一、東照君御在世の時永井右近大夫殿へ被仰付幽齋様と室町家の
九例御尋被遊候本慶長五年に永井右近大夫并御祐筆曽我
又左衛門其男曽我太郎 後又左衛門又改丹波守為大阪町奉行・イ曽我家ハ両代押ツツキ を幽齋様へ武家の
故実を御習せ被成候武家故実大双紙と云書を幽齋様より
被献之今に至て松平家の御禮式永徳の被准旧例公方義満
公の如例被執行となり右大双紙細川家御代々御譲御秘書と成て
御文庫に御収蔵と傳承る 愚按に将軍義満公に初て公方の御
家号并兵杖牛車共に勅許被准五摂家云々テ節會大辨ヲモ被勤勅官職ナリ然レ共 公方ハ武家の棟梁
たるにより 公方如有識 公方家にも禮法なくて不成に付て其比今川
小笠原伊勢三家に被仰付候て被撰集所の書号を上儀一統大双紙と云
武家の故実の書なり此書たるへき将軍義晴義輝義昭公三代に
幽齋様御近臣御膳番をも御勤と也然者室町旧例式とも可申也
一、慶長五年関ヶ原御利運に成て直に大阪へ御登城其侭御上洛於京
師天下一統の賞罪被執行被夫迄ハ秀吉公如御遺戒天下五人の御大
老下に■五奉行此衆中として御攻勢有之といへとも此時に至て右の
衆中 大神君の敵と成て或は誅戮其家ヲ断絶或ハ其所領を被没収減少其
後に御一人にて思召侭之御事也於京都御攻勢といへ者永徳に始り
候礼式武家棟梁たる家にハ禮敷き一ヶ条闕ても ○イ 難成事也予■たりし
時城州宇治山仁徳山興聖宝寺に詣てたるに永井右近大夫直勝碑石
あり其辞乃内に云
慶長五年秋意志だ三成等作乱 大神君自将伐之使諸将大戦
于濃州関ヶ原三成等就擒時居士列于隊長逮於
大神君之制閫外也令居士尋訪前代柳営之儀式故事于
細川玄旨乃膳冩呈上是為其随時革沿故也 とあり是を
以て見る時は羅山翁の正す所慥なるへし此以前御祐筆宮川加兵衛
後入道号素貞 を久保殿門弟に被仰付書札御習を被遊候時分私尋申候
ハ松平御家書札禮ハ其玄旨様より出たる儀無隠事に候今久保殿
流儀と申すハいかなる事ともに御座候哉と尋申候得共成程其通に候或時
麻生地酒献上之書様尋に遣候得者久保殿被申候ハ此酒豊後よりも
出申候得共世挙て細川御家の名酒に成居申候皆共書中候も御家
より書出候通に書来候本書■式ともに玄旨様より松平御家に相
傳候事に候得共御所■によ川て傳用来候通りを指南仕候との儀に候
由直に咄承り候時世ここにて時により用■補写可有之事也如
此に候へハ慶長五年よりの事と申傳候事為必定羅山翁の
柳営と有之候得共室町旧禮とも可申候小笠原家ハ元来後醍醐
天王(皇)に始りて宮公達日本の師範たるへしといふ事小笠原の
系図に出たり武家故実躾方ハ義満公に初り今 公方の例
法永徳の例たりといへとも細川家に残りて世上に■然たる也
中山宗俊書之
了
九例御尋被遊候本慶長五年に永井右近大夫并御祐筆曽我
又左衛門其男曽我太郎 後又左衛門又改丹波守為大阪町奉行・イ曽我家ハ両代押ツツキ を幽齋様へ武家の
故実を御習せ被成候武家故実大双紙と云書を幽齋様より
被献之今に至て松平家の御禮式永徳の被准旧例公方義満
公の如例被執行となり右大双紙細川家御代々御譲御秘書と成て
御文庫に御収蔵と傳承る 愚按に将軍義満公に初て公方の御
家号并兵杖牛車共に勅許被准五摂家云々テ節會大辨ヲモ被勤勅官職ナリ然レ共 公方ハ武家の棟梁
たるにより 公方如有識 公方家にも禮法なくて不成に付て其比今川
小笠原伊勢三家に被仰付候て被撰集所の書号を上儀一統大双紙と云
武家の故実の書なり此書たるへき将軍義晴義輝義昭公三代に
幽齋様御近臣御膳番をも御勤と也然者室町旧例式とも可申也
一、慶長五年関ヶ原御利運に成て直に大阪へ御登城其侭御上洛於京
師天下一統の賞罪被執行被夫迄ハ秀吉公如御遺戒天下五人の御大
老下に■五奉行此衆中として御攻勢有之といへとも此時に至て右の
衆中 大神君の敵と成て或は誅戮其家ヲ断絶或ハ其所領を被没収減少其
後に御一人にて思召侭之御事也於京都御攻勢といへ者永徳に始り
候礼式武家棟梁たる家にハ禮敷き一ヶ条闕ても ○イ 難成事也予■たりし
時城州宇治山仁徳山興聖宝寺に詣てたるに永井右近大夫直勝碑石
あり其辞乃内に云
慶長五年秋意志だ三成等作乱 大神君自将伐之使諸将大戦
于濃州関ヶ原三成等就擒時居士列于隊長逮於
大神君之制閫外也令居士尋訪前代柳営之儀式故事于
細川玄旨乃膳冩呈上是為其随時革沿故也 とあり是を
以て見る時は羅山翁の正す所慥なるへし此以前御祐筆宮川加兵衛
後入道号素貞 を久保殿門弟に被仰付書札御習を被遊候時分私尋申候
ハ松平御家書札禮ハ其玄旨様より出たる儀無隠事に候今久保殿
流儀と申すハいかなる事ともに御座候哉と尋申候得共成程其通に候或時
麻生地酒献上之書様尋に遣候得者久保殿被申候ハ此酒豊後よりも
出申候得共世挙て細川御家の名酒に成居申候皆共書中候も御家
より書出候通に書来候本書■式ともに玄旨様より松平御家に相
傳候事に候得共御所■によ川て傳用来候通りを指南仕候との儀に候
由直に咄承り候時世ここにて時により用■補写可有之事也如
此に候へハ慶長五年よりの事と申傳候事為必定羅山翁の
柳営と有之候得共室町旧禮とも可申候小笠原家ハ元来後醍醐
天王(皇)に始りて宮公達日本の師範たるへしといふ事小笠原の
系図に出たり武家故実躾方ハ義満公に初り今 公方の例
法永徳の例たりといへとも細川家に残りて世上に■然たる也
中山宗俊書之
了