六月朔日
午過るころ、鶴崎のやどり立ちいでしに、そらくもりて、小雨ふりぬ、
二里ばかり行きて、八幡田てふ處に来りぬ、この處に川あり、うちわ
たりて
この川の清きながれにおのづから夏とも志らぬ風のすゞしさ
二日
けふも、きのうとおなじく雨ふり、明け行くそらもくもりて、時も
さだかならねど、卯過るころ、野津原のとまり立ちいでぬ、ゆくさき
の四方山雲かゝりて、見もわかねば、
やま/\のふもともそれとわかぬまで幾重かうづむ峯の白雲
といひつゝ行くほどに、黒都甲といふ所にきたりぬ、こゝは山中な
れば、さらでだに山きりふかき處なるに、けふは雨ふりて、雲はゆく
さきの道をうづみて、たどるばかりなれば、
天ぐものいく重うづみて黒都甲みちわけわぶる旅のころもで
この黒都甲といふところは、道の側に櫻あまたありて、春のころは
いとめでたし、去年この處とほりしは、彌生の末なりければ、花もの
こりたれど、ことしは青葉のみしげりぬるを見て、
去年の春めでし櫻もけふみれば青葉にのみぞしげりあひぬる
又も来てかならずめでん山ざくらちぎる色香の春をわするな
猶行き/\しに、道のあしければ、おもひのほかにひまどりて、申過
るころ、からうじて、久住のとまりにつきぬ。
三日
けふも、きのふのそら晴れやらで、雨ふりぬ、久住のとまりたちいで、
すこし行くほどに、志らいとの瀧とて、いと清き瀧の落るを見て、
玉とのみ落ちて岩間にくだけつゝつらぬきあへぬ瀧の白いと
此處たちて、一里ばかり行きければ、三本松といふところあり、三本
の松のおとらず栄えぬるを見て、
いく千代の春をかさねて三本なる松のみどりの色をそふらむ
猶ゆきしに、雨もやみて、そらはれぬ、坂梨といふ處にきたりぬ、こゝ
はむかしより、國府のかために関すゑて守らしむ、はこねにおと
らぬけはしき坂道なれば、
いかなればこゝをば昔し坂なしの里とは誰が名づけそめけぬ
このところ越えぬれば、國府をもちかくなりぬとて、人々いさみよ
ろこぶを思ひやりて
みな人のいさむ心も知られけりわがふるさとに歸ると思へば
猶ゆくほどに、阿蘇山をひだりにあふぎ、阿蘇の宮を右にをがむ、この阿
蘇といふは、山上に池ありて、常にけぶりたちて、もろこしもでもき
こえし名山なり、けふは雲かゝりてて、けぶりも見えず、
名にしおふ御嶽も雲につゝまれていづれ煙とわきて見るべき
宮居をはるかに拝して
わが國のまもりの神のみや柱うごきなき代にあふぐたふとさ
ほどなく、日も入りぬ、ほたるの道syがら飛びかふを見て
ゆくさきもおのがひかりに照らしつゝ玉と亂れて螢とびかふ
内牧ちかくなりぬるに、山のみねに、月かげのすこし雲間より見え
ければ、
あすはまた越ゆべき山の峯なれや雲のたえまに三日月のかげ
西過るころ、内牧のやどりにつきぬ、
四日
ほのぼのと明けわたるころ内牧のやどり立出でしに、そらよく晴
れぬ、こゝに千丈無田となんいふところありける、阿蘇の御たけの
麓にて、常に此處をさらず、鶴のすめるといふを聞きて、
千早振神の志りけん阿蘇の山ふもとの田鶴もいく代へぬらん
ほどなく、的石といふにきたり、志ばしやすらひて、二重の峠を越れ
ば、熊本もさだかに見えて、いとうれし、
はるばるの旅路のうさもけふのみと思えばいとゞ嬉しかり鳧
未過つころに、大津のやどりにつきぬ、あすは熊本につきなんこと
のうれしければ、
あすはいざ雲吹きはれよすみ馴れし山べの月の影をはや見ん
五日
けふは熊本につくべければ、心いそがれて、夜をこめて、大津のやど
り立出でしに、そら曇りぬ、二里ばかりゆきて、三の宮といふに、志ば
しやすらひて
立かへり又この神のみづ垣をけふあふぎ見ることぞうれしき
巳過るころに、熊本につきぬ。
つゝがなくいく海山をこえつるも神と君とのめぐみなりけり
(了)