モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



8月1日 宇佐神宮御神幸祭 流鏑馬(やぶさめ)神事を観に行きました。今回はバスツアーです。

ここが馬場 いつもは参道です。右側が見学席です。

 

宇佐神宮が初めての妹の為に 神事が始まる前に本殿だけ 急いでお参りしました。側面ですが、天皇陛下 幣帛料御下賜 と書いてあります。

小さな事が気になります。【幣帛】かはく へいはくって何でしょう・・・ かへいがちらついて間違ってます。

「幣」「帛」が共に布にちなむ意味を持つことから、古くより絹や麻、木綿(ゆう)などの布帛を柳筥(やないばこ)に納めてお供えをしました。 この布帛の代りに貨幣をもってお供えするのが幣帛料です。(ネットより)

 

参拝個所は他にもありますが今回は時間がなく、流鏑馬会場に戻ります。 途中の景色です。 ふれ太鼓のように あっ 笛もありました。

 

お神輿来ました。なんか白装束でいいですね。 宇佐神宮(宇佐八幡)は 全国に約4万4千社ある八幡様の総本社なんですよ。

 

さぁ 流鏑馬神事 3時からです。大急ぎで桟敷席(テントなしですが 椅子があります。)に戻りました。

 

 

左側が 馬場の 【末】右側の 【元】に向かって 歩いています。 馬を興奮させないよう お客さんは静かに・・

 

この青いところ 1番的  2番 3番とあり これから 的を立てられます。右に見えてるのが桟敷席 私たちの目の前に1番的が見えます。

 

神社の方ですね・・ 【元】の方に行かれるようです。

 

板の 的 が立てられました。前の男子二人は ここに射られた矢を右の子が回収して 左の子に渡す儀式?をしています。 

宇佐高校弓道部の生徒さん 間に見えるのは女生徒でした。 成功したら旗のようなのを挙げます。それぞれの所作が美しい。

 

流鏑馬はこの後 初めての動画で たくさん撮りましたが何せ初めて。 縦画面で迫力がない それから 終わるタイミングで一回一回カメラを膝に置いて 余分な物が写っている なにより アップの仕方がわからない。。

いつか出来るようになったら 縦画面ではありますが こっそり追加します。

 

こちらは流鏑馬も終わった 5時過ぎです。  お神輿・・・後ろのほうに 最初に紹介したお神輿も来ています。

 

小笠原流  流鏑馬にも流派があるのですね。 宇佐神宮では 毎年8月1日に開催されるそうです。

いらっしゃいませ 今日はコメント欄を開けています。



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石仏と石橋の話が続きましたので ちょっとお休み。  コンサートです。

ピアニストの松本りえさんさんは コカリナの先生の娘さんです。今回は、お仲間の冨永隆治さんとの連弾です。

 

中高生も大学生もそれぞれ皆さんもですが、コロナ禍で 彼女もなかなかコンサートができない日々

そんな中で 4月 りえさんらしい優しい曲 手紙 を発表されました。

 

🎵  りえさんのYouTubeリンクです

 開かなかったら https://www.youtube.com/watch?v=HDrKaskzpGI4  です。

 

 

 

こんなコンサートでした。 いろんなジャンルの曲を 連弾で・・ 勿論それぞれのソロ演奏も。それぞれのオリジナル曲も・・

ゲストボーカルの 的野祥子さん 明るく楽しい方で りえさんのコンサートでは、お馴染みです。

 

 

写真は許可された時間に撮っています。

 

             

今日8月9日は 長崎の原爆の日です。

昭和20年(1945年)8月9日 11時2分、松山町上空で炸裂した原子爆弾で一瞬に倒壊。(無傷で掘り出されたアンゼラスの鐘・右上) 浦上天主堂ポストカードより

 

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まだ大分です。豊後大野緒方町、原尻(はらじり)の滝に行きました。スマホの写真です。

 

デジカメです。 右上と中央下の方に 人がいるのが わかるでしょうか?

