いい天気なのですが、きのうまでと違うのは風が冷たいことです。 風も爽やかで頬に心地よい風であれば最高なのですが、如何せん冷たい風。
冷たいと言えば韓国の旅客船の遭難事故、天気がかなり荒れているし、寒そうですね。 船首の底を見せて沈んでいる旅客船。 救助の船はたくさん出ているのに、思うように救助活動ができないもどかしさ。 高校生がたくさん遭難している。 親御さんたちが近くまで行っても何もできない、叫ぶだけ。 こんな惨いことはないですよね。
目の前に、目の前の沈んでいる船のなかに自分の子供がいる、まだ生きているはずだ、なんで助けられないのか、早く救助してくれ、掴みかかりたくなる親の気持ちは痛いように分かります。 天気が悪い、海が荒れている、二次災害は避けたい、そういう気持ちも分かりますが、それでも目の前にある船、沈没している船の乗客を助けられない、今の技術では思うような活動が出来ないのでしょうか。
まだ船内に酸素が残っていることを祈るばかりですが、それにしてもひどいのは、呆れかえるのは乗組員のことです。 乗船客を残しておいて、それも船内放送で動かないようにと言ったりしておきながら、自分たちだけ先に逃げだして助かっていることがどう考えても許せないことです。海の男にあるまじき行為、厳しく断罪されなければなりません。
数年前に地中海でしょうか、イタリアの近海で遭難した豪華客船のときも船長とかが先に逃げだしていましたね。それを知ってもう呆れ果てるしかなかったのですが、またしても同じようなことが起きてしまいました。 その時の船長等はその後どうなっているのでしょうか。
むかし昔みた映画”ポセイドンアドベンチャー”を思い出してしまいました。 この映画でも大きな船が完全にひっくり返ってしまいました。上下が逆さまになってからの、いろいろな人間の葛藤、悩み決断行動が見られました。 どのような人間が集団をまとめて助かるための行動ができるか、いいリーダーとなり得る人がいるかどうか、それが大きく影響するのでしょう。 今回の韓国の旅客船の海難事故においても、せめて映画みたいなことが起きてくれないか願っているのですが。
韓国の高校生と言えば、これもむかしのことですが、平成9年かな仙台市内の高校生10人と韓国に約1週間行ったことがあります。 高校生たちはホームステイをしました。引率者はホテル滞在で。 ソウルの進学校を訪問したのですが、まあその当時から韓国の高校生たちの勉強といったらすごいのひとことでした。
朝は7時頃から登校し、弁当はお昼と夜食の二つを持って午後11時くらいまで学校で勉強すると言っていました。信じられますか。もちろんそうなれば子どもは親がかえになります。車で送り迎えをするのは普通です。 それくらい勉強しなければいい大学に入れないということで、受験勉強にかける情熱は日本人の比ではないと感じたものでした。
今回の事故では修学旅行の高校生たちがたくさん乗船していました。 子を持つ親としてこんなにやりきれないことはありません。 どうか少しでも多くの人が、少しでも早く救出されることを心より祈っています。
一昨日くらいですか、総務省からの人口統計が出ていました。 平成26年3月末の人口ですが、総人口は127,120,000人。 0歳から14歳の人口は16,330,000人。 15歳から64歳の人口は78,410,000人。65歳以上の人口は32,380,000人です。
(これは小さいサクランボがなる桜です)
65歳以上の人口が25%を超えています。これからますます確実に高齢者が増えていきます。われわれ団塊の世代が高齢者の人口を押し上げ、少子高齢化社会の中核を良くも悪くも担っています。
どちらかといえば団塊の世代は嫌われ者、嫌われ世代となりつつあるように感じます。 圧倒的な数を利用してしたい放題のことをして、そのつけはすべて後輩の世代に押し付けてけしからんというような気配が感じられます。肩身が狭い思いをしながら生きていかなければならないのでしょうか。
60代は18,230,000人、70代は14,040,000人、80代は7,790,000人もいます。多いですね。 こんなに生産人口が少なくなっているのに、集団的自衛権とか、富国強兵政策で若い人たちを戦場に送り込みたいのでしょうか。
となれば我々高齢者が若者たちの盾となって、有事の際には率先して武器をとって海外に出ていかなければならないのかもしれません。歳をとって貧弱な社会福祉制度のもとで死を迎えるよりは、「積極的平和主義」の旗の下、海外に打って出て、日の丸自衛隊として数にものを言わせて海外で戦死するという道を選ぶべきなのかなあ、なんて夢想したりもします。
それとも新しい ”楢山節” が生まれるのかも。 でもどこかの市役所が老人を65歳からではなく、70歳からにしよう、高齢者扱いは70歳からにするようにしようとしているようです。これもひとつの識見ですよね。
いわゆる老人は 75歳 からでもいいのかもしれません。そう定義しなおせば、もろもろの制度も変更することになるし、高齢者自身も意識が変わってきていろんな分野でやる気(またはやけっぱちも)を出すことになるかもしれません。 そうなったら願ったり叶ったりですね。
そして究極は我々自身が””平穏な死を望まない””ことかもしれません。 歳をとったら医療行為や投薬は程々にする、枯れて死ぬようにする、もしかして厚生労働省はわれわれがそう思うことを望んでいるのかもしれません。 健康寿命と平均寿命が一致するようになれば問題はないのですが、・・・。
【写真を午後はアップできなかったのですが、夜になったらOKとなりました。ほっとしました。】