津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「阿修羅像」の真実

2009-12-28 20:03:08 | 書籍・読書

「阿修羅像」の真実 (文春新書)

文春新書
長部日出雄著 文藝春秋社
780円 (税込 819 円)

その寄せた眉根の「悲哀」が物語るものは? 興福寺建立から東大寺大仏までの天平の世に、「日本的なるもの」の源流を解き明かす


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
半世紀ぶりに興福寺を出た阿修羅像は、全国を回り、百六十万人を動員した。時代を超え、見るものを惹き付ける秘密は何か。天平の世を生き抜いた、稀有な女性の生涯に迫る。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 美貌の皇后/第2章 安宿に生まれた藤原家の娘/第3章 光明皇后の夢/第4章 天竺から奈良までの長い旅/第5章 大仏開眼/第6章 光明皇后の面影
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
長部日出雄(オサベヒデオ)
1934年、青森県弘前市生まれ。弘前高校卒、早稲田大学第一文学部中退。週刊誌記者、フリーライターを経て、作家活動に入る。『津軽じょんから節』『津軽世去れ節』により直木賞、『鬼が来た棟方志功伝』により芸術選奨文部大臣賞、『見知らぬ戦場』により新田次郎文学賞、『桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝』により大仏次郎賞、和辻哲郎文化賞を受賞
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

血脈断絶の危機

2009-12-28 17:41:39 | 歴史
  WHO・世界保健機関の天然痘撲滅プロジェクトを指揮した蟻田功氏は、熊本県のご出身である。
        ja.wikipedia.org/wiki/蟻田功
その根絶宣言は1980年であり、世界から「死の病」と恐れられ、かって日本では「疱瘡」という名で知られたこの病気から開放されたのである。

 細川家に於いてもこの病に罹かり、危く細川家の血脈が断絶する危機があったことは以外に知られていない。その人とは「細川齊樹公」である。
文政八年十二月中旬に発病した齊樹は、翌正月二日には危篤に陥った。幕府からは一橋家に対し養子を出すようにと話が有り、細川家に伝えられた。齊樹公夫人蓮性院は一橋治済女(紀姫)であることの縁であろう。急飛脚が熊本に在る先主・齊茲の許へ走る。藩重臣は細川家の血脈の絶えることを憂い齊茲に言上、齊茲はこれを受けて幕府より申し入れを断るべく、杉浦仁一郎をして急遽江戸へ送り出した。杉浦はなんと八昼八夜を命を懸けて走り抜け、一月二十六日朝江戸藩邸にたどり着いている。江戸詰重役が一橋家にお断りを申上げ、細川家の血脈が途絶える事が阻止された。実は齊樹は正月ニ日には亡くなっていたとされるが、正式には二月二日とされる。斎樹の実兄・立之(宇土藩八代藩主)の子・九代藩主立政を急養子として、宗家十二代齊護が誕生するのである。

 杉浦仁一郎はこの事に関する功労者として称えられている。

     9      10      11        12
 細川治年===齊茲---齊樹=======齊護・・・・・・・・→細川宗家
          ↑            ↑
      細川立礼---立之---+--立政
          7       8   |   9
                    |
                    +--行芬・・・・・・・・→宇土細川家
                        10
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする