聖武天皇と光明皇后のお話で 最初の緑陰の章 は 皇太后、光明子 から始まるから ん❔ でした。 本の紹介の時に毎回言い訳しています。 時代小説が好きで 歴史は苦手なんだと・・
でもですね~ 例外があるんですよ。奈良時代は好きなんです。若い時 どれだけ行ったか分かりません。
若草の章 生い立ちに戻ります。藤原鎌足の次男 藤原不比等の娘 安宿媛(あすかべひめ) 首の皇子(おびとのみこ)同い年の親戚です。10歳 そこに 長屋王の長男 膳夫(かしわで)と出会います。
朝ドラでもそうなんですよね~ ヒロインには必ず 性格の違う2人の男子が・・・・光明皇后をモデルにしたと言われる 法華寺の十一面観音菩薩像です。もちろん行きましたよ~。
藤原氏と長屋王とは 身内から皇位を出すための争いで敵同士、 その時すでに 子供同士は淡い気持ちを持ち始めたのに 長屋王は この娘を家まで送るのに 呪詛をする男をつけます。
上の十一面観音菩薩を 和辻哲郎は 一種隠微な蠱惑力があると書いてますが 私は聖母に見えました。
3番目 瑠璃の章では 首の皇子 立太子の日 長屋王が手下の呪詛師?に置かせた 蠱壺が見つかります。 壺の中に蜘蛛や蛇をいっぱい入れて呪詛 腐ってひどい匂いがするもの
(写真は法華寺の散華と 御守犬 尼さんが手作りしていると聞いていたので買いました。30年くらい前)
4番目 月輪の章 では
藤原氏は 縁起が悪いということで 首の皇子を直接天皇にせずに 間に女帝を入れることにします。
元明天皇から元正天皇(げんしょう)母娘で天皇になりました。光明子は 皇太子の妃になります。
さて今からが 心に残ったところです。
白虹の章
不比等が亡くなって悲しみにくれる光明子を 元正天皇が 正倉に連れて行きます。 私たちが正倉院と言っている あの 高床式 校倉造
そして 黒作懸佩刀(くろづくりかけはきのたち) を渡す場面 驚きながらも光明子は恐る恐る両手で柄を握りしめた。 感動的な場面ですが キリがないから割愛します。
私はこの銘に覚えがあったから 手持ちの正倉院展の図録を 引っ張り出してみました。 ないから検索してみたら・・・・ なんと この 麟さんの小説が出てきました。
〔黒作懸佩刀〕
葉室麟の「緋の天空」の中でも詳述されたように、歴代の天皇に伝えられた太刀。「黒作懸佩刀」は天武天皇の皇太子・草壁皇子の常用した愛刀ですが、草壁皇子は即位することなく若くして薨去する際に藤原不比等に与えられました。子の軽皇子(後の文武天皇)を天皇位につけることを委嘱したのです。そして文武天皇が即位すると拝領した「黒作懸佩刀」を献上しましたが、この天皇もわずか25歳で崩御します。「黒作懸佩刀」は再び藤原不比等に下賜され、文武天皇の遺児・首皇子(後の聖武天皇)に献上され、その後首皇子は無事に聖武天皇として即位しました。すなわち草壁皇子→不比等→文武天皇→不比等→聖武天皇と伝えられた刀とされています。草壁皇子から下賜された不比等は、当時従五位下の31歳、上には60名以上の上級官吏がいたらしい。裏返せば、不比等は「黒作懸佩刀」を使って藤原氏の権威付けを図っていったともいえるようです。
それでもどこかでみた・・・ありました。やっぱり見ていました。
よみがえる・・・だからレプリカですね。懸とか佩とかいうのは いろいろあるのでしょうね。
白虹の章 最終・・・ 膳夫と 光明子
膳夫が額田王の歌を 光明子の横顔を見つめて詠じます。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
額田王のこの歌に対して大海人の皇子は次の歌を詠んで答えた。
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも
光明子は 人妻、 切ない胸の内が 伝わります。。
いつもはあらすじを書かないのに 暇ですからね~ つづきはまた・・・
長々とお読みいただき 有難うございました。
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