鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

大崎八幡宮どんと祭 翌日

2012-01-15 21:14:54 | お知らせ

 昨日今日と大学のセンター入試が行われましたが、受験生のみなさんは実力を出し切ったでしょうか。 私の大学受験のときは当然センター入試なんかはなくて、各大学で作成した入学試験問題に取り組んだものです。国立大学も一期校と二期校があり、2回受験する機会がありました。 授業料は年間で12,000円でした。学寮に入っていたので、寮費は月100円で、食事は一日120円でした。3食でです。朝が30円、昼が40円、夜は50円でした。ご飯はもちろん丼飯で、お代わりはなかった。みそ汁は早い者勝ちで、遅く食堂に入ると具はなくて本当のみそ汁しか残ってなかったものです。奨学金は3,000円と8,000円の二つの制度がありました。 冬は寒いですが、最初の一年間は大正時代の木造2階建ての寮だったので、暖房は12畳一部屋で炭1俵、早く部屋に戻ったものが炭をおこす役目でした。 そうそう12畳の和室に5人の入居という情況でした。炭だけでは寒いので、冬は布団に足を入れ、綿入れを着て、木製のリンゴ箱を改造したものを机代わりにして勉強したものです。壊れた窓には紙を貼って、寒風を防いだものです。そうそう、2回の部屋になったときは、廊下を人が歩くと揺れるので最初はなかなか慣れなかったです。一番辛かったのはトイレでした。大の場合は下から寒風が尻を目掛けて吹いてくるのです。これには参りました。現在の温風便座、便座が暖かいだけでなく、温かいお湯が出てくるのです。いやはや、ありがたいというかなんというべきか、ここまでやる必要があるのかどうか、心配でもあります。 なんでこんな話しになったのでしょうか?

 野田内閣で内閣改造がありましたが、消費税10%ですか、どうなるのでしょうか?消費税を上げても本当に福祉や年金が改善されるのでしょうか?個人的には、事ここに至れば消費税10%もやむなしと考えます。ただし、増えた税収分が軍事費やいわゆる公共事業に使われるのは御免です。これからは幸福度アップにつながるような政策に、つまり福祉関係に使われるのであればという条件つきです。さらに予算は高齢者よりも子どもたちに、子育て世代に使ってほしいと思います。恵まれている高齢者から最大限に納税してもらい、そのほかの高齢者には最低限の生活保障だけでいいです。いわゆる憲法で保障されている最低限の生活保障だけでいいです、世の中の全ての高齢者は一律に同じ生計とするという政策をとってもいいのではないでしょうか。金持ちも貧乏人もすべからく、例えば75歳になったら全員が同一条件の生活を送るようにするとかして、そこから浮いた財源をこどもや子育て世代、若年層の勤労者に回すくらいにしてはどうですか。そのような荒療治でもしないと、我が愛する日本は立ち直れません。 世の高齢者のみなさん、覚悟を決めようではないですか、例えば75歳以上はもう完全な余生であり、いつ死んでもいいように心掛け、若い世代の犠牲となってもいい年齢と位置づけて、後世の世代に掛ける迷惑を少しでも減らしていく、そうでもしないと共倒れしか残されてはいないのではないでしょうか。ここまで書けばお分かりでしょう、そうです、現代版”姥捨て山””爺捨て山”です。幸いにも?今日本には”限界集落”がたくさん出来つつあります。最後の時を過ごす場所にはこと欠きません。逆三角形の人口構成が続く限り、今の制度を維持してなんていうことは不可能です。ここいらで思い切って政治を若い人に任せましょう。例えば65歳以上の政治家は全て引退させ、できれば60歳未満の人たちに政治を任せましょう。そしてもうこれからは老後はない!ものと自ら覚悟しましょう。 暗い話しになりましたが、小手先だけの政策ではもはやどうにもならなくなっているのではないでしょうか。 (暴言失礼します。)

 

 イランの問題も書きたかったのですが、ますます暗くなるので止めといて、きょうの本題です。

 

 昨夜燃え盛った御神火ですが、一日で消えるはずもありません。まだまだ燃えています。午後3時頃ですが、買い物のついでにまたしても行って来ました、大崎八幡宮へ。 今年これで4回目です。

 約100段ある階段を上りきったところに立っている大きな幟旗です。

    

 この階段を上ってきました。こう見ると100段以上あるかな。

    

 階段の上から本殿に続く参道の前に立つ大きい鳥居です。

    

 このすぐ左横の広場がどんと祭の場所となっています。 きょうの午後3時頃の様子です。

 

 まだ参拝する人々はいます。御神火はまだまだ燃えています。如何に凄い量の松飾が持ち込まれたかを物語っています。 下の写真は反対側から撮ったものです。

         

 その昔、少年だった頃かな、どんと祭の翌日早く行ったことがあります。小銭を拾うためです。 焼けた小銭は縁起物という記憶があります。


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