モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



自粛中で変わったことがないため 小出ししています。1月5日 院内の石橋の続きです。 

御沓橋(みくつばし)をご紹介します。

 

案内板です。大正14年なんですが 総工費20,000円  価値をネットで調べてみました。

比較対象によって違いますが 公務員の初任給75円で 現在は約18万円。これから換算すると1円は約2400円 (ネットより)

20,000円だと48,000,000円 ん~ どうでしょう・・・

 

3連なんです。 上の写真では分かり難いので 少し大きくしますね。 3連アーチに見えるでしょうか・・

 

写真も撮りやすいように ちゃんと 瀧観台 ならぬ 橋観台 休憩所があります。

 

上部です。 静かな集落の中にあります。

 

一番上の写真もいいけれど  私はこんな角度も好きです。

 

宇佐市 院内町 御沓橋をご紹介しました。

 

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他人の選んだ本  自分だと同じような本を選ぶから 友達から送ってくる本は 楽しみです。そんな一冊  

近衛龍春著 新潮文庫 【忍びたちの本能寺】 とっかかりが ややこしくて半分までがまなかったけど石橋さんの選んだ一冊 いつものように後半 面白くなりました。 

 

もう一冊 友達から送ってきた本 森浩美 著 【家族の言い訳】 私は初めて読む作家 です。

稀代の名作詞家が すべての家族に贈る珠玉の短編集 という副題がありました。

これは逆に 読み始めたら 休めない一気に読みました。【落ち】があったり 涙があったり・・・ 

 

手持ちの本

去年凝った 中村哲医師の本は 羊土社 【医者よ、信念はいらない まず命を救え!】  NHK出版 【天、共に在り】 をご紹介しましたが

今回は 【医者井戸を掘る】 アフガン旱魃との闘い 石風社 です。先の2冊よりも早い時期で 中村哲医師の孤独感や哀しさも感じもました。

内戦の激しいさなか 本当に毎日が命がけだったんですね。

 

中村哲さんが アフガニスタンで用水路を造るお手本にした 山田堰 に去年友人達と行きました。

その時 出会った アフガニスタンの留学生です。後ろにしっかり持っているファイルは 私が作った 山田堰の参考資料です。日本の文字など読めないのに・・・。

思い出しました アフガニスタンの少女の事を書いた 本を持っていたので あらためて読みました。

 

大ファンの 帚木蓬生さんの 【ソルハ】 です。 アフガンの言葉で 平和 という意味だそうです。 数年前に講演会で購入 サインして頂いたものです。 著者が遺言の意を込めて と帯にあります。

遠い話じゃないんです。 うきは市で 留学生と会われたことがきっかけとなったと書いてありました。

タリバンが バーミアンの仏像を粉々にした とか テレビで観ました。 2001年 の 911 同時多発テロ事件はまだ記憶に新しいですよね。

そんな時を過ごしてきた少女の物語です。 女性は学校に行ってはいけない 出歩いてはいけない 肌を見せてはいけない 

帚木蓬生さんによると アフガンの特産はザクロで 日本のより大きいそうです。 いつの日かメイドインアフガンの ザクロを お店で観たいと思います。今まで何の関係もなかったアフガニスタンという国を なんだか応援したい・・単純な私です。

 

ネットで買った本

【ジョニーは戦場へ行った】 書店にも出版社にもなく ネットで 1円で 出ていました、慣れてないし送料が不明だから・・・甥から 送料込み350円 のを 注文してもらいました。

目も 耳も 鼻も 口も 戦争で無くしてしまいます。 機能だけじゃなく 顔がないんです。 手も足もありません。

それなのに脳はあり 考えることはできます。読むほうが辛くなります。時間の経過を 1秒ずつ数えます。私は100歩歩いたら 指を折り1000になったら右手の指を折ります。万歩計があっても数えるのが癖なんです。

でも彼は折る指がありません だから100でやめられない 2時間くらいを数えたとして 看護婦さんや シーツ交換の時間を想像する

どんなにつらくても 自殺するすべさえありません 噛み切る舌もないのですから・・・

何とか伝えようと 頭を振って モールス信号をするけど 伝わらない そして とうとうその日はやってきます。  看護婦さんが 胸に メリークリスマスと書く・・・

涙なしに読めません

 

これじゃ悲しすぎて寝られなくなるから 最後に このところ ずっと凝っている 葉室麟さん 【風花帖】 麟さんの物語は1ページ目から思い浮かべることが出来ます。

これは特に 小説の舞台が 小倉藩 白黒騒動と言われる物語で 黒崎宿は知っているし・・

葉室麟さんらしい小説です。 凛として己に厳しい武士が 命がけで大切な人を守る 

 

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界橋(さかいばし)の案内板を見つけたけど 以前行って 見難かったことを思い出し 通り過ぎました。

1月5日 助手席から 偶然見つけたものの 道は狭く駐車場がない・・・ウロウロして見つけたお宅の駐車場 

ピンポンして駐車のお願いを。 存分に見学して下さいと言って頂きました。 区長さんでした。

 

歩いて橋までもどりました。 案内板はこれしか見つかりませんでした。 

架設年度 大正12年 (親柱で10月を確認できました。)橋長 38.0m 橋幅 5.0m 径間 24.1m

 

櫛野橋(くしのばし) 上部です。橋の向こうから撮ろう 

 

でも 民家の敷地 砂土をきれーいに 均してあり、歩いたら足あとがつきます。 鍵がかかってお留守です。 

1個 足跡がついていたからその上に載って 運動神経鈍くバランス感覚最低だからドキドキでした。

 

そうやって撮った 一番いいのが これです。 

 

車に戻り 端っこに立って撮っています。

ピンポンはせず 外から大きな声で 有難うございましたーッと言いました。

 

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家から数分歩くと・・・工事中の祇園橋です。 前回は橋を渡らず海を目指して歩きましたが この日は渡りました。

 

渡ると左側に防波堤? 子供の頃は ハトノハナ と言って、友達と よく遊びました。 

今回は見ただけ・・・ 右側から河川敷に下ります。

 

遠賀川から水を引いた親水施設で、小さい魚などもいます。 左側 影を落としているのは河口堰です。

 

遠賀川河口堰です。 左側が海に続きます。いつもミサゴを撮るカメラマンが並んでいます。

 

青色の濃い部分で堰切ってあり 大雨の後など 放流されるときは 放流中の電光掲示板が出ます。

 

遊び場に水を取り込む取水口です。

 

私はこの景色が大好きです。 故郷を離れた人が見ているわけじゃなく 生活圏だけど です。

管理橋の長さは850m 歩くことも出来ます。 

 

河川敷は舗装部分は自転車道 芝生はウオーキング 土のところは 陸上の練習用で周回コース

1㎞を歩きました。 家からの往復がありますからね。目標は5,000歩

 

さぁ 少し歩数が足りないから河口堰の管理橋に上がってみます。車は通れません。

 

1号棟 上の案内板にもありますが 色を決める時 近隣住民の投票がありました。 

    私はフォレストグリーンに丸を付けたけど・・・

 

左側 子供の遊び場から続いています。 ここはもう深くなります。

 

橋の上から見た所 階段状は魚道です。 魚が跳ねていたり それをじっと狙うアオサギがいたりします。

 

これはミサゴかどうか確認しようと どんこさんのブログで検索したところ 羽の内側が網状の模様でした。 私の写真じゃ小さすぎて残念ながら比べられませんでした。



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前回ご紹介した鳥居橋に 【一の橋 2.8km】 と書いてあったので 行ってみました。 

運転は友人 この 水神社の鳥居を観て思い出しました。 私は来たことがあります。

 

こちらが正規の入り道 一の橋は参道橋(神橋)です。 そして こちらは山神社です。

水神社と山神社がある・・・ いいですね~

 

壁石の部分 自然石です。渡りますよ~  と思ったら ワンコが渡ってきました。 

飼い犬のようですが飼い主さんはいませんでした。悠然と歩いて 目を合わせもしませんでした。

 

はい 山神社の鳥居です。

 

境内から見たところ 狛犬さんは 小さいけれど 精悍な感じでした。

一の橋は こちらからだと石段があります。右が上流 左が下流です。

 

一の橋 上流側です。

 

下流側です。 周りの風景に溶け込んでいると思います。

 

神社の本殿ですが 私 こんな松飾り 初めてみました。 松の枝そのもの 大きいままです。

お正月 5日のことです。

 

隅っこに 松が植えてありました。 来年用かな?

