きょうがあの東日本大震災から1年と11か月目ということだからでしょうか、NHKは地元の東北大学と共催で 『公開復興サポート 明日へin東北大学』 というかなり大規模な公開録画を中心とした催事を開催しました。 公開録画や公開録音、展示イベント等総数26もの催し物が、東北大学の川内キャンパスを舞台に開催されたものです。
こういう行事があることを知ったのが遅かったために、事前に申し込みをしなければならなかったものが多く、締め切りが1月15日ではもうすでに過去形であり、お目当てのものは見ることができませんでした。
一番見て見たかったのが 『Rの法則』 です。Eテレで夜7時前後から放送されている番組ですが、私は毎週火曜日に放送されている 『スイエンサー』 が面白く、その前の番組が『Rの法則』 なのでついでに見ていたわけです。 山口達也を中心にした高校生たちのトークに興味がありました。
A棟・B棟・C棟の1階や2階を見て回り、雰囲気だけを味わってきました。 ある教室で目についた大学の冊子、帰宅して読んでみたらなかなかいいことが書いてありました。
(東北大学大学院文学研究科 発行)
その中に書評紹介があり、「今を生きるー東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言」シリーズ第1巻の「人間として」のなかでいっている座小田豊教授の言葉が印象的でした。
『今日というこの日は、言うまでもなく、命が燃焼している現在のことである。 それは日々の営みの連なりの一瞬でしかないにしても、その営みをあやまらず遂行するためには過ぎ去った日々の記憶が、それゆえ、共に生きた人たちとのいのちの繋がりの記憶が必要であろう。したがって、「今を生きる」には、己の死を自覚すること(「死を思え!」)よりもむしろ、喪われた者たちと共にしたいのちの営みを想起することの方が大切になろう。』
まもなく2年目を迎える東日本大震災についても、多くの人々の記憶が薄れ、忘れ去られようとしている今、今こそ改めて2年前の凄惨な出来事を思い出すことが必要ではないでしょうか。
以前にこのブログで紹介したことがある2冊の本です。
「遺体ー震災、津波の果てに」をまとめた石井光太さんが今年また本を書きました。
(2013年1月31日 第一刷 徳間書店)
「序」で言っています。
『月日が経過して世間から震災の記憶が薄れていくにつれ、私はあの本で書き記すことのできなかった人々や出来事を頻繁に思い出すようになった。 様々な理由から筆を執ることができなかったことが今になって脳裏に蘇ってきて、書き残してくれ、と訴えているように思えたのだ。 なぜ私はあの人たちのことを描かなかったのか、その疑問は次第に後悔や罪悪感となって私の胸を締めつけた。』
第一話 破壊した街へ から 第九話 身元不明者の墓標 までのなかで、震災直後から体験したことが赤裸々に語られています。 きれいごとや称賛すべきことばかりではなく、はっきり言って醜いこと、見るに聞くに堪えないこと、そこまで書くか!と思ってしまうことまで書かれています。
そういうことの一端は下記の本(漫画で表現しています。)でも柔らかく紹介されています。できればこちらの本にも目を通していただければいいのではと思います。
マスコミで称賛されたことの裏には筆舌に尽くせないようなことが一杯あったのです。 そういうことまで含めて間もなく2年になろうとしている今、改めて当時の状況を振り返ってみる必要が、価値があるのではないでしょうか。
決してきれいごとではすまない現状、多分多くのみなさんはマスコミが流した画面をそのまま信用してはいなかったのではないかと思いますが、どろどろした汚れた信じたくない現状もあったはずだと感じていたのではないでしょうか。 そういうことも含めての実態を改めて思い起こす、嫌なことですが、ことが必要なことではないでしょうか。
圧倒的な破壊のさなかで心に刻み込まれた、忘れられない光景ー。『津波の墓標』 東日本大震災を忘れないようにしている人々には是非とも読んで欲しい本です。