先日の事、晴れてはいたけど風の冷たい日で
小屋の入り口で豆要りをしていた夫を買い物へと連れだした。
そのついでにどっか行ってみようかって話となり
う~~ん、どこがいいか…平日はちびっ子たちをお迎えに行く前に
夕食の準備も済ませておくのであんまり時間はない。
ふと思いついたのは、市内滝沢町にある不動滝。
ばあちゃんを介護していた時ディサービスやショートステイの合間に
何度か行った事があったけど…確かばあちゃんが亡くなってから行ってなかったなと
あれは震災の年だったから、ずいぶん行ってなかった。
そこに行ってみる?って聞いたら本人も行く気になってようで
なんでも目に良いっていうんじゃないか?というけど
そんな話聞いた事もなく、どっから聞きかじってきたのか
滝沢の不動滝へと出掛けて来た。
市内滝沢町から昔は滝沢峠を通って強清水への旧道があり
その旧道入口を右折…住宅街を過ぎると、舗装のされていない
狭い落葉が敷き詰められた道路をゆっくりと走る。
久々に狭い道路を走ったような気がする。
昔だったらブイブイ言わせて走ったけど
今はゆっくり慎重にと、狭い道は片側が山で片側が眼下に流れる不動川となっている。
家に黙って来ちゃったので、こんなとこで車ごと落っこちちゃったら
行方不明で大騒ぎになっちゃうだろうなあ…そんな事を考えながら
モトクロスの練習にも来るという場所
ちょっと広い駐車場になっているような場所を通り過ぎると
俄然道は狭くなったような気がする…やがて赤い旗が見える滝沢観音の入り口へと。
鬱蒼とした落葉の好き詰める道路 不動尊入口
通る車もいないだろうと入口付近山よりに寄せて停める。
ずっと下の方に石段は続く
その脇を流れる不動川
車を降りると頭上の木々が覆いかぶさって来るように見え
そんな中赤い旗に導かれるように石段を降りる。
道の脇を流れる不動川のせせらぎの音が大きくなって来る。
昔は道路をふさぐように大木があったに違いない苔生した切り株
熊出ないよな…ぼそっとつぶやいて
もしも熊が出たら、おとうを置いて先に逃げるけどいい?って
逃げ足なら足の調子の悪いおめよっか俺の方が早いとか
そんな気配をも感じさせる場所でバカな会話の私たち。
最近の熊出没に一人だったら絶対に来ない場所となっていた。
途中疣神様の祠を通りせせらぎを渡る石橋を過ぎると
流れる滝の音が大きく聞こえ始める。
目の前には不動滝をバックに白糸神社が見えた。
不動滝を背負うように白糸神社
滝沢の不動滝、ここには白糸神社と
会津三十三観音第18番札所 一箕山滝沢寺 滝沢観音
そして中央には不動尊が祀られた霊場で
滝の落差は約25mと言われ決して大きい滝ではないけど
この時季雨量があったためか水量も多く迫力は感じられた。
夫、目に良いと信じてるのか丁寧に拝んでいた。
たきざわのおちてながるるたきのみず かかるすえずえみろくなるらん
そんな会津三十三観音18番札所で
ちなみに、会津での三十三観音めぐりの起源は寛政二十年(1643年)
保科正之公の入封以降と伝えられている。
おもに農村部の女性が、田畑の仕事が一段落した七月頃に
白装束に笠をかぶり、講仲間とともに「御詠歌」を唱えながら
三十三観音札所を巡礼して回ったそうで
短歌形式の歌詞を旋律にのせて唱える仏教歌謡は
仏の教えや霊場の景観、死者への哀悼、札所にまつわる伝承などが読み込まれていた。
ーサイト抜粋ー
昔 戊辰戦争で白虎隊の隊士が戸の口原で西軍との戦いに破れ
飯盛山に逃れてくる途中通ったところでもあって
傷ついたまだ少年とも思える兵士が、二人三人と支え合ってる姿を想像すると
絶望感に苛まれ、どんな気持ちで飯盛山へと向かったのだろうかと
すぐ近くには白虎隊兵の眠る飯盛山がある。
渓流に沈む紅葉の葉
見るからに、ここ何年か訪れる人も少なくなったのだろうか
それとも季節的なものなのか、すっかり寂れたような雰囲気は拭い切れなかったが…。
今年は夫は夫なりにいろんなストレスもあったに違いなかった。
流れる滝にすっかりリフレッシュ出来たようで良かったかなと
滝沢の不動滝を後にした。