モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



運転免許証更新のために行った 黒崎コムシティー 帰り道に近くの黒崎 岡田宮 に寄りました、

 

明治二十八年・・・一番奥の鳥居です。

 

楼門奥には社殿の屋根が見えています。

 

あしや会の仲間のお身内なのに 私は初めてでした。

 

御祭神 神日本磐余彦命[神武天皇】 (カムヤマトイワレヒコノミコト)

社殿左側に金色 右側に 黒色の鳥が見えます。狛犬さんの手前です。

 

金鵄 キンシの【鵄】ってなんの鳥か検索しましたが 霊鳥 としかありません  文字としては トビ だそうです。

 

そして黒い方は 八咫烏 ヤタガラス・・ 金鵄も八咫烏 も神武天皇のゆかりのようです。

 

神殿です。

 

猿田彦大神 や 古い狛犬阿像 などがありました。

 

ちょっと可愛らしすぎる御朱印ですから 小さくしました。 実際に行ったのは3月1日でしたが 3日にして頂きました。

そんな場合 当日まで御朱印帖をお預けして 後日頂きます。

 

コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




みやこ町の 豊前国分寺に寄りました。今回は友人が運転してくれたため正規の駐車場から。。

300年か500年か800年くらい前のような感じ 電柱が無ければね・・・

 

歩きながら風に乗って 梅のいい匂いがしていました。 3月7日の築上町からの帰り道・・・・

 

そして三重塔がみえてきました。 今まで表から行き三重塔だけを観て こちらの広々としたお庭を知りませんでした。 

 

境内には供養塔や仏像があります。

 

後ろの建物は資料館です。

 

三重塔です。 

 

では 表から入りなおします。奥の方に見えているのは鐘楼です。 向かって左側に資料館があり 以前はここに駐車していました。

 

石橋ばかり気になって これだけしか見ていませんでした。 太鼓橋があります。

 

中学の時 国分寺 国分尼寺 ・・教わりましたね。 豊前国分寺です。

 

本堂です。 薬師如来に外からお参りしました。

 

 

表の 資料館に入って 色んな資料を見学しました。

 

コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




築上町 岩戸見神社に行った日 ここはniemonさんのページで調べて行ってます。。石橋目当てです。

新しい狛犬さんを観ながら もう石橋が見えます。金富神社稲荷神社前橋です。

 

金富神社稲荷前小橋です。 池が広くて全景が撮れませんでした。

 

池の周りを歩くと 庚申塚や 猿田彦大神 その他 

 

金富稲荷神社 橋を渡りたかったから 渡って それぞれお参りをしました。

 

お稲荷さんの隣 厳島神社 と 須佐神社 お参りしましたよ。。

 

 

そして社殿です。 隣には色んな縁起物が キラキラと光っていました。

 

立派な絵馬があったので 失礼して 上の方だけを撮らせていただきました。

 

裏の方 趣のある小路が見えたので 通り過ぎて 裏から入り直しました。

でも ホントはこちらが表でしょう。。。北参道橋です。

 

 

灯籠や狛犬さん 色んな史跡がありました。

 

狛犬さんは 正面よりも こちらの方が古くて 立派でした。

 

手水鉢 台座は自然石かもしれないけど 私には いつも足蹴にされている邪鬼に見えました。

 

もう一度本殿に戻った時 宮司さんに お会いしました。  もともとは裏の方が 表参道だったそうです。

この工事中 の基礎部分は 馬の像を移設するためとのことでした。

 

コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




何にも手のかからない 小さな肉厚植物の寄せ植えです。

 

ばらはとっても難しいから 花が終わったら友人宅に入院させます 2月14日生き返ってきました。上が ピース 下がアンジェラです。

アンジェラは もうこんなに伸びました。 つる薔薇です。

 

ピースは ホント瀕死の状態でしたが 蘇生 コケ玉シクラメンは コケを変えて上出来です。

 

花巻のバラ園(宮沢賢治の詩碑のあるところ) から買ってきた球根 1個だけ咲きました。あと8個は 葉ばかりです。

  

友人の🎁 サイネリアです。 ずっと前からおったよ という顔をしています。

 

