一、肥前国嶋原の城主松倉長門守重次同國唐津の城主寺沢兵庫頭忠高ともニ政道正しか
らすして四民大に困窮す今年寛永十四年十月より肥後宇土前領主小西攝津守行長浪
人益田甚兵衛好次と云者切支丹宗門を修し其子天草四郎大夫時貞を伴乱を起す嶋原
之城を攻城主は在府にて留守居防事を不得して隣国ニ加勢を乞申候寺沢領分肥後天
草ハ益田甚兵衛浪居之地にして各是に語ふ者多し此由熊本より府内御目附牧野傳蔵
殿林丹後守殿え忠利公光利公御在府ニ付き御三老より被仰達候忠利公光利公江も早
打を以被仰上候事
一、御目附衆両人高瀬江御越ニ而長岡佐渡殿英貴君を被召呼候ニ付御両人高瀬江御越
被成候処委細嶋原の様子御尋御時分之下知も難及江戸江御伺ひ御下知次第と有之
先他國の加勢被制旨ニ付其意を御受被成御引取被成候若又江戸之趣ニ依て加兵被
差出趣有之時之ため兼て御定之趣を以長岡佐渡殿 英貴君 長岡監物殿被仰合候得
而御内用意御座候内賊徒夥敷蜂起し寺沢老臣天草富岡城代三宅藤兵衛重利と所々
にて戦ひ本渡廣瀬ニおゐて終に三宅を討取申候然るに上使板倉内膳正殿御下向にて
鍋島信濃守寺沢兵庫頭を以嶋原の賊を罰せん事を命す然所肥後天草ニも一揆有るを
以上熊本人数是を罰せよとの旨ニ依て拾弐月三日英貴君御手兵七百四十人隊下之士
卒合弐千六百餘人被召達天草表江御越被成候処早速引拂申候彼地は相納り申候二
付御引取被成候事
一、上使として松平伊豆守殿 信綱 戸田左門殿 氏綱 を被差下九州の兵を以鎮征すべき旨
被命同十五年正月元願(ママ)ニ城を攻て利なし此時上使板倉内膳正殿 正重 鉄炮ニ中
り被卒候同二日光利公川尻より御出船ニ而嶋原江押渡り給ふ同廿六日忠利公も嶋原
江御着被成候ニ付佐渡殿英貴君其外隊下を被卒御迎ニ御出被成候ニ付直ニ御陳営江
御入被成候事
一、同年二月廿八日惣攻ニ相極居候処同廿七日英貴君御時分仕寄場江有合者共拾四人
被召三ノ丸よりニノ丸江御乗入被成候小屋江居申候士卒追々聞付て馳付申候英貴君
御家士三ノ丸江早々乗入候者ニは戸田十之丞・菅五太夫・原田三大夫・荻野兵助・石
田櫓右衛門 御鉄炮頭ニハ岡部上田形右衛門組之鉄炮弐拾挺真先ニ進ミ押並三ノ丸よ
り打出申候敵方之鉄炮ニ指向ひ能矢板を打せ二ノ丸之堀二着城中絵乗入らんとする時
城中より鉄炮ニ而股を打ぬかれ申候ニ付き引取申候様御弓頭篠原角左衛門申候ニ付
組を角左衛門江渡し其場引取申候形右衛門嫡子岡部多門一同ニ居申候処敵之横矢の
鉄炮ニ中り即座に死申候鉄炮頭斎木 菅沼 半左衛門組之鉄炮弐拾挺を左右に備へ三
ノ丸江乗込二ノ丸ニ向て鉄炮を散々に打合二ノ丸ニ乗込申候此時嫡子斎木三左衛門を
以添頭として一所ニ有りて相働しが三左衛門鉄炮手を負引取申候御鉄炮頭長坂五郎
兵衛仕寄場ニ手鉄炮手を負組支配不叶故に嫡子長坂右兵衛ニ直ニ組を渡し申候ニ付き
右兵衛組之者共を立並て三ノ丸よりニノ丸江乗込本丸の大手口へ着申候処大手口より
秱敷鉄炮を打出申候ニ付指向ひ組を働しめ鉄炮を打せ勢り合申候内ニ敵突て出る故ニ
鑓鑓付て首を壱ツ従者ニ取せ申候御鉄炮頭名は善左衛門も組之者を卒て■りへて敵之
城門を打志■ます御弓頭木部清大夫組之弓之者を卒三之丸より二ノ丸江乗入申候時
須戸口ニ而敵防けるを得物之鉄炮ニ而敵壱人打倒し申候此時英貴君ニノ丸江御乗入被
成候御馬験奉行井上 内藤 左門其外仕寄場江有合申候者共乗込申候御小屋ニ而聞付
馳付る御馬乗ニハ山田五左衛門ニノ丸江乗込一揆壱人討取英貴君江追付申候渡邊傳
左衛門もニノ丸江乗込須戸口ニ而戸こしニ鑓を突申候得而一揆壱人突伏申候武藤十左
衛門御持鑓奉行して本丸下ニ付御側長柄を持て突入れ二ノ丸ニ而一揆壱人討取申候
中松傳助も二ノ丸江乗込敵壱人討取本丸下ニ着申候御家司葛西惣右衛門嫡子同伊織
岡沢岡崎兵左衛門一同ニ二ノ丸江乗込本丸下ニ着申候本間縫傳殿二ノ丸江乗入須戸口
