津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

本年初・図書館浴

2010-01-16 23:17:57 | 歴史
 膝痛からの運動不足と、お正月の「食っちゃ寝」状態で4キロほど体重が増えた。今日は二時過ぎから今年初めての図書館浴、出掛けに妻に「歩いて行ったら」と声を懸けられる。往復1時間半程ちょっと足に自信がない。しからばチャリンコにしようと、左膝を気にしながら出かける。

   ・花畑御屋敷、二の丸御屋敷の間取り圖
   ・江戸期の瓦師の系図、刻印
   ・某氏日記のデジカメ撮影
   ・某家先祖附の確認
   ・某町史から干拓の歴史

 ばたばたしていると閉館の案内が始まり、一部コピーを残して15分前に退館。我が家から図書館までは「行きはよいよい、帰りは恐い」だらだら坂が続いている。行きは下り坂で膝にもそう負担は掛からなかったが、帰りはもろにきた。大汗をかきながら約30分、右足でこいで帰る。途中100メートルほどついに押して帰る羽目になった。シャワーを浴びてゆったりすると膝が痛み出した。まずい事になった。67爺(1/19には68爺)もいろいろと多忙で、うろうろしなければならないのだ。さて明日が問題である。
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延元様玄也公御一代之御儀覚書 - 5

2010-01-16 10:08:19 | 歴史
一、何時分の儀にて御座候哉他国之取遣之儀長岡佐渡殿と延元様へ被仰付御勤被成候刻筑前より
   科人小倉へ走り参居申候其節者黒田甲斐殿と御中悪敷最中にて御■ハ得共大犯人にて御座候
   哉付届ヶ御座候而彼者被召捕筑前へ被遣候延元様より坂井半右衛門佐渡殿より元橋彦之丞と
   申鉄炮両人にて走者を召連れ筑前黒崎之城主井上周防へ相渡申候周防家老大橋彦右衛門と申
   者罷出挨拶仕候其時彦右衛門申分豊前は小国にて御家中手狭御座候ニ付可様之科人も早々被
   召捕被遣候筑前ハ領内廣く御座候得者重て走り者参り候とも知レ不申儀も可有之なとゝ申につき
   坂井半右衛門返答仕り者被仰分合点不参候國之廣狭に有之より申間敷候今程天下一統之御代
   にて江戸よりの御仕置き政敷御座候に付遠國彼崎迄も一國之等とくに罷越候越中守儀者江戸の
   御仕置を堅相守申候ニ付き科人なと領分に居申候を無穿鑿に仕儀にて無御座候何様甲斐守様御
   仕置ハ緩せに御座候と相見へ申候奉公人ハ不知儀に候得者向後如何様之儀にて國を立退申候
   共御國者■國之能キ高野山と存頼母殿存候と申候得ハ彦右衛門赤面仕由に御座候両人罷帰候
   段 忠興様御耳先様之様子御聞可成候御意ニも(本ノママ付ク)両人御城へ登り申候 忠興様障子越
   に御聞被成候直に半右衛門段ニ之次第具に申上候得者無残所返答仕候物をよく申候由御褒美被
   成候由御座候事
      大崎彦左衛門と申者は関ヶ原陳之刻石垣原にて
      大友家吉弘嘉兵衛首を申侍に候由ニ御座候
一、同四年正月おたあ様為御代延元様江戸へ御仕立被成おたあ様御下り被成去暮か翌年平野九郎
   右衛門殿へ御祝言相調申由ニ御座候叓
一、同年之秋 忠興様御下向被成候而 北之丸様 (忠興末子・松井寄之生母、真下元重姉・・娘とも) を延元様之
   御内室様に可被遣と被仰出候得とも延元様御同心無御座候御内證にて■々御意見等御座候得共
   切腹被仰付候共此儀御請被成間敷との儀に御座候其時分 忠興様ハ内記様と申中津に被成御座
   候延元様と御挨拶御座候に付内記様と申中津より夜通しに小倉江被成御越直ニ延元様へ被遊遊
   御出種々様々に御扱御意見被遊貴殿切腹相被致者我等介錯可致候其段に成候儀ハ無是非思召
   候間如何様に候ても此儀御同心可被成候無左候ハゝ中津へ御滞不被成候間御感激にて被成御
   意候に付て無■御請被仰上 忠利様も御満足被成被遊御帰候左候而其■■翌年御祝言御座候
   叓 北之丸様後に号永樹院殿  
一、延元様一比大備之頭被仰付御裁判被成候中に 忠興様御在国之時分■前と御出入御座候而御
   城江御家老中御備頭中其外歴々被召集御評儀御座候節御老中御出候 御座敷へ延元様も御は
   いり被成様にと御意ニ御座候得者延元様一切御請不被成御様對にて其間江も御入不被成候就夫
   被成御意候者惣而勘解由ハ我等申候儀者栄に不相と相見申候心安不被存何ともすまぬ人にて候
   向後何事も不頼候と御意に御座候由之事
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