 

本殿の向かい側 絵馬殿? 神楽殿? 分かりませんが 彫刻が施された立派な建物がありました。

 

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大分県宇佐市院内町です。 1月5日のことです。 宇佐八幡に初もうでした帰り道 というか こちらが本命かな?

 

同じ角度の3年前の写真 お天気が良かったので 水の色もきれいでした。 今回は曇りでした。

 

上の写真 駐車場からみています そして鳥居橋を渡ってきました。 渡ってきて振り向いて。。。

ということで駐車場は右上の方角になります。大正5年の架設の鳥居橋(とりい橋)です。

 

鳥居橋の親柱右から下に下りて そこから撮っています。両側に小さなアーチ 真ん中に大きなアーチ3つ

5連のアーチ橋です。

 

案内板です。 石工は松田新之助 熊本の江戸時代末期から明治にかけての石橋とは やはり違いますね。 

 

下に下りて鳥居橋を潜りました。 川は恵良川です。アーチの間から 車道橋が見えています。

 

 

車道橋から見た 大きなアーチの部分です。 以前 ここでカワセミを観ました。その時は一眼レフをもっていました。 おもむろに構えて・・・・捕らえられませんでした。

 

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今回はスマホの写真で ぼーっとしていますがご容赦ください。 祇園橋 架け替え工事現場です。

昭和28年6月の洪水で流失して架け替えられました。

 

架け替えられた橋にも又 寿命が来て再び架け替える為の工事中です。祇園橋が折れたときは憶えています。 

 

この日は橋を渡らずに川に沿って下流に 左側に海の方に向かって歩いています。遠賀川汽水域です。

 

だいぶ歩いて 振り返ったら 遠賀川河口堰が見えます。遠い山は皿倉山です。

 

芦屋橋です。 2010年 新しい芦屋橋が出来た渡り初めの日 芦屋中学校 吹奏楽部のマーチングです。

 

そして 10年たった今の芦屋橋です。 この先、波かけ大橋がありますが そこまで行っていません。

 

折れ橋です。私が子供のころから 折れ橋でした。 ずーっと前の芦屋橋です。

1月15日 帰り着いたら 5,280だったかな?

 

 

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筑後川昇開橋です。向こうが福岡県 こちらが佐賀県 昨年12月 小雪の舞う寒い日でした。

 

汽車が通った頃の 駅名が書いてあります。 もろどみ(諸富)駅 橋の向こうは 筑後若津(福岡県)です。

ここが橋の入り口です。 通行許可時間には5分早かったけど 扉が開いていたから入りました。

 

507.2メートル 長いでしょう? 

その日私は、小さなイザコザがあり腐ってたけど これを観て モヤモヤは ワクワクに変わりました。

 

時々痛いくらい顔に雪粒が当たります。 でも完全武装しているから平気です。 こんな時 マスクも重宝します。

 

左側には レストランに行ったことのあるホテル 右側 これまた何度も行った 花宗水門 筑後川昇開橋には 何度も来ています。

 

 

橋って半分半分なんですね。 ここから筑後若津・・・ということは 緊急事態の現在では県を跨げないから、ここから引き返さなくてはいけません。

最初に書きましたが昨年12月です。 それに ソーシャルディスタンス? 507.2m です。

 

もう福岡県に入っています。いきなり係員の方が2名後ろに・・すごくびっくりして跳ねたんですよ。  

小さな詰め所があるんです。 叱られるかと思ってドキドキしました。 

世間話で どこからですか と聞かれ 北九州 北九州はどこか  遠賀郡 そのあと芦屋町 まで・・ 

 

寒いのに遠くから・・・と仰ったあと  私にとっては奇跡 「あげましょうか?」って仰ったんです。 「わー ホントですか?」

やったーやったーやったー

 

