きのうの最高気温は27度台で、とっても過ごしやすく感じました。 気分だけでも違いますよね。 きょうはあさから小雨模様のパッとしない、梅雨空に戻ったかのような天気でしたが、午後からは陽射しも出て蒸し暑くなってきました。
きのうの最上川の上流域の鮎釣りですが、水温が高くて全く釣りにならなかったようです。 多分水量が少ないから水温も上がり、冷たい水で養殖されている養殖アユにとっては人間以上に暑くて大変なことだったのでしょう。 またようやく掛かった野鮎も、暑さのために満足に泳いではくれなったようです。 寒河江川もパッとしなかったようです。 厳しいです、日本海側の河川は。
(午後0時10分過ぎの東の空です。きのうの写真とよく似ています。)
きょうはヒロシマに続いてナガサキに原爆が落とされた日です。 日本の主要都市を夜間絨毯爆撃をして”鬼畜”としか言えなくなった米は、原爆一発では足りなくて、二発まで落としました。 ウランとプルトニウムの違いはありますが、米国軍人の犠牲を少なくするため、及び戦争を早く終わらせるためとはいっても、こんな大量破壊兵器を二度も使うなんて、根底に人種差別がなければ考えられないことです。
その70年までは鬼畜米英と言っていたのに、今は完全な宗主国と属国の関係に甘んじているのですから、日本人の矜持は一体どこに行ってしまったのか!?と右翼に代わって叫びたいくらいです。
そしてまだまだ大半の米国人は原爆の恐ろしさ、極悪非道さ、無残さ、無惨さを知りません。もっとも現代の若い日本人も、8月6日、9日や15日がなんの日か分からない人が多いということを聞いて、仕方がないかなとも思いますし、これこそ自民党議員の言うこととは真逆の意味で、戦後教育のといっては言い過ぎか、近年の学校教育の影響ではないかとも思います。
そこいくとさすがとしか言いようがないのが今上天皇です。明仁天皇の節目の時のそれぞれの発言は実に謙虚でいて的確であり、問題の核心をついていると思ってしまいます。
引用は、『戦争をしない国 明仁天王メッセージ』という矢部宏治さんと須田晋太郎(カメラマン)が書いた本です。 小学館今年7月5日発行の本です。
日本ではどうしても記憶しなければならないことが4つあるといい、それは終戦記念日と広島の原爆の日、長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結日であり、その日は黙祷を捧げているということです。
その日は、家族で黙祷を捧げ、外出も控えて静かに過ごされているそうです。 そしてその思いは皇太子にも、愛子内親王にも受け継がれているということで、さすがに我が国の象徴天皇だと改めて感じます。
平成4年の中国訪問の時のことばです。
『この両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大な苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時、我が国民は、このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました。』
また平成6年の宮中晩さん会の席上、韓国大統領にむけてのあいさつです。
『このような両国の永く密接な交流のあいだには、我が国が朝鮮半島の人々に多大の苦難を与えた一時期がありました。私は先年、このことにつき私の深い悲しみの気持ちを表明しましたが、今も変わらぬ気持ちを抱いております。戦後、我が国民は、過去の歴史に対する深い反省の上に立って、貴国国民とのあいだにゆるがぬ信頼と友情を造り上げるべく努めてまいりました。』
そしてその気持ちがのちの村山談話(あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします)や小泉談話(改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する)として引き継がれてきたわけです。
しかるに独裁者安倍は反省はするが、お詫びはしない方針とか。 それでは何のための反省かと疑問に思ってしまいます。 お詫びの伴わない反省は、本当の意味での心からの反省とはならないでしょうし、およそニンゲンとして恥ずかしいことです。
反省だけなら、かって流行った言葉、サルでもできます。 「首相談話」から「首相の談話」となり、いままた「首相談話」という形で発表するようですが、世界の物笑いの種とならないことを祈るばかりです。
またまた長いプロローグとなってしまいました。ここからが本番です。 北上川釣行その2です。 その1は盛岡市の南大橋下流での鮎釣りの模様をおしらせしましたが、きょうはその続きで長徳橋下流での鮎釣りです。
これは南大橋下流での釣果です。
盛岡市から南下してやってきました、newoneにとって忘れられない北上川は「長徳橋」です。 はじめての北上川釣行でいい思いをしたのがここなのです。 2,3年前ここで竿を出し、午後から10連荘くらいの瀬での入れ掛かりがありました。 こんなことは空前絶後であります。 忘れられません。そういう場所なのです。 北上川と言えば、即、長徳橋下流となってしまいます。
川の流れとしては下の写真のようになりますか。
①
(南大橋と異なるところは、セミです。)
②
(南大橋では鳴いているセミはツクツクホーシのみでした。)
③
(しかし、長徳橋ではツクツクホーシは聞こえず、アブラゼミかジージーゼミ?でした。)
④
(何キロ下流かは分かりませんが、そういうことがあるのでしょうか???)
⑤
newoneは⑤から、コロガシの釣り友は②あたりから竿を出しました。 だれもいません。 こんな広い、広大かつ長大な流れに我ら二人のみ。 ありがたいというか、もったいないというか、これでいいのか?とさえ思いました。
釣り人がいないということは、まだここで鮎はあまり釣れてはいないということになるのでしょうが、もう8月も中旬になろうとしています。そろそろここで掛かりはじめてもいいはずです。掛かりはじめたら、もう入れ掛かりでクタクタになってしまうかも、なんて思いつつ川に入りました。
こうやって写真だけで見ると大したことのない瀬のように見えることでしょう。 でも現実の北上川はそうではありません。 押しは強いし、結構水量もある急瀬となっています。 まあ川幅が、これほど減水していても川幅はとっても広く流芯には竿は届きません。(いよいよ例の秘密兵器の出番かも?)
しかし、実際に竿を出してみると、鮎の手応えというか感触がありません。 広すぎて、川底に大きな石があるわけでもないし、どの流れの筋を狙えばいいのか皆目見当はつきません。仕方がないので、ひざ上まで川に入って、少しでも流芯近くということでオトリを入れて泳がせるのですが、掛かりません。
2時5分からの竿出しです。 3時20分くらいまで竿を出しましたが、掛かったのは残念ながら2匹のみでした。 型は22、23センチくらいですか。 型はまあまあなのですが、追ってくれません。まだアユは多くはないのかもしれないと思わざるを得ない状況でした。
長徳橋での第一号のアユ(右側)
(第二号 上のアユ)
でも鮎が居ないということでもなさそうです。 というのもコロガシでは友釣りよりも大きい鮎が掛かっていました、それも多く。 これから自分の縄張りを確保して、さらに大きく力強くなっていくのでしょうか。
ということはこれからが楽しみな場所であるということになります。 希望を与えてくれる川、北上川となってくれるようです。
釣果は、11+2=13匹でした。
二人分のアユの集合写真です。 これらのアユはどうなったか?
そうです、翌朝20余匹を3枚におろして、半分は義弟に持って行き、半分を我が家でフライにして食べました。
まもなく夏の高校野球甲子園大会で地元の仙台育英学園が出場します。果たしてどういう結果となるか?楽しみです。