何もないと思って鉢を重ねていたんです。 そしたら 周囲から芽が出て 草かと思ったら・・・ 糸葉水仙 です。二つに分けました。

 

すごくいい香りがします。 お友達にも上げたし 会社にも持って行きました。お彼岸のお墓 お仏壇にも供えました。

 

そして・・・・・ もも 

 

観ていたら幸せな気持ちになります。 

 

下の花壇にはガザニア ほか

 

コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




以前は気の向いた時に5,000歩ウオーキングしていたけど 2月5日から今日まで 毎日欠かさず歩いています。

コースは色々です。。 ある日のコース 岡湊神社です、1番手前の灯籠は、私達 昭和36年芦屋中学卒業生 還暦記念の献灯。

 

車で入ると この狛犬さんは見ません。この奥に 少し大きなのがあります。 後ろのなんじゃもんじゃの花が咲くころは大勢の人が来ます。 そうそう・・・還暦の時は なんじゃもんじゃの記念植樹をしました。 

 

遠賀川河川敷を歩いています。 右が河口、そして海へ。 私は右岸 水巻町を歩いています。鴨が羽を休めていました。

 

30分くらい歩いて 戻ったら 夕陽・・・2月の事です。

 

またある日 同じ水巻側 対岸が芦屋町です。 右が海へ・・・

海が近いので干満差があり、川も満ちます。 河川敷ギリギリまで。

 

3月9日、午前中です。 左岸 芦屋町です。 左側の坂道を児童達が下りてくるのも見ていました。

準備も観ましたが写真は遠慮して離れました。多分 鮭の稚魚を放流したんだと思います。(想像です)

 

夕方の散歩 河口堰の端の方に親水施設があり そこを歩いていたらコブハクチョウ白鳥がいました。 その時は嬉しかった。。。

 

でも この動作をずっと繰り返しています。。と いうことは 子供たちがせっかく放流した稚魚を食べてるんじゃないの

 

 

河口堰は 上の児童たちの後ろに見えています。 あの橋が 芦屋町と 水巻町をつないでいます。

 

9番の番号が見えますか? 芦屋側から1番から9番まで だから水巻側から歩いています。 517mです。

 

芦屋に着きました。 私は河口堰から見ています。 釣りをする人。 ミサゴの写真を撮る人 写真に入らなかったけど 胸まであるゴムズボンで川に入って 釣りをする人もいました。 

 

ボートレース場を 歩いた日  頭上を 航空自衛隊芦屋基地の飛行機が通りました。 これは何度も旋回して繰り返すから 撮れます。 白い線はひこうき雲です。

 

いらっしゃいませ 今日はコメント欄を開けています。



コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )




築上町です。 前回の日吉神社もそうでしたが 鳥居に 羽根?があります。 検索してみたら 大きく分けて 

【神明鳥居】と【明神鳥居】があるそうです。名称も 紛らわしいですね。

どうやら 明神鳥居のようです。 羽根じゃなく くさび でした。 額束には岩戸見神社 

 

前回は雨で 階段が怖くて行けなかった 岩戸見神社です。 狛犬さん 足元が危なくて撮り方が悪いけど 阿吽は向かい合っています。

 

2月に行った時もらったマップにアーチの橋の絵があり ん? 見落としたか・・・友人がもう一度つれていってくれました。 

残念ながらアーチ橋はありませんでした。 つくしんぼが ポツンポツンと立っていました。3月8日の事です。

 

龍の手水舎 水は出ていません。 どこの神社でもコロナ禍では 水を止めてあることが多いですね。

 

社殿 です。右側はご神木の イチイガシ イチイガシをしみじみと見たのは初めてです。

 

森の中の寂しい場所ですが パーッと明るい拝殿です。

 

裏に回りました。 拝殿の奥 神殿です、

 

 

貴船神社でした。

 

拝殿に戻ってきました。絵馬と天井画 です。

 

御朱印は 書置きがおいてあり お賽銭箱に300円 納めて頂く事ができます。

 

もう一度 イチイガシ ご神木です。 

 

コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




友人と文殊菩薩に会いに行った築上町の2月26日  車窓から見えました。 神社は当たり前ですが石橋が見えたのです。

上別府日吉神社です。狛犬さんが見えて・・・鳥居が見えて・・・その後ろに石橋が見えます。

 

