吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

鳥取養護学校看護師総辞職 その1

2015年07月13日 05時28分59秒 | 日記
 6月9日、鳥取の某養護学校で勤務していた看護師が6人全員揃って辞職したというニュースを聞いた。一人二人ならともかく看護師全員揃っての辞職というのはよっぽどのことである。何故、全員そろって退職に至ったのであろうか? 養護学校には障害者(児?)が通学しているが、彼らは定時の喀痰吸引や人工肛門のパウチ処理、あるいは点滴処置などの医療行為が頻回に必要であるとのことであった。看護師という職業は医療行為をなすものであり、他の資格では踏み込めない特殊な職業領域である。つまり他の人では替えがきかないのである。一方、障害者への処置は時に彼らの生命維持には欠くべからざるものもある。つまり看護師は自分が辞めたら、残された同僚に相応の負担がかかるであろうことは承知である。ましてや全員が一斉に退職したなら残された障害者の行く末、つまり健康や生命の安全を脅かすであろうことは百も承知なのである。

鐘つき犬 その2

2015年07月11日 05時40分01秒 | 日記
 また遠くから聞えるお寺の鐘の音色は、ある意味心のやすらぎを与えてくれる「ヒーリング・ミュージック」である。しかも鐘の音色は、その余韻を楽しむものなのである。連続的に鐘を突かれたんじゃ迷惑この上ない。実は自分は昔、各地のお寺の音色を集めた企画CDを買ったことがある。この鐘をつくタイミングや間隔は絶妙の「間」がある。つまり難しいのである。しかも突き方によっては音の遠達度も異なるし、また感じられる余韻もまったく異なるのである。例えばであるが、縁側を開け放し心地よい風が流れる初秋の夕暮れを想像して頂こう。オレンジ色に染まった座敷に座ってお茶を啜りながらゆっくりと聞く遠くの寺の「ゴォ~~~~ン」という鐘の音は、誰がどう考えたって極上で贅沢なひとときなのである。この情景を頭でイメージしただけでおそらくは気持ちが安らぐであろう。それを犬が紐をくわえてゴンゴンのべつ幕なしに突かれたんじゃあ、きっと周辺の住民は迷惑しているに違いない。この飼い主は、それでも自分の犬の鐘つきの方が面白いのであろうか? なんだか最近はペットに甘い世の中になっているような気がする。

鐘つき犬 その1

2015年07月10日 05時22分53秒 | 日記
 先日、TVのニュースでみた。広島の地方都市の話である。犬を散歩させている途中でいつもの行動だそうである。散歩の途中、ある寺の下に差し掛かると飼い主は犬のリードを外すのである。するとその犬は猛ダッシュで寺の石段を駆け上がり、鐘つき堂の下に一目散で向かい、鐘つき棒の紐を自分でくわえ、何回もゴンゴンと鐘を突くのである。TVでは「鐘つき犬」として好意的にかわいらしく放送されていた。でも自分は見ていて不愉快であった。「住職の許可を得ている」と飼い主は言っていたが、地域の公共施設的意味合いの強いお寺では頼まれれば「無下に」断ることもできまい。「地域の住民の方が喜んでもらえれば・・」とのことであろうが、お寺の鐘の音は遠達性が高く遠くの住民にまで聞こえるのだ。そして本来の意味では鐘つきとは仏教的な儀式として用いられるものであり、またあるいは時計のないころは時刻を知らせるための公共性もあったのである。決して個人の犬の「玩具」的な用いられ方は正しくはないと思うのだが。

ギリシャの財政破綻 その2

2015年07月09日 06時02分34秒 | 日記
 さてギリシャ国民はどれだけ自国の危機を理解しているのか不思議である。国民の3割が役人でしかも一般企業の給料よりもはるかに高いとのこと。しかも公務員はさらにいろいろ経費が付くと。また公共料金もいろいろ手厚く大盤振る舞いの様子・・・。でもこれらの国家財源がどこにあるのか理解しているのだろうか? 観光以外目立った産業もないのであれば錬金術的に財源が湧き出てくる見込みは厳しい。鳩山さんの「隠し玉」ではないが、何か自立再建の具体案もないままEUからの財政再建案をうけないとなると結果は見えている。おそらくはこのまま借り逃げ(デフォルト)になるのだろう。すでに時遅しであるが、やはりまずは自国の産業をじっくり育てることがいつの時代も重要である。日本は敗戦後、産業復興に向けて一丸となって今日がある。今があるのはあの時の高度成長期を担った世代の努力である。しかし今となって思う私事ではあるが一言、「おいっ法人税高いぞっ、何とかしろ!」

ギリシャの財政破綻 その1

2015年07月08日 06時19分09秒 | 日記
 硬い話ではない。誰にでも結末が予想できる。ギリシャが財政破綻してEUから財政再建案が出されたが、国民投票で6~7割の人が反対しそれを受け入れないという結果となった。民主主義の勝利などといっていたが自立再建のめどはあるのか? 具体策も理解せぬまま「反対」では未来はない。 昔、鳩山さんが辺野古移転の問題で「私には、腹案(隠し玉)がある」といって結局、何も方策がなかったことが露呈した。沖縄のおばあちゃんがTVで鳩山さんのことを「嘘つき! 泥棒!」とののしった記憶がある。「泥棒」の意味が不明であるが「嘘つきは泥棒の始まり」をなぞらえていったのか? 民主主義と言っても国民が全員満足するわけではない。どこかで納得していない少数派に迷惑をかけているかもしれないということも配慮する必要がある。今回は少数派のほうが正しい道かもしれない。

犬の噛みつき事件 その4

2015年07月07日 05時21分28秒 | 日記
 まさにこの訓練士のコメントは目からウロコであった。通常、狭い檻で大型犬を飼うと「狭くて可哀想、もっと広いところで伸び伸びと育てたい」と人間は思う。しかしこれは人間の勝手な論理であり犬の本能にはそぐわないようなのである。犬の狩猟本能や守衛本能を惹起することなく犬が安心して人間と共存できる環境を設定するには、主従関係の構築と犬のテリトリー(檻の中=自分の空間)を設定してあげることなのだそうだ。この訓練士の方もはっきり言っていた。「檻に入れないで放し飼いにすることは犬にとって逆にストレスであり落ち着きがなくなる。間違った飼育方法だ」とコメントしていた。なるほど、プロのいうことは説得力があると感心した次第である。落ちつきのない大型犬に街中をウロウロされたらサファリパークの中で自分は車から置いて行かれたような怖さであろう。
昔、千葉の鹿野山というところの寺で飼われていた虎が逃げ出した。結局、猟友会により射殺されたがこんな不幸なことが放し飼いの大型犬にも起こらないといいのだが。

犬の噛みつき事件 その3

2015年07月06日 06時15分39秒 | 日記
 確かにその訓練士がドーベルマンをスタジオに連れてきていたが、おとなしく座って顎を床につけてくつろいでいた。この訓練士の話しであるが、外出した場合は自分より優位にいる飼い主が外の縄張り守ってくれているので、自分はその飼い主の下で安全に「守られている」と判断し大人しくしているのだそうだ。ところが、庭のような広いところで自由に飼育していると自分の縄張りの範囲を設定できなくなるそうである。そこで街中に出てしまうと、逆に怯えてしまい街中すべてを自分のテリトリーと思い、そこにいるいろいろな生物に対して排除活動をするそうなのである。つまり最初から「可哀想」とばかりに放し飼いにして、その犬のテリトリーを決めないで飼育することは、逆に犬を不安に陥れることになり犬にとっては不幸なのであると語っていた。