本橋は橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する最古のものである。橋の全長は507.2メートル、可動部分の長さは24.2メートル、昇降差は23メートルである。本橋の設計施行に中心的役割を果たしたのは、鉄道技師の釘宮磐(鉄道省熊本建設事務所長)であった。案内板より

 

可動部分が上がっています。 下に水面が見えています。 感動です。

以前も他の見学者と一緒に観たことがあります

 

上がりましたよ~  申し訳ないような時間でした。 グッズを売ってたので お礼に電車が通っていた頃の写真を買いました。

 

ラミネートコーティングしてあるので、ぼーっとしてますが 実物は綺麗です。

最初に書いたイザコザは いつの間にか忘れ、どうってないと思えるくら いいい一日でした。

 

 福岡県側から渡ったときの記事です。 よかったらご覧くださいね。



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先だって友人達と登った湯川山からみた芦屋の海岸を この日は歩いています。 

海岸沿いのサイクリングロードの周りの芝生を歩きました。

 

公園を出る所まで行きたいけど 今にも降りそうで ダウンコートのフードだけじゃ寒いから少し戻ります。因みに公園の名前は わんぱーく です。

 

海が見え隠れするから この樹の間から 下りられるかもしれない・・行ってみました。

 

誰もいないんです。 足跡もなく 風紋が広がっています。シーンとしています。

 

このまま波打ち際には降りられそうにありません。 いや 高低差はあるけど 10年若かったらね。。

もう一度元の道に戻りました。時々顔に雨粒が当たります。 顔しか出てないから・・

 

右側の山は堂山 山という高さじゃないけど 頂上には色んな史跡があります。 

また左は 洞山 どちらも どうやま です。

 

拡大しますね。 洞山は ぽっかり穴があいています。

神功皇后が戦いに行く途中 放った矢が当たって穴があいたという伝説があります。

 

砂像展のあるプールに近づいています。去年はコロナ禍で中止でした。

遊具で遊ぶちびっこは だーれもいません。

 

駐車場に車はありません。 ほんとに人っ子一人いません。 芦屋海岸独り占めでした。

 

万歩計が おめでとうって 言ってくれるんです。12日 5,053歩歩きました。そして翌日13日は 傘を時々さして4日連続歩きました。 でも昨日14日は出勤のため途切れてしまった・・・

 

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7日木曜日 会社でしたが段々雪がひどくなり昼過ぎ退社しました。 木金土と籠っていて10日午後です。

人の姿を観ると どこからともなく猫たちが寄ってきます。 

 

ねーこはこたつで丸くなる~ ですからね 寒がりなんでしょう。 足を1本上げた時の時間が長い・・・

この後 もう1匹来たのですが 柵の木の上にしがみつきました。

 

キジバトですね。 右側のは 落葉の中に隠れて保護色だから見えません。モゾモゾして出てきました。

そんなの初めてみました。寒いのかと思ったけど 考えるに餌かな?

 

 

雪だるまを作っているのは妹です。 口と帽子が 紅葉した葉なので 何だか人間っぽくなってしまいました。

 

は置いて歩きます。塀の下は大きな池で その向こう土が見えているのはゴルフ練習場 山は皿倉山です。

 

桟橋を渡ります。 左はいいんですけどね 右は船酔いしそうで くらくらします。 どうしてかな~

 

左側です。 鴨が泳いでいます。ここで以前カワセミも観たことあるし オシドリも コブハクチョウも観たことあります。広大な敷地です。

 

サザンカが咲いていました。 早咲きの桜もあるし ラクウショウ も あるし 紅葉もいろんな種類があります。

 

奥の水色のところは大きな池ですが 手前は造ってある小さな池  水が凍っていました。

 

歩きながら 雪だるまが気になっていました。30分くらい経ってますが 無事でした。 雪がないとおかしいとの 司令官の私の言葉に 雪を集めて周りに置いてます。・・・妹が。。。

でもまるで溶けかかったアイスの様です。 板が見えないように上から見るためです。

 

やはり野に置け れんげ草   雪だるまなら 雪の上   置き換えました。・・・妹が・・

 

皿倉山 ほばしら山です。8,332歩 歩きました。5,000歩の目標達成。

 

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