昨日で東日本大震災から一年経った。
こちらのテレビ局では、一日のほとんどが災害の特番ばかりだったような気がする。
そう…一年前も災害の被害情報で、その合間に何度も繰り返されるACジャパン!
某有名な女優母娘は、どのチャンネルを回しても顔が出る事に
うんざりしたのではないかと、同情心を持ってしまった。
まあ、見せられる方もうんざりではあったのだが。
さすがにマズイと思ったのか、その後はパパパ~~ンの「あいさつの魔法」に代わって
意外にもウケをとったようでホッとしたものだった。
庭のヒヤシンスが顔を出し始めた。
当時ばあちゃんを亡くし、我が家には祭壇と盛りカゴだとか生花などが飾られており
夫は夕方からの仕事で出掛けたのが2時40分で
その数分後に、あんな大災害が起ろうとは誰も思ってもいなかった。
3月11日 14時46分
突然の強い横揺れに目眩のような感覚を覚えながらも
孫太郎を胸に抱きかかえて、すぐ脇にあるテレビが倒れないようにと
必死片手で押えてたっけ…まさか、その後に起る津波と原発の爆発!
浜通りに住む次女の事や放射能の影響…そして風評被害へと。
水仙もツンツンと頭をもたげて来ている。
そういえば、昔 友人夫婦4組でいわきの方へ旅行へ行った時
原子力発電所を見学して来た事があった。
サービスホールで原子炉模型で発電の仕組みを見たり
まるで原子炉の上に立っている様な疑似体験?というのか
まさに科学の粋を集めた様な…当時は目を丸くして見ていたっけ。
あそこが被災地の大熊町だったんだねえ…。
その後いわき市塩屋埼の美空ひばりさんの遺影碑や記念館を見たりして帰って来たけど
もうきれいサッパリなくなっちゃったんだろうなぁ…。
そんな事を夫と話しながら、被災の様子など番組を見て
さすがに昨日は気が滅入ってしまってブログに向かう事は出来なかった。
去年のルピナスから新しい芽が萌えだした。
あれから一年…原発から遠く離れた会津でも影響がないわけではなかったが
お風呂に入れて暖かい布団もあって…美味しいものも食べられる。
孫太郎とケンカしながらも、明日の生活を心配しなくても良くて
多少なりともの不満も、いつも通りのいつもと同じ日を
明日も来る事が当たり前だと思っていた。
被災地からの避難者が住む仮設住宅も数多く立っているのを見かけると
夢ではなく現実のものなのだと改めて思い知らされ
平凡でも、いつもと変わりない生活が送られる事!
こういう事があって初めて思い知らされるものなのだと思った。
薄紫のクロッカスが開くのももうじき!
そんなちっぽけな幸せさえ、手が届かなくなってしまった被災された人たちの
心安らかに暮らせる日が、いつか来る事を願う事しかできないけど
せめて3月11日を忘れないでいようと思った。
いろんなバージョンがUPされたようですよ^^
テレビを見ると、私たちが思う以上に被災者の方々は
前に向かって歩こうとしている様子が窺えます。
そういうのを見ると、こちらの方が力づけられてるような気がします。
会津もずいぶん春らしくなって来ましたよ。
時々雪が降ったりもするのですが
季節は春なんですね。
津波の映像も心が痛み目をそむけますが、この曲も耳にタコです(/_;)
それぞれに傷を負った被災者の方々
暗くなるニュースではなく希望が持てる映像がいいですね
いまでも阪神大震災のことを思い出すと心が苦しいですから・・・3・11はその何倍もの被害
癒すには想像も出来ない長い時間がかかりそうです
まっすぐ伸びた水仙の葉
クロッカスと綺麗な花が少しあるだけで癒されますね~~~
いいですね~
気持ちの整理が付かない時期でしたもんね。
我が家もそうでしたが、この災害のおかげでと言ったら語弊がありますが
静かに悲しみに浸る間もなくの災害で
なんだか中途半端な感じで、一年と言う月日が経ってしまったようです。
あの災害では、うちやazamiさんのとこと違って
逝く者を送る事も出来ずに、無理に引き剥がされた様な
しかも中にはご遺体も見つからないという悲惨さに
こんなふうに家族揃って送ってあげられた事は幸せなのかもしれませんね。
せめても瓦礫など、少しでも早く撤去する事が出来て
被災された方が安心して暮らせる事が出来たらと思います。
