津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川齊護公「道の記」 -- 5

2009-12-02 15:15:35 | 歴史
 廿三日
 夜をこめて、出崎のみなと船出せしに、けふもきのふのそら猶はれ
 て、卯過るころに、葛しまといふ處に、志ばし汐かゞりして

  雲きりも波路のすゑに消えはてゝあさひはれたる遠のしま山

 巳の刻とも覚しきころ、葛しまを船出してゆくほどに、風もなく、な
 みもおだやかなりければ、おしふねにて、日のかたむくころに、備中
 の國白石といふ湊に船つなぎぬ

 廿四日
 きのふにおなじく夜をこめて、志ら石の湊をいで、そらくもり、風も
 なければ、けふもおしふねにて、備後の鞆を過れば、阿伏兎といへる
 處あり、こゝは海にさしいでたる巌のうへに、船路をまもらせ給ふ
 なる、観世音を安置せり、人をしてまうでさせ、ふねのうちながら伏
 しをがみて

  海原やふかきちかひをいのるかなわたる船路の浪もたひらに

 寄る明たてゝ風すこし吹ぬれば、帆をあげぬれど、志ばしがほどにて、
 風もやみぬ、猶おし船にてゆくに、志ほのむかひぬればとて、ひるご
 ろとおぼしきころ、豫州の大泊といへる湊に、志ばしいかりをおろ
 しぬるに、小雨ふりいでければ、

  をちころの見るめにあかぬ島山もふる五月雨の雲にかくれて

 未過ぎるころ、志ほもかなひとて、ふねを出して行けば、雨もやみぬ
 酉過るころ、安藝の國御手洗といへる湊に、船つなぎぬ

 廿五日
 卯過るころに、御手洗の湊をいづ、そらよくはれて、海の面もおだや
 かなれば、

  あさなぎにこぎ出て見れば海原やのどかにうかぶ沖のつり船

 一里ばかり行しに、風少し吹ぬれば、帆をあげて行く、志ばらくし
 て、又風らみぬれば、おしふねにて、未過るころに、興居島といへる湊
 に、ふねつなぎぬ

 廿六日
 夜をこめて興居島いで、そらよくはれ、追手の風ふきければ、帆をあ
 げて、長濱といへる處にきたりしに、風もやみ、志ほもむかひぬれば
 けふは、このところに船つなぐ、波もしづかに、眺望もかぎりなし、
 
  ふねよせて海原とほく見わたせば夕陽をひたす沖つ志らなみ

 廿七日
 けふは、きのうのそらに引かへて、風はげしく、雨も志のをつくがご
 とくなれば、船出すべもあらず、日も暮ねど、風猶はげしく吹て、
 雨もやむなくふりて、いつ晴るべきとも覚えざりければ

  ふるとてもほどこそあらぬ長濱やながゐなさせそ五月雨の雲

 廿八日
 けふは、きのふに引かへて、夜明がたより、そらよく晴ぬれば、辰の刻
 と覚しきころに、長濱を船出せしに、追手なれば、船子ともいさみて、
 帆をあげぬるに、志ばしがほどに、三机のみなともうちすぎ、二間津
 といへる湊にきたりぬるに、佐賀の関の山もみえければ

  はからずもけふの追手にわが國の馴し山邊をみるぞうれしき

 ひもかたぶくころ、風もやみぬれば、けふはこの湊に船つなぎぬ

 廿九日
 辰の刻とも覚しきころ、二間津の湊をいで、そらよく晴れて、すこし
 押しふねにてゆくほどに、またおひてになれば、帆をあげぬるに、なほ
 風をやみなく吹て、名におふ硫黄灘も、やす/\とこえぬれば、う
 れしきあまり

  あふげなほ神の恵のかしこくて船路もやすくけふぞこえぬる

 午過るころに、鶴崎の川口に入り、志ばし汐をまちて、

  うれしやな風にまかせて鶴崎にけふつくべしと思はざりしを

 申すぐるころに、船よりあがりて、鶴崎の館につきぬ、このほどは、な
 みのうきねに、いを安く夢をだにむすばざりつるに、

  鶴崎のつるの千とせもたのもしく今宵うれしき夢やむすばん

 
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郡宗保の枝葉(筑前・黒田藩)

2009-12-02 14:31:46 | 歴史

                 松井興長
        細川忠興      ∥=======寄之・・・・・・→ 筆頭家老・八代城主松井家
           ∥----------古保     忠興六男
 +---郡宗保---●(松の丸殿)
 |
 +--------●
      ∥---+--図書・吉成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ 司書(中老2,800余石)
   加藤重徳  |                    筑前藩・乙丑の獄にて処刑さる
             

   黒田如水===+--黒田一成
            ∥-----●   +--黒田一任・・・・→ 一美(大老16,200余石)
         +---●   ∥------|
         |     重時    +--黒田一重・・・・→ 一類(中老5,500余石)
         |
   栗山利安---+--大膳・利章  
            黒田忠之に謀反の疑いがあると訴えでた、いわゆる「黒田騒動」の仕掛け人
            

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