津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

最近の熊本日日新聞から

2010-01-27 21:20:15 | 新聞
■1/19 「甲佐町の歴史を語る会」が、古文書の記述を基に所在不明だった江戸時代初期の用水路
      と見られる遺構を発見
      古文書・・「渡辺玄察日記」

■1/21 熊本市の春日小学校が、横井小楠「実学思想」に影響を与えた儒者・大塚退野の生涯をた
      どる読本を完成させた。

■1/23 万延元年遣米使節団から150年、木村鉄太らの歴史に光を

■1/25 昨年末、永青文庫が公益財団法人に
      寄付金が所得税控除対象に  (皆様の善意の寄付をお願いします)

■1/27 熊本市川尻町の「川尻船着場跡」と「外城蔵跡」を、国指定史跡申請へ
      川尻は細川家の数十万俵の米蔵(外城蔵・現在二棟が残る)があり、加勢側の水運を
      使って米が運ばれてきた。又ここから大坂方面へ運び出された。150mにわたる石段状
      の船着場が残る。(文責・津々堂)       
      参考サイト mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000370912170001

■1/26~1/28 復元へ 幻の宇土・網田焼 (上)(中)(下)
      かって宇土市(宇土細川藩領)網田(オウダ)では素晴らしい白磁の器を作っていた。
      藩の御用窯として貴重な作品を作り出したが、昭和の前期廃窯となった。現在その復
      元に向けて一人の陶工が頑張っている。あくまでも白く美しい網田白磁の復元は間じ
      かに迫っているようだ。関係者のご努力に感謝。 (文責・津々堂)
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旧陪臣代数及原禄根帳目録・個人別  準備中

2010-01-27 13:09:38 | 歴史
 わがサイトの「旧陪臣代数及原禄根帳目録」の評判がよろしくない。
これは細川家家臣に仕えた、いわゆる陪臣の方達の名簿だから、主家別にしてあるのだが、個
人名別に分けてくれないかとのリクエストがあった。実は「無禄士族基本帳」や「無禄卒帳」、「古
奉公帳」「浪人片付」等をアップしようと考えているのだが、順番をどうしたものかと思案中である。
「家禄奉還帳」等というものもあるが、これは勘弁してもらおうと思う。
云いたい放題の悪友が「町在」もやれというが、とんでもない話である。(俺を殺す気か)
まずは「旧陪臣代数及原禄根帳目録(個人別)」に取り掛かったのだが、なんとも気合が入らない。
それでもなんとか頑張って、図書館に納めようかとも思っている。 (しばらくかかりますけど)
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文武両道の戦国優将-細川幽齋・忠興・興秋

2010-01-27 08:16:40 | 書籍・読書
 ぴえーるさんから貴重な情報を戴いた。タイトルにある本が発刊されたそうだ。
   【上毛新聞ニュース】  http://www.raijin.com/news/a/14/news10.htm

自費出版の本だそうだが、著者の富岡市上高尾の新井雅成さんが、「興秋が長岡大学と名を変え、甘楽町造石の県史跡、法華経供養遺跡の巨大な石造り地蔵菩薩『造石地蔵尊』を建立したとする縁起に着想を得て、戦国武将三代の生き方を描いた」ものだそうで大変興味深い。
群馬県の上毛新聞に掲載された記事だが、熊本ではなかなか知る事のできぬニュースで、ただただぴえーるさんに感謝である。

そして、悲劇の人「細川興秋」をどう描かれたのか、興味が尽きない。
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風説秘話 ・・ 2

2010-01-27 08:10:32 | 歴史
一、松田宗寿咄に中昔或時乗馬ニ而大津街道を行く向より
   士壱人過ル時折節面際ニ馬泥を蹴懸し候ハ大に怒り兎
   角の言葉もなく直ニ斬懸たり馬上の士そ断る間もなく是
   も抜討にせし候歩士を真二ツに斬殺しぬ扨此旨達たるに歩
   士そ末た部屋住ニて御目見もせさりし者故馬上之士何の御
   構もなかりし也

一、西山大衛弟同傳喜不行跡ニ而一旦出奔さし候後虚無僧と
   成立帰密ニ大衛か許ニ居りしか或時兄弟口論抔せしか又深
   き功有たるや家の系図を盗取出奔す大衛方ニ手を延し
   吟味せしに廻り役之者捕来内々ニて大衛ニ渡したる故早速
   手打したり西山は家柄宜敷故系図を盗他国ニ可有付巧な
   り伴らんとの風説也

一、或云手打せんと思ふに問事様あらハ其詞未終内ニ斬遍し云
   放てそ必迯るもの也何連の者共不知を手討せハ其段連れハ
   死骸片付等の事ハ上より夫々に相成候由手討せし時そ所之
   辻番所に答又屋敷前ならハ屋敷江答へ町ならハ別當帳頭在
   ならは庄屋頭百姓等を呼云置へし無僕様の節者自分帰て達
   等致間人差越迄ハ頼置由可云也