今日 晴れた日で浜通りから避難して来られたお年寄り夫婦。
しばらく見なくて、どうしたのかと心配していましたが
二人で散歩されていた姿を見つけてホッとしました。
父が亡くなってまだ日も浅く精神的にかなり参って居た時でしたが、
でもあのニュースの津波の衝撃的な映像と原発事故の次々と入って来る事態の重大さに
自分の辛さや淋しさが何処か半減されてしまった様でした。
あの日から1年を向かえた11日は、此方でも一日中震災関連の番組ばかりでしたよ。
改めて、大切なご家族を亡くされた方達が悲しみを抱えながらも今日を明日を何とか前向きに暮して頂きたいな・・・と。
生活をちゃんと立て直せるように、細かな国や地方自治体の支援が少しでも早く届いてほしいものだと思いました。
その為にも瓦礫が速やかに処理されることが1番に望まれますよね。
やっと瓦礫の処理について総理からの発表もあったことだからこれから一気にスピードアップしてやって貰えるように期待したいものですね。
これだけの大災害だから、当然ある程度の時間は掛かるだろうけど、
親子、家族が離れ離れにくらさなくてはいけない状態や、住み慣れた土地を離れざるを得ない人たちが又以前の様な暮らしが出来る日が少しでも早く来てほしいと願わずには居られない気持ちです。
pochikoさんの芽吹いてきた花達に寄せる思いが伝わります。
次々とあがる煙と爆発と、とんでもない事になってしまったと思いました。
それでも野田総理が処理を進めるための
関係閣僚会議を開いて
都道府県や民間企業に協力を要請したようです。
これで少しでも前に進めるかと思いました。
故郷を追われた人たちが帰れる日が来ると良いですね。
ほとんどが災害時と大差ない生活に、瓦礫の山と暮らしているようです。
少しずつでも、安定した生活が出来るように…してはいるのでしょうけど
まだまだ長い年月を要するのだと思います。
tonaさんのように被災地の物を買う事だって立派な支援だと思いますよ。
特に福島県のものは風評被害で買ってくれる人も少ないので
本当にありがたいことだと思います。
あちこちでの地震がまだ続いて心配です。
もうこれ以上、災害は要らないですね。
会津でもかなりの揺れで、付けっ放しのテレビからは
各地の地震の様子が写し出されて津波警報が出ていました。
まさか…こんな大参事にまで膨れ上がるとは思ってもみなかったです。
たくさんの方からの義援金、有効に使われているのでしょうか。
故郷に帰れないお年寄りは、帰れない故郷へ帰りたがっています。
原発周辺は、もう帰る事は出来ないのだと思います。
次女の彼氏君は、その帰れない大熊町に住んでいました。
少しずつ平穏な生活に慣れてしまうのでしょうね。
放射能の心配も、あまりに周りが大騒ぎし過ぎるところもあり
どれが正しくて、どこが間違っているのかは分らないですけど
私も気にしないで食べています。
美味しいものを美味しくが一番ですよね。
ルピナスも放っておくと、また芽を出してくれてますよ。
土があってるのでしょうね。
こぼれた種からも、続々と増えてくれるようです。
娘さんの旦那さんも被災地近くで心配されたでしょう。
単身赴任を余儀なくされて、これからどうなるのか
心配の種は尽きませんね。
ここ二日ばかり、また雪の会津になってしまいましたが
それでも季節なんですね~
庭の植物たちが、静かに動き始めたようです。
こういう新しい命を見ると元気が出ますね。
今年こそは花見山へ行ってみたいと思ってましたが
お休みすると聞きましたが…残念です。
さぞかし驚かれたと共に家の事も心配だったでしょうね。
原発事故、もっと何か最善策はなかったのだろうか…。
あの時にああしてればとかこうしてたらとか言われていますが
過ぎてしまってからではすでに取り返しのつかない事になってしまいました。
いくら安全だと言われていても、自然の脅威さには
本当に無力なものだったのですよね。
残された私達に出来る事はと考えたら
自ずと答えは出て来るのではないかと思うのですがね。
厳しい冬があっても、必ず春はやって来るのです。
続々と顔を出してくれる春たち。
被災地であろうが極寒地であろうがです^^
名残り~雪が~~なんて、まだまだ名残り雪には早い様で
今日も降ってましたね!