早咲きの桜 寒緋桜が咲いていました。きれいな桃色でした。

 

案内板のうち 由緒書きの部分です。

 

帰ってからniemonさんのリストで 確認しました。 上別府日吉神社東参道橋です。

 

振り返って 見た所 石橋の向こうが鳥居で その向こうが狛犬さんです。

 

また進んで そして気が付いたら 本殿が正面じゃなかったから 通り過ぎて正面から入りなおしました。

こちらの鳥居から入ります。狛犬さんも 次の鳥居も見えます。

 

 

こちらの狛犬さんも 玉取りで同じですが少し古いようです。よく見るのは 阿像は 玉を咥えているけど 両方同じでした。

 

そしてこちらにも石橋がありました。 上別府日吉神社参道橋です

 

振り向いてみました。 雨が 降っています。 写真を観ても雨粒が落ちているみたい。。

 

灯籠が なんか可愛いです。石が紅いからかな?

 

本殿です。友人に待って貰ったまま 独りでお参りしました。

 

コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




家から15分くらいですが 今まで行ったことがありませんでした、 八幡西区浅川 日の峯神社をご紹介します。

 

 

ご祭神 と由緒 大日霊貴命 おおひるめのむちのみこと  天照大神の別名

 

参道の狛犬さん これは新しいものですね。

 

上臈岩

 

上臈岩の案内板

 

次の鳥居の上に 本堂があります。 

 

 

本堂の狛犬さんです。 吽の後ろ側に社務所がありました。

実は私達 この参道に気づかず 駐車場から直接上に上がっていました。 これまでの写真は帰りに撮ったものです。

 

本堂拝殿 先に書いた通り、参道を通らず説明も見ていなかったから 宮司さんに 琵琶を持っているのはどなたですかと聞きました。

 

後ろが神殿です

 

上の方に書いていますが この方こそ 大日霊貴命 おおひるめのむちのみこと (天照大神の別名)でした。

宮司さんに 色々お話をお聞きしました。私は琵琶をお持ちだから弁財天様かと思いました。

 

 

令和3年3月3日 333 の日 妹と 多賀神社にお参りして 隣りの石炭会館新館 本館  そして 帰り道の寄り道

日の峯神社に行き 4回も記事を書きました。こんなに空が青い日の事でした。

 

コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




筑豊石炭鉱業組合直方会議所 築111年だそうです。国指定史跡 筑豊炭田遺跡群に指定されています。

まず 筑豊という言葉は 行政区域とかではないそうです。 麻生太吉 貝島太助 安川敬一郎 伊藤伝右衛門 朝ドラ【朝が来た】のモデルになった潤野炭鉱 あとどこだったかな~ 蔵内邸の蔵内氏 そんな方が集まっていた。

前と前の炭鉱 だから 筑豊 と ここで云ったのが始まりだそうです。

 

 

 

こんなモダンな建物なのに玄関に狛犬さん  日鉄二瀬炭鉱 山神社 の狛犬を移設したものです。

ここから 企画展を案内してくださるのは 中川さん(女性) それはそれは楽しかった。

 

玄関ドアノブ 左は案内板 右が私が撮ったから 下の方が写っていませんね。

 

人力車を発明したのは 和泉要助 という直方の人だそうです。 オーナーは 園田氏

 

そして この人力車を造ったのは 東京神田の井上製車店  見えない隅まで細工がすばらしかったです。

 

天井の 枠というか・・デザイン 空気孔? 説明はみんな忘れましたが モダンですよね。

 

ヘルメットです。 山本さんだったかな? 名前が書いてありました。 トレードマークは招き猫 中川さんは このマークを探していらっしゃるそうです。ご存知の方あったら コメントで教えてくださいね。

 

トリミングしました。 4本線はデザイン       下にトレードマーク 分かりましたか?