不破杢助、家の若黨に殺害さる。その後の顛末・・
一、寛政中十二月廿九日夜長崎御留守居不破杢助若黨主を害し
   出奔し其旨残二人の若黨より宿元へ注進せり晦日朝彼若黨
   不見故出奔などそ不致やと方々尋れ共不見故此段杢助江可申
   と五比ニ帰り主人カ今を見ルに夜着の内より血流出たり是ハ如何
   と驚たれ共先御屋代何某を呼ニ遣一同ニ夜着を取見れハ
   三刀斬て留も丈夫ニ刺たり然共外科を呼見せしに勿論療治
   不及との事也若黨共寝間者杢助居間の次の間の二階にて
   程近きに殺害する時も一向不知且夜着より血流たらハ其侭
   取て見るべきに御屋代を呼て一同ニ見る事考不審也と人々云あへり
   扨杢助二子数太千次ハ早速早速此次第を達シ彼表江罷越遂吟味討捨
   度由願捨ニして正月三日宿を立杢助甥鎌田軍助興之允
   も同願捨ニして同伴し島原を越て同五日長崎ニ着て聞ハ最早
   敵ハ御屋代か許ニ捕在由也たれハ早速右之者渡呉候様申せしかハ
   御屋代返答に杢助様御跡役明日ハ爰許江御着之筈ニ御座候間
   其上ニ而御渡可申と也鎌田云不破兄弟父の仇を差置片時も待
   兼何分押當難き躰ニ候殊ニ今日者杢助一七日ニ候間旁以是
   非相渡可被呉と云たれハ御屋代も理ニ折れ渡したれハ杢助居間の
   庭の前ニて討たり又一説数太様五日八ツ比長崎ニ着せしに御留守
   居付之機密間物書方ニ逮在也早速渡呉可様云たれハ物書答て私
   義勿論其心得候得共上分の御差図を相待申明日御跡役御着之上ニ而
   御渡可申一存ニてハ不相成と云不破兄弟鎌田兄弟是を聞父の仇
   を置輡くも見合等と不能と云故鎌田云たるハ数太兄弟仇の
   在所を知からハ輡も差置可申哉是非押當置てハ自然如何躰
   の施義の振舞仕候も難斗其上彼者万一自滅にても致候而者
   口惜き次第なれハ是非/\御渡可被下跡の事ハ少も足下に難影
   懸申間敷某万端受合可申と云しかハ物書然ハ跡之儀私越度ニ相
   成不申様御書付可被下と云鎌田直ニ其旨書付渡たれハ物書又云
   此所は御屋敷内殊ニ公領之事ニ御座候故跡ニて死骸の取片付等
   如何と云鎌田夫ハ此方受取て後の事ニテ少も遣様御世話ニ及間敷
   候可致様ありとて意ニ受取御屋敷ニてハ如何と思しかばも仕方無れ
   ハ杢助子屋の庭ニ路地より引入しに賊首下より見詰間あらハ
   飛懸るべき勢なりしを数太抜討ニするを斬られしと振向しか
   者横頬を顎迄斬付たり二ノ太刀首打落し千次留を刺たり
   扨前ニ菓子を供へし木具ニ首を載供へき也然ニ胴は公領之
   事故可埋処もなく海に沈んも御番所近邊首無骸流んも憚有り
   寺も請取まじ葬禮者されす如何と思しに鎌田葬桶を
   買て是ニ逆様ニ蹈込銭少を添寺江遣せし候者無故障請取ぬ
   別而是旨者早速飛脚を以云遣し宿へ者八日暮比ニ知れける
   四人者十一日ニ長崎を立十五日ニ着此時首ハ持来し候と上よりハ
   御仕置なかりし故井手口ニ埋たるとぞ右の賊捕られし
   事者長崎御屋敷より一里斗ニ茂木と云湊あり彼者此所に
   参り船頭ニ銭を壱貫四百文を与へ何方とやらに渡呉候様頼此以前
   長崎中者早速船留の触ありし故船頭怪ミ此所者壱貫二百文
   之渡也とて二百文ハ返して二三日中便船あるべしとて兎角偽
   寄て茂木より半里斗ニ観音を安置せる岩窟隠置たり
   其後川尻の御加子共彼船頭の許ニ尋行しに不知と云う其■
   ニ公義の廻約行て尋し候者船頭倭て四日ニ窟ニ行便船あり
   と欺し候は彼者出来しに捕手共を見るより直ニ抜放て
   闘に既ニ手負も有■程なりしかとも大勢取巻終ニ捥し
   候者今者早々殺呉候エと頼しとかや扨連来り御屋代ニ内々
   ニ手渡したりケ様之■公義之手に渡て者江戸江御届何角
   甚隙取事なれども御屋代不破か恩顧を給し者ニ而早速
   手を廻し頼置しに依て如■也幼年之時杢助召使し者當
   時足軽ニ被召出居し候今度不破に従ひ長崎ニ罷越度願
   たれ共不相済故然らハ御給扶持差上罷越申度旨願ひたれ
   共不済故願捨にして長崎ニ行しとぞ杢助同姓同参平不勝
   手ニ付拝借奉願五十両斗も相済来し折節此変を聞て彼
   方へ差合たる又杢助弟何某其砌御手當也とて長崎江不
   行親類中の相談ニ茂不加との風説也
一、上野先生物語ニ先年江戸ニて十四五斗なるの少年町を通
   たるにあふれもの三人後より無手と抱き左右より手を捕て
   働より候され共言語道断ニ■■す少も不騒物をも不云し
   暫くして片手を捕たるもの少弛しを振放し脇差を抜て
   刺たれハ残も周■て弛処を脇差を置て刀二て抜打に一人
   を斬伏たり今一人ハ是を見て迯出す甚た落着たる
   仕方見事なりし故所之者共證人ニ立無故済しとぞ
  
  
  
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