「里の石橋453」(本) の地図で 鶴飛来地に ほど近いところに大正橋があります。私は大正橋のマップコードを設定しました。
niemonさんのHPで出水市の大正橋は藪が深そうでリストから外したことは覚えていません。また迷子になります。
そうです。。。隣町の別の大正橋を設定。 山道だし、しかも行き止まりです。そこまで行って ナビの×マークに気付きました。
戻りながら 鹿 を見ました。怖くて写真どころじゃありません。 惜しかったと少しバックしたけどもういません。
出水市街地に向かいます。 島津家菩提所 門に書いてありましたが車の中からで 島津○○氏なのかは分りませんでした。
そしてこの溝は 五万石 溝跡です。緑文字は案内板より抜粋
「五万石溝」跡
「ここは昔、五万石溝が掘り通されていたところである。
ここに残る石橋は「糸巻橋」と呼ばれ大正7年(1918)の架橋である。
五万石溝は、藩主島津吉貴の命により1704~1711年(宝永年間)の頃着手し、およそ20年余りの歳月をかけて1734(享保19)年に完成した。
米ノ津川上流の下平野に井堰を築いて取水し、水の頭・折尾野・城山等の山麓を迂回して大野原を横切り、洗切海岸(福之江)まで20Kmに及ぶ用水路である。
途中に、岩山をくりぬいた「随道」23カ所、鍋野川と平良川の川底を掘り通した「底水道」2カ所がある。
案内板にもある 「糸巻橋」をご紹介します。
墓地の入り口で桁橋 も見ましたが割愛します。 出水麓武家屋敷群 の看板がありました。牛車があるようです。
牛車に乗って、ゆっくり 散策したいなぁ。。でも石橋を探したいし・・・・
ああ!また。。。急に道がなくなったり ・・・ このそうめん流しから曲がるようですがお店はやめていて・・・
看板通り山賊でも出そうだから「流合橋」を探すのは止めました。
ここまでで出水市はお終いです。あと見たい橋が さつま町(旧宮之城町)の穴川橋です。 ずーっと走ってたどり着いたら工事中?
歩行者は行けます。よかった。。。穴川橋は 大正9年架橋 亡母と同級生なんです。 「穴川橋」をご紹介します。
下の写真は立ち入り禁止のバリケードを抜けた後 危険物の区域をそーっと気をつけながら入って撮りました。
こちら側の方が写真のアーチの下に工事個所が入らないんですもん。
次に 川原太鼓橋を探すんですが 穴川橋の延長上・・です。両方の延長を行ったり来たり。
あっ!そうそう。上の写真の立ち入り禁止区域には 赤○のところから侵入して下に降りて行きました。
今日の言葉・・・・虎穴に入らずんば虎子を得ず・・・
さて太鼓橋・・・私 気付いたんです。(上の写真)ブルーシートが怪しい。。あちこち見ていると怪しいのが何となくわかる。
ほらね。 アーチでしょう? でもこれは多分工事のためで工事が終わったらまた橋として活躍すると思います。(希望ですが・・・)
ああ 段々帰りの時間が近づきます。 さてこの後は・・・
鹿児島の石橋 まだ先がありますから 今回はコメント欄を閉じています。
魁皇関 幕内通算 808勝 おめでとう!!!