いつになったらホントに名残り雪になるんでしょうか。
昨日は一挙に20センチくらい積もりましたが、今日は積もるほどではなかったです。
顔を出したばかりの若芽が、また縮こまって行くようでした^^;
忘れる事が出来るからこそ生きていけるのだと思います。
辛い事悲しい事が少しずつでも風化されて行く事が出来たら良いですね。
見たくないと思いながらも、つい見てしまって…身につまされてました。
あの時刻、全国で、いや全世界で犠牲になられた方への黙祷された事だと思います。
特番でのアナウンサーが、国会議員皆さんが一日休んで
この被災地を見て回ったらどうなのかと
まったく次元の低い足の引っ張り合いやってる場合ではないですよね。
所詮他所の事だと思っているのかもしれません。
またパワーを持って福島へ来てくださいね^^
あの日…札幌でも震度3あったのですね。
直下型じゃなく、不気味な横揺れは本当に長かったですね。
止まったかと思うとまた始まり、その時に吹雪となり
天変地異とはこの事かと思いましたよ。
遠く離れて暮らす娘さんの事、近くにいてやれない分
さぞかし心配されたのは手にとる様に分ります。
我が家も浜通りに次女が一人暮らしでした。
無事で良かったですけど、職も失いました。
でも失ったのが職だけで良かったと思いましたよ。
孫太郎も最初はおサルだったのに、だんだん人間になって行くようで
知恵が付いて来るんですね~
なかなか一筋縄ではいかなくなって来ました。
そんなで、つい怒っちゃうんですけどね^^;
あんな事があったこんな事があったと、ちゃんと覚えててくれたら嬉しいです。
それでも孫太郎と同じ頃、やっぱり孫に振り回されていたんだろうなぁ~
一個だけ好きなもののお約束、私も実践してみようと思います。
なんにも買ってあげないのも可哀想ですもんね。
でも、そろそろ我慢する事も覚えなきゃ、来月には幼稚園入園ですもん。
そのうちに一緒に行こうって言っても、付いて来なくなっちゃうんですよね。
その時になったら、ちょっと寂しいんだろうな~と思います^^;
何度か浜の方に行かれてましたよね。
特番で岩手から宮城、そして福島へと
カメラが追った当時の映像と現在の映像と
福島では、置き去られた家畜の最後の姿を
あまりにも無残で映せなかったと言っていました。
町の裏側は、まだ手付かず状態で
帰りたくても帰れない人たちの、辛い気持を考えると
自分の幸せが後ろめたい様な気さえして来ます。
被害にあったのは人間だけではないって事ですよね。
暖かい雪もあまり降らないところから、雪深い会津へと避難されて
この冬は殊更厳しいものではなかったかと思っています。
近所のアパートへ越されていた浜通りの老夫婦。
最近姿が見えないのですが、どうしたのだろうと…。
暖かい所へと引っ越されたのなら良いんですけどね。
会津は風評被害こそあれ、まだ幸せな生活を送れる事に感謝ですよね。
遅れている復興、瓦礫はどうなるのか…宿題はたくさんあるようです。
それだけでは終らず 原発の爆発と、テレビのニュース 特番と被害地の様子が流されましたが、時間は流れますが、進まないのは復興、ガレキ処理 確かに難しい復興事業とは、思いますが、国が強権を発動してでも実行して欲しいものです
報道で見聞きすれば、故郷に戻るのを諦め
他の地に移住を決めたり 考えていると答えた方が、一向に進まない復興と放射能に、諦めを感じられたのだと、国が強権を発動してでも
この危機を早く治めてもらいたいものです
もう1年経ったのですね。
被災地の方々はそれはそれはご苦労され、心配で寝られない日が続いたことでしょうね。
現地へのボランティアにも出かけられませんで申し訳ない想いです。
せめて義捐金とそちらのものを買うことを心がけました。
もうこんな恐ろしいことは起こって欲しくないですが、でもこれからも大変なことが起こりうるわけで、今回の事からいろいろ学べたことは良かったです。
ルピナスは1年草だとばかり思っていましたが多年草なのですね。
9・11は卑怯者のテロですが、3・11は人災+天災です。
この人災が問題なんですね。
あの日は連町事務所にいましたが、そう言えば揺れたかなぁといった程度でしたので、家に帰ってTVを見て仰天したことを覚えてます。
ボク等にできることは、せいぜい義援金だけでした。
札幌中心に今も3,000人以上の人が避難生活を強いられてます。
札幌に移住したい人、帰りたい人、態度を決めかねている人。
働く場が、それでなくても少ない状況では、なかなか就職先も見つからず、一昨日の黙祷ではそんなことまで祈ってました。
そんなことを忘れてるおばさんです、お気楽ですね。
だからその日も、TVもつけないでいました、
風評被害と、ただ何も知らずに、放射能物質を恐れる人たちを気の毒と。
春の訪れが、会津のほうが早いような、ルピナスの芽が、
うちはルピナスが1年で終わりになります、土が合わないのでしょうね。
今だに解決してません。この先どうなるのかも心配です。娘の夫は会社が南相馬市で原発事故のため15キロ圏内のため、仕事はできず
酒田の同列会社に単身赴任です。これからどうなるのでしょう?
