津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

延元様玄也公御一代之御儀覚書 - 3

2010-01-14 17:12:33 | 歴史
一、同(慶長五年)九月十五日関ヶ原御合戦惣而関ヶ原大合戦にて競を味方に申候に付
   鑓相申候と早速敵双軍仕候止打(本ママ)に成申候故御高名も無御座候由薩摩の落武
   者川上四郎兵衛と申候侍 延元様生取に被成候得共御助薩摩へ被遣候其後豊前へ
   御國替以後川上処より使者差越御高恩の御禮を被申す波平中脇差種ヶ嶋の小筒一
   挺進上申候其時分まてハ種ヶ嶋の筒中々他国へ出し不申候多分嶋津殿より被進た
   るものにて可有御座よしに御座候事 此波平の脇差細川若狭守様へ去冬■■御■物に被進候
一、同年忠興様岐阜関ヶ原の依御軍忠豊前国被成御拝領同六年豊前へ御入國被遊候
   豊後之内に六万石忠興様御領分御座候此所関ヶ原一乱に亡所仕候ニ付延元様と長
   岡佐渡守殿御両人其後御仕置として御先手御越被成所々之儀被仰付其後より直に
   小倉江御越被成候事
       此時其後阿伎と申所にて伊藤十兵衛所に御宿被成
       其節御約束被成候に付十兵衛儀門司へ罷越
       延元様被御奉公申上候重兵衛儀ハ伊東源之丞親に
       て御座候
一、忠興様豊前御入國被遊門司之御城延元様被成御預に付門司へ御居城被成候与力
   両人御附被成候三百石沼田藤七殿・二百石荒木善兵衛にて御座候大阪御陳以後
   一國一城に被仰時分元和元年之比まて十四五年之間門司に被成御座候御在城之
   間御城内外所々古来之縄張等被御替延元様思召候侭に依被仰付候毎年御■請絶
   不申被■(畫カ)情候御普請により小倉より御鉄炮頭衆役人等参り候御城申候刻もす
   きと坪之手相不申候由申候事
一、関ヶ原御陳以後慶長六七年之比諸大名之證人并陪臣■々之證人をも江戸江被召
   上依て西國筋江ハ■戸兵庫殿江戸より被差下西國方御吟味被成候事付 忠興様を
   (本ママ)門司へ被成御越兵庫殿被遊御馳走候此時於門司御城兵庫殿を延元様被成り
   御振舞候 忠興様御相伴被遊候由ニ御■候御家中より證人被遊上者延元様・長岡
   佐渡殿・有吉内膳殿・長岡肥後守本名飯河卅四人之證人被差上候に究申候然處に内
   膳殿ハ病死被成肥後殿ハ子細御座候而切■被仰候に付延元様・佐度殿御両處之
   御證人まて被差上候事
一、同七八年之間延元様為證人御息女おたあ様江戸へ御登せ被成候段 権現様三拾
   人御扶持方被仰付け候御代々不相変天下陪臣の證人被成御赦免候迄御扶持方被
   為拝領之事
      此時諸国より男子之證人被差上候には五拾人扶持
      女子之證人には三拾人扶持方御定法に究り申候
      長岡佐渡殿よりは松井与次郎殿被差登候付五拾人
      扶持被為拝領候 忠利様御代に肥後へ被成御入國
      候以後有吉頼母殿・長岡監物殿證人被差上是も定
      詰に御座候得共 権現様以後證人にハ
      公義之御扶持方不被定候叓
  
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江戸という幻影

2010-01-14 12:43:07 | 書籍・読書
 渡辺京二氏の名著(1999年度和辻哲郎文化賞)「逝きし世の面影」を漸く読了した。幕末期の日本人の逞しくて豊かな人間像が、外国人が書き残した膨大な資料を読み解き、紹介しながら説得力の有る筆致で書き上げられている。500数十頁にいたる量で一期にとは行かなかったが、誠に爽やかな読了感である。

 次は時代を少し遡る「江戸という幻影」をどうしても読みたくて、「日本の古本屋」さんで検索、幸い一件ヒット早速購入の手続きをとった。書評などを見ても大いに期待ができる。

 渡辺京二氏は熊本在住、県人の誇りだとも言うべき人だと思っているが、著作が多く全てを読み終えるには相当の時間を要する。何とか頑張ろうと思っている。
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桜の井戸

2010-01-14 10:47:56 | 熊本
 昨今明治神宮の清正井戸が注目を集めている。東京第一のパワースポットとか喧伝され、携帯の待ち受け画面に取り込もうと五時間待ちの行列が出来たというからびっくりものだ。加藤清正の屋敷跡であり清正が掘ったと伝えられるが、清冽な水が湧き出ている様が受けているのであろう。
        www.meijijingu.or.jp/midokoro/3.html      

 清正の井戸といえばもう一つ、旧加藤家邸(彦根藩井伊家上屋敷)に「桜の井戸」というものがある。ぐぐってみると、熊本城内にある井戸とつくりがよく似た立派な井戸である。加藤家時代からのものだろう。
        www.asahi-net.or.jp/~jt7t-enmt/teien/ido.html

 熊本にも「桜の井戸」がある。現在の地番で言うと熊本市上通り5丁目は、かっては「桜井町」といった。藩政時代このあたりは中級武士の屋敷が立ち並んでいた。長安寺(現在・手取神社)の近くの閑静な場所で、某マンションが建っているが、ここのエントランス前の広場に「桜の井戸」が残されていて、これも加藤清正の遺構だと伝えられている。桜の井戸があることから桜井町と名付けられた。その遺構は大理石でオブジェ化されて残され、行き交う人たちに安らぎを与えている。こちらはパワースポットとは参らぬが、それでもデジカメに納める人も見受けられる。隠れた名所である。
        blog.goo.ne.jp/honzouin/e/1ce6be62d87ef30a12e28627f0eb7d9b
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