迎え盆は8月11日の 菩提寺での 施餓鬼供養から始まります。 終わったあと 智鏡尼が我が家で食事をするのが恒例です。
きっと彼女だけです。。うちで食事って言うのは。。。。私は接待が苦手だけどお寺さんだけはね。。 13日は早めにお墓に行きます。
決まりごとを済ませて!ホッとして・・・・ 送り盆は 寂しさがス――っと胸を吹きぬけます。 だから姪の娘 アユ・キミちゃん(中2・小2)と行きました。 15日 芦屋橋を渡りながら撮っています
浮き桟橋のトン先から精霊舟を流します。 初盆の人以外は 海で溶ける、町指定の精霊舟1500円です。
左の パタパタしているのは アユが 団扇で風を送っています。。 舟が流れに乗るように・・・
アユには曾爺ちゃん 曾婆ちゃんの姓を、キミには自分たちの姓を書かせました。 2人の後姿、 浮き桟橋が揺れてるんですよ。
すっかり暗くなった帰り道の芦屋橋 もうどれが自分たちの舟か分かりません。 中央遠くの橋は 遠賀川河口堰管理橋です。
16日です。 今までの地区の盆踊りいとは別に 毎年 町全体の行事 はねそ踊りがあります。戦没者の慰霊祭です。
芦屋町は去年町制120周年を迎えましたが 20年前の100周年の記念誌をスキャンしています。
この小さな町にも戦死者は405名もおられたんですね。ありがとうございます。 (合掌)
はねそ・・・伝統の民謡で 念仏踊りです。 町内にいくつかの集落のはねそが残っています。 輪にはなりません。 編み笠をかぶり 顔は見えません。
テントの後方に戦没者の慰霊塔があります。。 歌い手はテントの右側です。
姉が参加している集落のはねそです。 雨がぽつぽつ降ってきて三味線はテントの中です。濡れるといけませんからね。
傘は雨のためじゃなく 番傘をさして歌うんです。。 傘をさして下さってるのは歴史資料館の学芸員さんです。姉が歌っています。(編み笠の後姿)
はねそ のあとは盆踊り 炭坑節 芦屋音頭 芦屋サンバ などが かかってました。
暑いには暑いんですが 花火大会が終わり 浜木綿が散り 精霊流し はねそが終わると 夏も終わりか―と思い一抹の寂しさを感じます。。
コメント欄は閉じています。。。 次回も 身内の写真 こんどは顔出しです。。