今日は青空が見え久しぶりに、寝具類をあらったり、布団を干したりとフル回転してます。
pochikoさんの写真を見てるとそこまで春が来ているんですね。きれいな桜がみたいです。
スペースに入れてる最中でした。
突如物凄いユレ!!
目の前の買い物帰りのオバハン!!
立ってられずに座り込んでた。
そして原発事故・・・・
これだけは人災です。
二度とこんな人災に合わないよう
子供たちに孫たちに、伝えていかないと
なりません。
それなのに、未だに立地市町村によっては
再稼働を希望する首長がいることに
ビックリです。
復興が進まない理由に原発があることを
考えて欲しいです。
おっ pochiko地方にも
春がやってきたんですねぇ♪
今年もキレーな花をつけてくれそうで
待ち遠しい花の季節だもん(^_-)ネッ
なごり雪が~♪
降ってるんですけど。。。
せっかく、芽が出ているのに
昨日、今日の雪で、そちらでも
積雪有りですか?
人間って、忘れていく動物なんですね。
辛いことを、あの時点のままで
覚えていると、気持ちが張り裂けてしまいます。うまい?具合に忘れていく。。。
でも、肝心なことは忘れてはいけない!
って、心には思っています。
行なわれていました。
テレビも当時を思い起こすような番組を
特集で組んでいたようです。
私はウオーキングに出掛けていたので、テレビ
は見ませんでした
でも午後2時46分には立ち止まって黙祷を
しました。
早いのは歳月、遅いのは政府の対応です。
国会で真剣に論議しているのかと思ったら
相変わらず足の引っ張り合いです。
何故みんなで智恵を出し、協力して
日本をよくしようとしないのか不思議です。
またいつか福島に行って元気を与えてきたいと
思っています。
としみじみ思ってます
あの日の札幌は震度3くらいだったのでしょうか・・・
ですが、とにかく揺れている時間が果てしなく長くて
大きな横揺れが10分近く続いたような気分でした
テレビの無い事務所で働いてましたので
津波の被害を知ったのは自宅に帰ってからで
テレビの前で動けない程のショックを受けてました
その後、コンビニに食べ物や飲料水がなくなるとか・・・
マラソン仲間の人達と支援物資を送ったりとか・・・
ただただ・・・東京に1人暮らす長女を心配してました
振り返ると色んな事が有りましたね・・・
一日も早い穏やかな日常が戻る事を心から祈る日々です
・・・そして↑の方の考えと同じです( ´艸`)
一緒に行こうって誘っても『行かないよ!』
こんな日が孫太郎ちゃんにも必ず来ますよ
それまでケンカしながら頑張って下さいね
決して愛情が薄いのだろうか・・・なんて考える事はないと思います
愛情があるから躾にも厳しくなりますしね(^^)
きっと・・・大きくなってもpochikoさんと過ごした日々を忘れる事はないと思います
でも大きくなりましたね。
我が家の孫たちは、お買い物に行くときは、1個だけ好きなものを買ってあげる約束をして行きました。
最初にそれを買います、時間をかけて探しますよ。
あとは絶対買いません、泣こうが、わめこうが、じっと我慢です。
2回位で、あきらめて、あとは楽でした。
でも、ついて歩くのも、今のうちです。
もう、行こうって言っても、ばあちゃんに任せるって言って、お友達のほうがよくなりました。
災害に合われた皆様には、本当にお気の毒でした。
あれから幾度となく、浜に入ってきました。
復興とは名ばかりです。
テレビで映っているのは、一部です。
幹線道路を外れると、田んぼの中はがれきの山、
磯部の浜に行ってみたら、農機具の小屋は流され潰れ、岸壁は崩れ、面影はありません。
家のあった土台のそばには、壊れた犬小屋があり花が手向けてありました。
きっと可愛がられていたんだろうなと思い、涙が出ました。
持っていたおやつをお供えして、みんなを守ってねと言ってしまいました。
家に帰って、チャコをギュと抱っこしたら、今が幸せだなーと思ってしまいました。
あの日のことはいまだに忘れられません。
昨日は私もサイレントともに黙祷を捧げました。
先日ミヤネヤが会津若松市の仮設住宅地にきて、中継をしたのを見ましたが、
被災者の方々は本当にご苦労されてると思います。
いくら会津には風評被害があったとしても
こうして、平和に暮らせてるってことは
本当に幸せですよ。
これから先どれだけの復興が進むかわかんないですけど
きっと未来は明るいと思います。
そう、信じたいですね。