津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

久保田万太郎と私

2009-12-24 14:12:35 | 歴史
 私の俳句の駄作に

        さざんかの二つ三つ落ち師走かな  がある。

つい最近「日本の古本屋」さんをつうじて、小島政二郎著「俳句の天才-久保田万太郎」
を購入した。1980年の初版本だが、すばらしくよい本を見つけ出して歓んでいる。
そのなかに次のような俳句があった。

        山茶花の咲きてことしも師走かな

私は久保田万太郎の句が大好きで、いろいろ本を読んでいるが、上の句については全く初めて知った。
なんとも恥ずかしくなってしまった。
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細川家家臣・斉藤氏

2009-12-24 13:36:49 | 歴史
 「肥後中村恕齋日録」に、天保十六年九月十八日項の事として次のような記事が有る。
私も昭和19年に祖父・祖母・父を亡くしたから、この様な記事を読むと身につまされてぐっとくる。

【今日隣家斎藤常之助より、非常案内有之候ニ付罷越候事 六月十二日、常之助祖母死去
 七月六日ニ常之助父三郎死去 八月廿七日、常之助母死去 誠に比類無き病災不幸ニて、
 憐なる事言計りなし、依而、今日ハ亡母三七日ニ相当申候とて、案内之事、常之助壱人ニ
 相成、立行不申候ニ付、忌明後、夫々片付申候、以後ハ同人母方之叔父永田伝九郎方江
 同居之申談に、縁家中議定ニ相成候由】

■父親・三郎に付いては次のような記録がある。
        文政九年六月~天保二年六月 菊地郡代
        天保七年九月~          芦北郡代
        御知行取諸御目付・御刑方御奉行触
        御穿鑿所御目付・騎射検見兼帯 二百石
 
■祖父・齊藤左太郎は号・芝山でご紹介するほうがご理解が早いかもしれない。
        養子(米良四助の三男)である。
 斎藤芝山 名は高壽、権之助と称し、芝山と号す。世禄二百石、境野凌雲と共に
        犬追物を興し、その師範となりて子弟を誘導す。一藩為に風靡せり。
        又川尻作事頭、高瀬町奉行等を勤めて恵政あり。
        文化五年十月二十一日没す。年六十一。墓は手取本町蓮政寺にあり。
       (肥後先哲偉蹟に詳細な紹介が有る 国立国会図書館デジタルアーカイブ)
    六番与 二百石
    寛政六年十二月~享和三年十月 高橋町奉行・後作事頭二転

其の後の経緯を見ると、家禄も減じられる事もなく明治に至っている処をみると、常之助が
逆境にめげない努力の人であったろう事が伺える。
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