犬の噛みつき事件 その2

2015年07月04日 05時44分33秒 | 日記
 近隣から撮影された映像をみたが、警察官がそのドーベルマンに追いかけられていた。警察官も辛いであろう。きっと米国ならすぐ拳銃発射するのになと感じたのであるが。 さてこの事件を受けて、警察犬訓練所の人がTVスタジオでいろいろとコメントを述べていた。まさに目からウロコのコメントだった。通常、大型犬を檻にいれて狭いところで飼うのは「可哀想」とばかりに、庭のような広い所に放し飼いにしていることがあるが、それは間違った飼い方だそうである。もともと犬は縄張り意識が強く、自分の縄張りは自分で守るという本能があるそうである。だから檻に入れてそのスペースのみを自分の縄張りと教えるのだそうである。そして飼い主を常に優位の主従関係として躾けておけば、檻から出した時には、外側の世界は飼い主の縄張りであり、そこ(檻の外)では自分が縄張りを守るという「仕事」はしなくてよいのであると認識するのだそうだ。

犬の噛みつき事件 その1

2015年07月03日 06時49分52秒 | 日記
 最近、ペットの犬が人間に噛みつくという事件が多発している。5月28日にはなんと、庭に放し飼いにしているドーベルマンが門戸から外に出て、数名の人間を負傷させるという事件があった。あの大型犬のドーベルマンである。あれに道路を闊歩されたら、これはちょっと怖いくらいではすまないであろう。飼い主は「ゴミ出しのために門を開けたら、そこから犬が出ていきました」とまるで他人事のようなコメント。唖然である。まるで人間が家出したような口調であった。なんだか「あいつが好きで出て行ったんだよねー」とばかりの責任逃れのような喋り方であった。もし虎かライオンを飼っていてそれが逃げ出したとしても「行っちゃったんだよねー」という言い方なのだろうか? でもドーベンルマンだって猛獣に近いかもしれないのにねー。

久々のライブ

2015年07月02日 05時32分47秒 | 日記
 最近、音楽関係のライブには随分行っていないが、ひさびさにこの前の日曜にライブを観に行った。女優のN岸K依さんがボーカルをつとめるブルースバンドである。実はこのバンドのギターを弾いているのが高校時代の同級生である。当時かれは高校の音楽クラブには所属していなかったが地元でバンド活動もしていた。学園祭の時に彼のギターを聴いたが当時から上手かった。しかし何十年もしてまだ音楽を続けているのかと知ってとても嬉しくなった。若いころの趣味は歳を取るにつれて置き忘れてくることが多い。特に自分も医者になってからは大学時代のバンド活動もやめてしまった。まあ医者は今でも一人前とは思わないが、それでも一人前にならないうちに趣味に没頭することは封印してきたつもりである。10年くらい前からまたボチボチと音楽を再開したが、今回の彼の演奏を聴いてまた少しinspireされたような感じになった。しかしながら同時に最近、中学校の同級生の訃報もきいた。そんな年代である。脳梗塞などで自分の指が動かなくなるうちに本格的再開したほうがよさそうである。悲喜こもごもといったところか・・・。

駐車監視員 その9

2015年07月01日 05時15分35秒 | 日記
 また彼らの業務は24時間続いているはずである。しかし明らかに夜間の標章貼りは少ないような印象がある。自分のノルマを達成すればあとは働かなくてもいいのかと穿った見方もしてしまうのである。「違反は違反」「3分間でも駐車違反は違反」というのであれば、数十分の違法駐車は当然、軒並み標章を貼らなくてはならない。そこを自分たちの都合?で素通りされてしまったのでは、「カップラーメン作成時間違反」で貼られた自分の気持ちの整理がつかないのである。好きな時に来て好きな時に取り締まるというのでは誰も信用しない。やはり駐車取り締まりを民間に委託したこと、そしてその資格をとるのに2日間の講習と筆記試験のみという安易な授与形式は誤った方策である。このままであると今後も監視員に対して不信感を持ち続けるであろう。法の規約をもって取り締まる資格のあるものは、法の下で平等に取り締まるべきである。このモラルのなさにより、今回監視員がエアガンで撃たれたという卑劣で許されるべきではない犯行ですら「う~ん、ま、気持ちは分からないでもないけどねー」などと考えさせられてしまうのである。あ でもやはり駐車違反をした自分がすべて悪い。だから今回のこの項はすべて自分の愚痴なのである。