日如来像とされ、牛馬の神として信仰されていますが 暗い岩窟と傷みのはげしいお姿から 人から恐れられることの多い仏様でもあります。

このような容貌になった理由の一つには、彫り込まれた岩が、とてももろい性質だということがあります。そのため表面に麻などの繊維を混ぜた粘土を塗り、顔面などを仕上げた石芯塑像ともいえる技法で作られています。(案内板より)

 

 

五輪塔が並んでいました。

 

五輪塔の先に 庚申塔がありました。

 

ん? ここはどこだ? 私は無類の方向音痴です。案内板のマップを観たら この日の最初に行った犬飼の石仏と、次に行った菅尾石仏の間に 私達は居るんだ・・元の場所に戻った・・・

 

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遠賀川に合流する最初の支流 西川です。奥に見えている橋が祇園橋 昭和28年の氾濫で流失し 架け替えられた橋 70年が過ぎ今また架け替え工事中です。

手前の青とオレンジの橋は工事の為の仮橋 手前が西川 奥は遠賀川河口 その先左側は 響灘に続きます。 

 

一番右の祇園橋を渡って 振り向いたところです。 左は仮橋 真ん中の白い大きいのがが 新しい祇園橋の 橋脚です。

 

遠賀川河川敷に降ります。 対岸は水巻町です。遠賀川河口堰です。 高砂百合が咲いていました。

 

一番手前が自然魚道 次の金網のところが階段式魚道 その次から 9棟は 遠賀川河口堰です。

 

同じ日なのに 下流側(海側)を観たら 青空です。 14日 ズーっと歩いたので5,000歩達成しました。

 

翌 15日です。 海に向かって少し歩いて、芦屋橋から撮っています。 精霊流しが始まりました。 お天気がイマイチだから 早めに4時半ごろ行きました。

流せる紙燈篭を 1個1500円で買って桟橋から トン先まで持っていって屈んで流します。眩暈がしそうでした。

 

新盆の家族は 西方丸 といって船を作り 故人の好きな物など載せて 船で海の方へ運んでもらいます。流すことはできません。

記事の最初にに書いている河口堰が上流に見えています。 この日は 風が 西から吹いていたから 上流側に流されますが 大きな船は エンジンかけてUターン

 

 

少し大きくしました 海に向かっています。芦屋町が主催 燈篭の販売もです。多くのスタッフが出て 手助けしてくれます。

 

私が流した 精霊船は東に流れています。 まぁ 溶けるからね・・・

左のピンクは 家族 モモ・ナナも  黄色は 施設で96歳で亡くなった友人とその娘さんの名前を書きました。

 

このあと暗くなったら近隣の町からも 多くの方が来られます。  4時から8時半だったかな 絶え間なく 精霊流しの曲が流れていました。哀調を帯びたあのメロディーを聴くと 亡き人達が偲ばれます。

 

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原尻の滝で、ざる蕎麦を食べて普光寺に行きました。 ここは私、初めてでした。駐車場から歩いた歩いた。。。

下りで見えてきました。 普光寺です。

 

山門です。 扉に文化財・・・見つからなかったけど 線画もあったのです。 一つ一つ取り上げると いつ終わるかわからないから割愛します。

 

そしてもう 摩崖仏が見えているのですが ・・・

 

観なかったことにして 先に お参りをします。

 

じゃーーーん 摩崖仏です。ずっと運転してきた裕子ちゃんは もう行かないというので 友人と二人 ちょっとした山歩きです。 アーチの中は ここの本堂 一番右の建物は神楽殿かもしれません、

 

境内から谷を越えた先の対岸を見ると、12万年前の阿蘇火山の火砕流でできた溶結凝灰岩に岸壁に高さ11.3m、

磨崖仏としては日本最大級の不動明王、左右に従えている二童子、そしてまたその奥にある岩窟に4体と護摩堂に1体、

それぞれ1mほどの磨崖仏が彫られています。(ネットより)

 

石仏がずらーっと並んでいます、ドームのような感じ アーチは石橋のようでした。

 

天井です。

 

不動明王の右下に 階段が見えますか?  その大きさです。 私たちは階段から下ります。 下の岩でいいから、ちょっとだけ触れたいと近づいてみました。

 

圧倒されます。

 

普光寺本堂の方を観たら・・・ 裕子ちゃんが待ってます。もう遠くて見えません。

 

普光寺は 紫陽花寺として有名だそうですが わずかに十三佛さんの上に残っていました。

 

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宇佐神宮の流鏑馬に行くバスツアー  先に 岳切渓谷(たっきり渓谷)に行きました。

10cm~20cmの深さ サンダルで歩けます。 

 

水は澄んで透き通って見えます。 一枚岩だそうですよ。

 

水に入らない人は 水辺の散策。 涼しくて しばし暑さを忘れました。

 

水があるって分からないでしょう? 透き通ってるんです。

 

まだおむつをした赤ちゃんが 水の中・・・ 心配になってしまいました。

 

小さいエビがいたようです。 「エビがおったよー」の声がしました。

 

えっ サンショウウオかな? 終点まで1300m でも戻るのにまた時間がかかるから 引き返しました。

 

でもこのまま帰ったら なんだか心残りなので 水の中に入ります。 妹は裸足で歩いて川の中に

私は 左側の人のように 腰かけて 足を水につけます。 【足湯】の水バージョンですね。

 

あ~ 冷たくて気持ちいい・・・

 

これを見たとき ビニールが引っかかってるのかと・・・ よく見ると葉っぱでした。 でももっとよく見ると・・・なんと・・・・蝶々 これって 擬態? 葉っぱのふりしているのかな

妹が「横から見らん方がいいよ」と制止するので、私は一歩下がりました。 きっと グロテスクな虫なんです。

🦋 友人からのラインで・・・・ 上の蝶々は オオミズアオ という 蛾の仲間だそうです。(8/13追記)

 

入場料も要らないし 子供達には楽しい遊び場ですね。

 

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