朝倉市の恵蘇宿橋を渡っています。 この橋を渡って 右に曲がると山田堰です。川は筑後川 堰があるということは 下流を観ているんですね。 何度も訪ねた 長野堰 大石堰 方面 らしい。。
今回は アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師 が 参考にしたという堰を見学しました。
本も読んだし テレビでも何度もみました。。
最初に観た景色 ボケとろうが 構図が悪かろうが 1枚目の写真には感動が写っているんです。
このあと手前の法面を下ります。 友人達はゴロゴロ石を斜め下りしてますが、
私は転びそうで怖い お尻をついて下りました。
山田堰です。1番手前の方 水の勢いがすごく 足を滑らせたら大変 深くはないけど 強い・・・
中村医師つながりで来たものの その堰を観ていたら・・ 江戸時代ですよ。
【寛政2年(1790)に完成した日本では他にない石張り堰です。】と書いてあります。この地の庄屋、古賀百紅が農民らとともに築造 こちらの方の小説無いのかなぁ
大きな楠(多分) 君は見たかなぁ~ 230年 きっと見たでしょうね。
靴が濡れるくらいギリギリ進むと どんな多くの人が時間をかけて石を並べたかと思ったことです。
ふと見上げたら あれ~ 水神社です。 最初からこっちに来たら 階段を下りられたね~
水神社の鳥居越しに山田堰です。 水神さんが見守っています。
高いところから見ると 山田堰の全景が分かります。
筑後川の源流は?
【阿蘇山の外輪山、瀬の本高原に源を発する。 大分県に入り、日田市で玖珠川を併せ西流】 ネット
瀬の本高原 先日 阿蘇から帰り道 通ったばかりでした。
中村哲医師 勤務先のすぐ近くに火野葦平旧居「河伯洞」がありますが、葦平は中村哲さんの伯父さんになります。
天、共にあり では 幼少の頃や 古賀市時代 のことが書いてあって身近に感じました。
随分長い時間いて 例によって友人手作りのお弁当を食べて・・・ 偶然に声をかけてくださったお二人
私達のようなちょっと見に来た物好きではなく 感動的な出会いがありました。 もちろん正面の写真も撮らせて頂いたし、お名前も分かっています。
でもブログに書くとは言っていませんので 後姿だけにしました。
水神社については 後日詳しくご紹介します。