今日の熊本日々新聞の「新生面」に面白い記事が有る。「坂の上の雲」に関しての記事だが、玉名高等学校の校長室が戦艦三笠の艦長室に模して作られているというのである。何故そうなったのか、調べたが判らないというのだが・・。完成は昭和12年で、県の有形登録文化財に成っているらしい。
もしやと思う事が有る。もう二年ほど前東京のK様からご連絡を戴き、ご先祖探しのお手伝いをした。同姓に大変高名な方がおられ、その方に何らかの繋がりがあるのではないかと、お考えになったらしい。提示を受けた資料をもとに調べたら、同姓ではあるがお考えの家筋とは違っている事が判明した。お話しによると県費で英国留学をされ、三笠の艦長であったといわれる方がおられる。どうやら東郷平八郎が艦長となる以前の話のようだ。ひょっとすると英国から日本へ運ぶ時(?)あたりなのかと考えたりするが、三笠の資料館あたりでもはっきりしないらしい。
いろいろ調べている内に瀬戸致誠氏の「史料紹介『遊学一巻帳』(一)(二)」に出会った。ここで驚くべき事実を見つけ出したのだ。K様が仰るその方がまさしく英国へ留学され、留学費用「一ヶ年千五百両・・・被渡下候事」と記された熊本藩会計局の文書ほか、いろいろな文書が紹介されていた。驚くべき金額である。
(1億円以上か・・?)そしてその実家が玉名に在ったのである。兄・儀平が住まいしていた。
玉名と「三笠」はこうして繋がっているのだが、玉名高校の校長室との関係はやはり「闇の中」ではある。
もしやと思う事が有る。もう二年ほど前東京のK様からご連絡を戴き、ご先祖探しのお手伝いをした。同姓に大変高名な方がおられ、その方に何らかの繋がりがあるのではないかと、お考えになったらしい。提示を受けた資料をもとに調べたら、同姓ではあるがお考えの家筋とは違っている事が判明した。お話しによると県費で英国留学をされ、三笠の艦長であったといわれる方がおられる。どうやら東郷平八郎が艦長となる以前の話のようだ。ひょっとすると英国から日本へ運ぶ時(?)あたりなのかと考えたりするが、三笠の資料館あたりでもはっきりしないらしい。
いろいろ調べている内に瀬戸致誠氏の「史料紹介『遊学一巻帳』(一)(二)」に出会った。ここで驚くべき事実を見つけ出したのだ。K様が仰るその方がまさしく英国へ留学され、留学費用「一ヶ年千五百両・・・被渡下候事」と記された熊本藩会計局の文書ほか、いろいろな文書が紹介されていた。驚くべき金額である。
(1億円以上か・・?)そしてその実家が玉名に在ったのである。兄・儀平が住まいしていた。
玉名と「三笠」はこうして繋がっているのだが、玉名高校の校長室との関係はやはり「闇の中」ではある。