8月23日 白虎隊の日というのは初めて知った。
戊辰戦争で会津藩の白虎隊20人の隊員が、城下の飯盛山で自刃(じしん)した日である。
白虎隊は16歳から17歳までの少年で編成されていて
町に火の手が上がったのを落城と思い自刃してしまったのだが
鶴ヶ城が降伏により開城したのは1か月後のことなのだ。
飯盛山から望んだ城下町・会津若松市
自刀した白虎隊の中で、一人は息のあるうち助けられ手厚い介護を受けたが者がいた。
飯沼貞吉と言い、その後の逃避行についてはあまり知られてないらしい。
白虎隊のお墓は会津若松市内の外れで自刀した飯盛山にある。
また 近くには 白虎隊記念館などもあり
けっこうな観光地になっている。
しかし まだ年輪もいかぬ、思春期であった少年達が戦いに疲れ果てて
やっと辿り着いた飯盛山から、鶴ヶ城が燃え落ちた…と思い込み
自刀していった様を想うだけで胸の詰まる思いだ。
主君を思い、小さな頃から武士の心得として
「什の掟」を学び実行してきた。
会津藩の子どもたちへの教育の指針は
「論語」や「什の掟」、「日新館童子訓」
「幼年者心得之廉書(こころえのかどがき)」などにあったといわれている。
「什とは」
什とは、日新館入学前の6歳から9歳までの子どもたちが
各地区ごとに作ったグループのことで、そのグループ内の規則を什の掟と呼んだ。
1.年長者の言うことに背いてはなりなせぬ
2.年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
3.虚言を言うことはなりませぬ
4.卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
5.弱い者をいぢめてはなりませぬ
6.戸外で物を食べてはなりませぬ
7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
そして最後に『ならぬ事はならぬ事です』と締めくくってある言葉は有名だ。
今の時代にそっくりあてはめる事は出来ないけど
今 必要なこともたくさんあげられていると思った。
今日の…いや すでに昨日となってしまったが
改めて地元である、まだ少年の純粋さを持った彼らの悲しい最期を
忘れてはいけない事なのだと思う。
朝のうちは大雨でどうなる事かと思ったが
全体的に曇りで少し蒸し暑さも和らいだ今日に
飯盛山の19のお墓に、彼らの死を悼むお線香の煙が充満していたに違いない。