津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「衰微仕り不賑わい」

2009-12-15 16:59:39 | 徒然
 不景気もあろうが大型店舗が郊外に店を連ねると、中心部の商業施設は下手をするとシャッター街となり、行き交う人もいなくなるということになる。文化12年(1815)頃の本坪井町がそうであったらしい。
             (新熊本市史通史編・第三巻--府中近郊の商業的発展より)

 府中からはずれた立田口では昔は団子や焼餅を商いしていたものが、現在では小屋を建てて、「麺類・煮売りや、小間物・古道具の外酒を売っている」し、慈徳寺町付近の三軒屋では「質屋・八百屋・小間物・古手物・俵物・木竹・揚酒・麺類・打綿」その他いろいろ町方同様の商売を始めたので、「不商に相成り零落仕候」状態になったという。
町の丁頭達は連名で、これらの出店に対しては18品目の品物に限るように、藩庁に願い出ている。飽田・詫摩郡代杉浦仁一郎が実情を調査して郡方へ報告しているが、両町とも府中--在の区別もつきがたく「准五ヶ町」の列に加えてはどうか、商売も今のままでよいのではないかと報告している。

 商売人に限らず、今も昔も先が見えぬ苦悩がある。
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