鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

石田名香雄さん

2009-12-29 22:41:15 | 思いつくまま

 少し古くなりますが、今月の4日に元東北大学の学長(総長)で、ウイルスの研究者である石田名香雄さんが亡くなりました。 86歳。肺炎だったようです。

 石田さんは以前は同じ町内に住んでいました。その頃は東北大学を退職し、インテリジェント・コスモス構想の中心人物として、仙台国際交流協会の理事長とかの役職を兼務していました。 いろいろ思い出があるのですが。

 

 センダイウイルスの発見者として有名ですが、東北大学の学長にまでなる人ですのでそん所そこらの人とは異なり、天才といってもいいのかもしれません。でも、本人は天才でもどういうわけか弟は知的障害者でした。

 兄よりも早くに亡くなっていいますが、いつもコートを着て長靴を履き、ポストに郵便物を投函するのが毎日の仕事といってもいいものでした。ポストは我家の近くにあるので、家の前を通るわけです。 とってもまじめな人で、道で会うと必ずあいさつをしました。誰にでもです。「こんにちわ。いい天気ですねえ~」という文句が多かったですが、地域の人たちには好かれていたというか、地域の人たちが見守っていたというのでしょうか、誰も馬鹿にしたりすることはなかったように記憶しています。 

 昔は地域に一人や二人は知的障害や身体障害の人がいて、周りの人はそれをそのまま受け入れて、自然に接していたように思います。人間社会には赤ん坊から年寄りまでの老若男女がいて、健康な人もそうでない人もいて、一つの共同体を形成していたように思います。いろんな人がいて当たり前、いろんな人がいての社会という意識があったのでしょう。 今はどこにいっても地域コミュニティ、地域共同体の崩壊がいわれ、何とかして地域を復活させようとし、地域おこしに躍起となっています。このことは個人情報保護ということが声高に言われるようになってから顕著になってきたように感じるのは皮肉なものです。話しがそれてきました。

 石田さんとは仕事で少し付き合いがあったのですが、研究者として街中に事務所を構え、女性の秘書を抱えていろんな要職をこなしていました。事務所内はいろんな本が一杯、所狭しと並べられていて、その前にはいろんな大小のメモが一杯貼り付けられていました。本当に忙しい人でしたから日程調整は大変だったでしょう。年をとっても頭の回転は早く柔軟で、いろんなことに興味を持ち、当然ですが博識でした。

 私もできるならば自宅に書斎を持ち、四面を本棚で埋め、本に囲まれて、本に埋もれて生活したいというのが夢ですが、家の奥さんからは本を何とかしろといわれるばかりで、この前は泣く泣く思い出が一杯ある数百冊の本を処分しました。本は何も読むためだけにあるのではありません。積んで置く、積読だけでもいいのです。読まなくても時々ページをめくるだけでもいいのです。本の背表紙、本の匂いに囲まれて夜を迎え眠りにつく、こんな生活を続けられたら最高なのですが、それは夢のまた夢です。

 そうそううちの町内では9月下旬に縛り不動のお祭りをしている(毎年このブログで紹介しています。)のですが、石田さんがまだ町内に住んでいた頃は、貰いものかもしれませんが、珍しい日本酒とかを差し入れてくれたものでした。

 そんなことが思い出されました。

 

 PS 東北大学の前学長(総長)も同じ町内に住んでいるのですが、地域とのつながりは全くないですね。地域のためにも活動してくれたらありがたいのですが、残念です。


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