 

少し大きくしますね。

 

上まで来ています。

 

 

手前につり橋があるけど高所恐怖症で渡れず この石の道を歩いて 反対側から見た写真 以前行った時のものです。

 

友人とその姪っ子、裕子ちゃん は休んで 私は急ぎ足で 原尻橋が見えるとこまで行き 遠いんですが 撮って トリミングしました。

 

原尻橋です。 5連の石造りアーチ 長さ 73m 架橋 大正12年(1923年)

以前 原尻橋まで行って 渡ったこともあり、その時の写真です。 いいカメラを持っていきました。


 

アーチの橋は 滝の方にもあります。

 

橋の向こうには 茶店があります。 青いポストはなんでしたっけ・・・

 

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まだまだ大分の続きです。(笑 )宮迫石仏の駐車場より右回りに150mほど坂を上がると、「緒方宮迫東石仏」が見えて来ます。

 

案内板があります。右下の方 石仏と磨崖仏の違い・・抜粋します。

石で作られた仏像は石仏 その中で仏像を動かすことができるのは石仏 後ろの崖からくっついて一体となり動かせないのは磨崖仏(まがいぶつ)です。

 

上の案内板 見えるでしょうか? 中央は大日如来です。

 

向かって右に不動明王 左に毘沙門天 が並んでいます。

 

更にその両脇には、金剛力士像が彫られています。 左側の金剛力士像の左には、2基の磨崖宝塔がありますが、これは後の室町時代初期に刻まれたものです。(ネットより)

 

2基の磨崖宝塔です。

 

右側の金剛力士像は 剥落もしていますが。もう少し気を付けて撮るべきでした。

 

磨崖仏の 後ろ 崖の部分は、こういう感じ 彩色も残り美しい仏様でした。

 

駐車場に 車は置いたまま 宮迫西の石仏(磨崖仏)を見に行きます。

この階段を上って右に また階段・・・私は日傘をさしていますが 実は日除けじゃなく、上から虫が落ちてきたら嫌だからです きっといます。もう・・一人で戻りました。

 

そしたら・・・・ 後悔しました。 こんなきれいな磨崖仏だったのです。

 向かって左から、薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来(写真はネットからお借りしました)

 

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豊後大野の旅  宮迫の石仏を探しています。 でもなんと石橋が見えます 鳴滝橋です 

 

大通り沿いで 私は15年前にも 通りかかって見つけています。

 

美しい石橋です。 15年前はこの橋を歩いて地元のお婆さんとお話しています。 きっと私、その時のお婆さんの年になったでしょう。

 

緒方川に架けられた、5連アーチの石橋で、大正11年(1922年)の架設。 橋長は50mです。

そのお婆さん(笑)から 体験された2度の水害の話を聞きました。 

 

 

読み取れないけど 触ってみたら なるたきはし と書いてありそうです。

 

こんな道を通ったならば 鳴滝橋 見つけてくださいね。 左に架かっています。

 

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読めますか? 1000000000000000000000000000000000000 私はもちろん 読めません。(下のほうに参考のリンクあり)

 

虹澗橋(こうかん橋)  澗(かん) 2度目ですから 漢字は読めます。 で  の意味を調べたのです。

たに たにみず 谷にかかる虹のような橋    他に・・・・数字の単位 というのが目につきました。

 

大分県 三重町を移動中に左折4㎞❓ の標識があり すごくいいよ と誘って 寄り道してもらいました。

なんか大雨が降ったら壊れそうで心配になります。

 

 

また面白いこと・・・橋部と下のアーチは 勿論一体ですが 上の滑らかな曲線は 言ってみればデザインなんでしょうか。橋の欄干ということではないようです。

 

大野市三重町側に車を置いています。 橋を渡ったら臼杵市なんですね。

 

臼杵市に向かって 渡っています。

 

澗どのくらい?
 漢字文化資料館 面白いです。 恒河沙 ごうがしゃ 阿僧祇 あそうぎ 那由他 なゆたは、お経で すごく大きい・多い 意味で読んだことありますが 数字ではわかりません 
 
澗は10の36乗を表す単位。
10の36乗を計算した答えは、1000000000000000000000000000000000000になります。 0が36 あります。
 

 

虹澗橋のたもとには、架橋の経緯や工事の過程などが刻まれた「虹澗橋記」と題する石碑があります。現在、石碑は下半分以上が土砂に埋もれ、碑文は一部しか確認できません。しかし文字数や字体がほぼ一致することから、この碑文の原本とみられる書軸(臼杵市所蔵)が残されています。(ネットより)


 

 

臼杵市に来ました。 虹澗橋の真ん中で 羽を広げているのが 同級生です。

 

いらっしゃいませ 今日はコメント欄を開けています。



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