 

防爆ストロボ  普通のストロボじゃ 構内で発生するガスに引火する恐れがあったのですね。

 

回転計  機械の軸など回転運動をするもの   こちらは 魚のトレードマーク 

 

せ~の~  魚 分かりますね。 なんか すっきりして素敵ですね。

 

暖炉もありました。

 

石渡 信太郎(いしわたりのぶたろう)さんの 胸像  ”日本の鉱山保安の父””””ともいうべき方だそうです。

暖炉の上にぽつんと置いてあったのが 勿体なくて きれいに磨いて 表に出した 彼女は長い時間 熱っぽく話して下さいました。 私達は  ここへきて新館と本館で 2時間近くたっていました。

 

最後 妹が初めてだったから 機関車の見学もさせていただきました。

 

スコップで石炭を すくって ここに投げ入れます。   私は むか~し 見た記憶があります。

 

 

正面を向いて 左側 運転席です  右側に助手席があります。

ふぅ~  3月3日の事で・・・色々 わからなくなっていました。   

 

コメント欄は閉じています。 お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




多賀神社の隣(車は神社に置いたまま) 建物は 石炭記念館新館 右端に少し見えているのが 本館 筑豊石炭鉱業組合直方会議所  明治43年 111年前の建物です。

建物の間を通って 妹を案内するため裏に行きます。 私は何度も来て勝手を知っています。 

 

このトンネルは レスキュー隊の訓練のためのものです。圧縮空気式機関車があります。( ゚∀゚)アハハ八八 人がいました。

館長さんだと思うけど マスクと帽子で分からない。。

 

 

テストしました。 「今日は999 じゃないけど 333です。(R3年3月3日でした) メーテルは来ないでしょうか」

ニコッとされました。館長さんです。 初めて行った時 SLが12時に動くって言われたんです。(銀河鉄道999より)

 

メタセコイア いま研究者の説で 石炭はメタセコイアじゃなく ツツジ等の色んな樹からできたというのが有力とのこと 

そんな研究しなくていいのにね~ メタセコイアでいいじゃん やっと覚えたんですから・・・

 

龍がいます。 龍に見えませんか? 樹齢111年 建物と同じ111年前のものだそうです。

 

線路は JR筑豊本線 と 平成筑豊鉄道 が通っています。 その上の水色の橋 私の写真じゃ分かりませんが 直方駅の転車台がそのまま橋として再利用されているそうです、 館長さんはターンテーブルと仰いました。

 

ここから 館内です 因みに館長さんはいつの間にか着替え済 2tの大石炭塊 展示用として掘り出されたそうです。 

後で隣の本館で聞いたのですが 壊れないように 特殊なボンドを薄めて塗っているそうです。

 

どっちが重いか質問されました。 左が石炭 右が原石 原石を蒸して石炭にする時 副産物として  コークス コールタール ガス ができる。

だから それらが抜けてるんだから 石炭の方が軽かったです。

 

硅化木(けいかぼく) この化石は 石炭にならなかったそうです。 重くて抱えられませんでした。 瓶の中は 粉塵 吸ってじん肺になって後 亡くなられた方を知っています。

その下 シャモット 懐かしかったです。 建設会社勤務で昔、路盤材に使っていました。

 

全部  子供の頃 見ていました。 下段左は アンカ に1個いれてました。 どべ炭も作ったことあります。

電気を作るにも32% 石炭を使うそうです。 90%は輸入 国内は10% いま炭鉱があるのは北海道だけだそうです。

 

館長さんが説明されているのは 五平太船の艪(ろ)ですが、 折り畳み式で 伸ばしているところです。

これからの話が面白いのですが・・ 人工的な堀川の話 唐戸が2ヶ所あります。 興味のある方は 私のブログで検索していただくと寿命(じめ)と 中間 の唐戸が出てきます。

 

その堀川を 石炭を積んで五平太船が行く 若松港のこの写真で 館長さんは 火野葦平の父 玉井組の話から 

なんと 中村哲さんに行きついた・・・ ここで聴くとは思いもしませんでした。

 

団体客が入ってきて 蜜になるので妹と ここでそーっと抜けました。 入口まで来たら 本館の学芸員さんが企画展みませんか? とのこと  その様子は次回

 

この機関車が 初めて直方に来るとき 一番最初に運転してきたのが 館長の八尋さんだそうです。

 

2018年4月29日 除幕式の様子 鞍手高校の吹奏楽部の生徒さんたちです。 その時 友人と来賓席に座っていました。

いえ 来賓じゃないけど 一般のお客さんが いなかったからです。 

 

 

いらっしゃいませ 今日はコメント欄を開けています



コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