津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

玉名高校校長室

2009-12-21 18:13:59 | 新聞
 今日の熊本日々新聞の「新生面」に面白い記事が有る。「坂の上の雲」に関しての記事だが、玉名高等学校の校長室が戦艦三笠の艦長室に模して作られているというのである。何故そうなったのか、調べたが判らないというのだが・・。完成は昭和12年で、県の有形登録文化財に成っているらしい。

 もしやと思う事が有る。もう二年ほど前東京のK様からご連絡を戴き、ご先祖探しのお手伝いをした。同姓に大変高名な方がおられ、その方に何らかの繋がりがあるのではないかと、お考えになったらしい。提示を受けた資料をもとに調べたら、同姓ではあるがお考えの家筋とは違っている事が判明した。お話しによると県費で英国留学をされ、三笠の艦長であったといわれる方がおられる。どうやら東郷平八郎が艦長となる以前の話のようだ。ひょっとすると英国から日本へ運ぶ時(?)あたりなのかと考えたりするが、三笠の資料館あたりでもはっきりしないらしい。

 いろいろ調べている内に瀬戸致誠氏の「史料紹介『遊学一巻帳』(一)(二)」に出会った。ここで驚くべき事実を見つけ出したのだ。K様が仰るその方がまさしく英国へ留学され、留学費用「一ヶ年千五百両・・・被渡下候事」と記された熊本藩会計局の文書ほか、いろいろな文書が紹介されていた。驚くべき金額である。
(1億円以上か・・?)そしてその実家が玉名に在ったのである。兄・儀平が住まいしていた。

 玉名と「三笠」はこうして繋がっているのだが、玉名高校の校長室との関係はやはり「闇の中」ではある。
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「おもだか」と「田つくり」

2009-12-21 14:05:02 | 徒然
                 おもだか(サイト・あなたの知らない自然 から引用)

 9月19日のブログで、『「おもだか」とか「こうぼね」とか』を書いた。
園芸店に出向き、家紋にある「おもだか」をさがしたが、無かったことを書いたのだが、東京のTY様から「後日送ります」というお申し出を受けた。昨日航空便でお送りいただいたのだが、「くわい」に良く似た可愛らしい球根が顔を出した。植え方もご教授いただいたが現在は仮植え中、用土や鉢や睡蓮鉢等を買い入れなければ成らない。(出かけようと思ったら、免許証が行方不明・・・どうやら息子の車に落としたらしい)

 ご教授いただいた中に、用土の下方の肥料として「煮ぼし」と書かれていた。
「えっ・・煮ぼし」と思ったのだが、よくよく考えるとお正月の「御節料理」にある「田づくり」の由来は、田圃の高級な肥料であった煮ぼしからきている。すっかり合点してしまった。

 長男の家の水槽に泳いでいる「赤ひれ」や「かだやし」をもらおうと思っていたが、睡蓮鉢にはやっぱりメダカだろうと考えている。楽しい・・楽しい・・
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水道橋喧嘩一件

2009-12-21 12:04:21 | 歴史
 寛政元年(1789)六月水戸宰相御屋敷の近くで火事があり、細川家は志水新之允をはじめとして御人数を差し出している。小石川紺屋町とあるが、江戸切絵図では確認できないでいる。大した火事にはならなかったらしく、一行は引揚げる事になるがその道筋で酒井内記様火消しが、細川家行列を横切ろうとした為喧嘩となった。
   ■志水新之允覚書
   ■水道橋喧嘩聞書 といった文書が残されている。
 随分以前、上妻文庫から上記二件の文書をコピーしたが死蔵状態だった。
「肥後文献解題」に紹介されている事を再確認して、この訓下しをご紹介しようと思い取り掛かった。「火事と喧嘩は江戸の花」というが、どのような内容なのか興味津々でいる。
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