あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

2024 年頭に思ったこと

2024-01-07 00:12:16 | 日々雑事
雀の集まる木


年末何かもう一つくらい話をUPしようかと思ってはいたのだけど
やっぱり何かとバタバタして、そのままになってしまったが
それでも年末はこづゆくらいは作って、浜通りの次女の所へと送ってやれた。


心配された天気も思いがけずに晴れの日が続いて
例年恒例の広島に住む浜友さんのお友達から
誕生日のプレゼントも届いて…息子夫婦からはケーキと
足が悪い私にと室内用の厚手の靴下をもらい
そして我が家にしては珍しく紅白歌合戦の大晦日だった。


有吉君とフミヤの白い雲のようにが聴けたのが
昔、チェッカーズ時代からファンだったから
(あ、もちろん浜田省吾は別格だけど!)
唯一観て良かった紅白だった。


のんびりと、そんないつもと同じような年の暮れ
来年は今年よりもいい年になるといいな…そんな思いに
ただ、ここに夫が居ないだけの大晦日だった。
 
朝日の出…残念ながら元旦ではなかったけど。


2024年は年賀状は来ない寂しい正月を迎え
それでも元旦蕎麦を食べて、のんびりと過ごし
2日は長女のとこの旦那さんと孫太郎が来てった。
孫たちにお年玉を持って来てくれて、私も孫太郎にお年玉
もう高校生なので、ちょっと奮発をした。


孫太郎と孫たちとテレビゲームで遊んで
午後から用事があると、早々に帰って行ったけど
すっかり大人っぽくなった孫太郎…じいとの別れの挨拶も立派に出来て
なんだか感無量の私だった。
 
出番を待っている除雪機


しかし、突然携帯の緊急を知らせる不穏な音に続いて
地震…2024年の幕開け早々に大変なことになった。
テレビではどこを回しても津波の情報とアナウンサーの逃げてくださいの声。
会津でも震度4くらいはあった。


当時東日本大震災を思わせるようなテレビから流れる情報に
つい出るのは孫たちの知らない、あの時の津波に流されていった話
あの時もすごかった…そんな話と現在流れるたった今起きた地震のニュースと
まる子は怯えて泣いてしまったり…でも、それで終わりだと思っていた。
 

1月3日 不気味な朝焼けだった。

そして4日から仕事が始まる息子夫婦のために
2日に孫たちを連れて嫁様のご実家へと行くことになっていた。
ばあば、一人で大丈夫なの?と心配そうに聞くまる子。
大丈夫!ノリやニャアタ、バニラもいるしよ。
ばあばの事は心配しないで楽しんておいでって
送り出したばっかりだった。


誰もいなくなった家に、久々の開放感を味わっていたのだが
嫁様よりの連絡で、まる子が嘔吐が酷いので
いつ病院へ行かなくてはならないかもしれないからって
保険証などを取りに戻って来た。
 
霜で綿を被ったようになった雑草


やっぱり、夕方には吐き気は治らずに
変なものを食べた覚えもなく、食べすぎも考えられずに
吐くものがなくなっても嘔吐は止まらずに
水さえも受け付けず、救急病院へと行くことになった。


熱はなく吐き気だけ、吐くものがなくそれでも吐き気
胃が裏返しになりそうなくらい吐き気で
救急病院ではレントゲンなどを撮ったり、いろいろ検査をしたのだけど
どうも炎症数値を見ても吐き気の原因は分からずじまいで
とりあえず点滴をして胃腸薬と吐き気止めをもらって
自宅の方へと帰って来た。
 
春を待つレンギョウ


医師の診断では何かストレスとか悩み事だとか考えられないかと
ストレス性胃腸炎らしいという事だった。


思い当たることと言えば
元旦に起きた地震と、その被害の模様を映し出してるテレビニュースで
まだ一年生の時に東日本大震災のあった被災地から来られた先生に
当時の話を聞いたりしていた記憶やテレビニュース
そして大人たちの当時の話などを聞いて…まるこにとっては
かなり怖いニュースや話だったのだろう。
 
霜にも負けないでいるスナップエンドウ


トラウマになってしまったんだね。


家に帰って、なるべくテレビのニュース番組は避けて
プライムビデオで好きな番組を見せたり、明るい話題をしたりと
ストレスのない環境を作って、病院からもらってきた薬を飲ませて
ようやく、少しずつ物が食べられるようになってきた。
 
朝日を浴びた磐梯山


もともと、体はどこが悪いわけではなかったようなので
吐き気嘔吐さえ治まれば、お粥を作ったり素麺などを軟らかく煮たり
消化の良いものを食べられるようにと
息子夫婦は後ろ髪を引かれる思いで会社へと出掛けて
ようやく吐き気嘔吐も治まり、ものが食べられるようになってきた。


まる子は今は元気になって、何日か出来なかった冬友の穴を埋めようと
週明けには始まる新学期に向けて、急ピッチで頑張っている。
それでも、一言も話せなかった数日間を思うと
今は笑顔が見れるようになって、ようやく我が家にも平和が戻ったような気がした。


そして、ストレスって本当に怖いなと思った。


これが被災地であったなら、事はもっと深刻だろうと
まだ崩壊された建物の下敷きになられた方や
助けを待っておられる方…犠牲になってしまわれた方など
とても言葉では言い尽くせない。
 
まるで白鳥が飛んでいるような雲と雪の磐梯山

ただ、少しでも早く助けられる方や家をなくされた方
復旧と共に平穏な生活が取り戻せますようにと
祈らずにはいられない。


遅ればせながら、旧年中いろんな足跡やコメントをありがとうございました。
今年も定期投稿は無理かもしれませんが、精いっぱい頑張ります。
よろしくお願いいたします。




今回はコメント欄は閉じさせていただいています。
 
 
 
 

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