鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

豊齢学園、最後の授業

2013-02-08 21:54:34 | お知らせ

  きのうの最高気温は10度近くだったのに、きょうは一転して3度くらい。 一気に7度も低くなってしまった。 おまけに朝方は雪が降り続き、寒さひとしお。

 そんな中「せんだい豊齢学園」の最後の授業を迎えました。 平成23年度から24年度の2年間の学園生活も授業はきょうでお仕舞となりました。 卒業式にあたる 修了式 は22日にあります。 2月22日をもって完全に学園とおさらばとなってしまいます。 あっという間の2年間でした。

 今日の授業ですが、午前中は 『老人クラブの活動について』、午後は 『郷土の年中行事』でした。

 『老人クラブの活動について』の講師は仙台市老人クラブ連合会(市老連)会長でしたが、豊齢学園を修了するにあたって、今度は地域でリーダーとして活躍して欲しいという学園事務局の思惑と市老連の組織の活性化の願いが一致したということでしょうか。

 話しのなかでは良いことをいうなあと感じた言葉がありました。60歳、定年退職を迎えてからの人生は20から30年あるが、その間生き続けるためには”何かをしなければ”ならない。 その”何かをすること”ということは「生きがいをもらう」ということ、「生きる価値をもらっている」ということである。

 そして、高齢者について言った言葉、これからの高齢者は 『地域で何らかの役割を果たしての高齢者』 である、と。 受け身の、なんでもしてもらうという受け身の立場から、自分でも”この社会でできること”は何かと考える積極的な姿勢で生きること、これはとっても大切なことだと思います。

 まあ、理想としてはそうありたいものですが、現実は高齢者が高齢者の面倒を見なければならない状況ですし、自分から動こうとするような高齢者はまだまだ少ないでしょう。 せめてできるだけ若い人の邪魔にはなりたくない、少なくとも意識としてはそう思いつつ生きたいと思っています。

 午後の授業 『郷土の年中行事』は講師が博物館の学芸員。 年中行事といってもお正月の行事で、仙台藩の伊達家と藩士の正月行事、および城下貯民の正月行事についての話しでした。

 いろいろなことを教えられましたが、伊達家のなかでは亀岡八幡が一番の神社で、大崎八幡ではなかったこと、3日は「野始め」といって藩士数百名で付近の森で狩りや一騎打ちと称する軍事演習を行っていたこと、今でいう御用始(政務始)は11日からということ。

 町民の間では、初詣は7日で「朝観音・夕薬師」ということで、元寺小路の満願寺と木ノ下薬師堂へ初詣に行ったこと、元旦からの初詣の習慣は明治時代になってから普及したこと、お年取りの魚は現代は”ナメタガレイ”となっているが、江戸時代は”タラ”であったこと、お雑煮についても今はハゼから出汁をとっているが、江戸時代は鮎、それも落ち鮎やカツオから出汁をとっていた(ハゼとなったのは明治の半ばごろ)こと、年賀状は正月(春)になってから出すべきもので、お正月に会えなかった人に対して書いていたこと、等いろいろ教えられるところが一杯ありました。

 ことしからは夏にとった鮎を20匹くらい干して乾燥させ、ハゼの代わりとしてお正月の出汁に使いたいと改めて思いました。


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