せり合之時分鑓を合敵突伏申候大山三十郎・斎木喜太郎御持筒頭中山半左衛門組之
鉄炮を卒ニノ丸江乗入申候処城中より鉄炮ニ而服を打れ組支配不叶して井上左門ニ組
を渡し引取申候岡田作左衛門も中山半左衛門一同ニ馳付本丸大手之升形ニ而一揆壱
人突伏申候御長柄頭生地貞右衛門立川四郎兵衛組之御長柄を押来申候松田赤尾嘉右
衛門御旛を引廻して英貴君御脇ニ備へ申候御家司有吉菅次太夫嫡子菅弾助御馬乗ニ
者吉田五左衛門・西尾吉左衛門・戸田吉十郎・門司喜左衛門追々二ノ丸江乗込本丸下
二着申候佐渡殿英貴君ニノ丸江御入二手火を放焼拂給ふ其後忠利公より上使の旨に
任せ■引二軍可揚と被命故に英貴君より御家司井上左門・中山羽右衛門組之持弓之
者共を卒先手ニ進て本丸堀の手に付居候者共を引取しむ葛西惣右衛門・同伊織・中松
傳助・團六左衛門・荻野兵助・本間縫殿・斎木喜太郎・木部清大夫・生地貞右衛門抔は
最初より先手ニ進て堀岸ニ月居候を引揚候得と井上左門・中山羽右衛門より示遣候得
共其時松井式部殿 寄之 手より本丸江乗込候様子を見請申候ニ付如何すべきと仕候処
に本丸内ニ火之手見へ申候ニ付取て返し本丸に乗込申候御家司葛西惣右衛門・同伊
織御家士團六左衛門一所に而鑓を入れ惣右衛門一騎弐人討取鑓而を負ひ申候伊織も
弐人討取申候六左衛門壱人討取本丸江一同ニ乗込申候其外御鉄炮頭斎木半右衛門・
篠原角左衛門・長坂右兵衛・木部清太夫御長柄頭生地貞右衛門・立川四郎兵衛御家司
有吉次大夫・嫡子菅弾助其外御馬乗前後左右ニ乗入り一騎討取申候 上使松平伊豆守
殿 忠利公・光利公も本丸江入給ひ大将四郎がいえ燃残たるを火矢を付かけさせ是を焼
立給ふ大将四郎が首を陳佐左衛門討取申候 上使松平伊豆守殿・戸田左門殿より有馬
原之城落去致候ニ付諸将御帰陳可有旨被仰渡候ニ付三月朔日光利公御帰陳被成候同
二日ニ忠利公御帰陳被成候ニ付佐渡殿 英貴君は被残置陳拂之上御帰陳可被成との
旨ニ御座候事
らすして四民大に困窮す今年寛永十四年十月より肥後宇土前領主小西攝津守行長浪
人益田甚兵衛好次と云者切支丹宗門を修し其子天草四郎大夫時貞を伴乱を起す嶋原
之城を攻城主は在府にて留守居防事を不得して隣国ニ加勢を乞申候寺沢領分肥後天
草ハ益田甚兵衛浪居之地にして各是に語ふ者多し此由熊本より府内御目附牧野傳蔵
殿林丹後守殿え忠利公光利公御在府ニ付き御三老より被仰達候忠利公光利公江も早
打を以被仰上候事
一、御目附衆両人高瀬江御越ニ而長岡佐渡殿英貴君を被召呼候ニ付御両人高瀬江御越
被成候処委細嶋原の様子御尋御時分之下知も難及江戸江御伺ひ御下知次第と有之
先他國の加勢被制旨ニ付其意を御受被成御引取被成候若又江戸之趣ニ依て加兵被
差出趣有之時之ため兼て御定之趣を以長岡佐渡殿 英貴君 長岡監物殿被仰合候得
而御内用意御座候内賊徒夥敷蜂起し寺沢老臣天草富岡城代三宅藤兵衛重利と所々
にて戦ひ本渡廣瀬ニおゐて終に三宅を討取申候然るに上使板倉内膳正殿御下向にて
鍋島信濃守寺沢兵庫頭を以嶋原の賊を罰せん事を命す然所肥後天草ニも一揆有るを
以上熊本人数是を罰せよとの旨ニ依て拾弐月三日英貴君御手兵七百四十人隊下之士
卒合弐千六百餘人被召達天草表江御越被成候処早速引拂申候彼地は相納り申候二
付御引取被成候事
一、上使として松平伊豆守殿 信綱 戸田左門殿 氏綱 を被差下九州の兵を以鎮征すべき旨
被命同十五年正月元願(ママ)ニ城を攻て利なし此時上使板倉内膳正殿 正重 鉄炮ニ中
り被卒候同二日光利公川尻より御出船ニ而嶋原江押渡り給ふ同廿六日忠利公も嶋原
江御着被成候ニ付佐渡殿英貴君其外隊下を被卒御迎ニ御出被成候ニ付直ニ御陳営江
御入被成候事
一、同年二月廿八日惣攻ニ相極居候処同廿七日英貴君御時分仕寄場江有合者共拾四人
被召三ノ丸よりニノ丸江御乗入被成候小屋江居申候士卒追々聞付て馳付申候英貴君
御家士三ノ丸江早々乗入候者ニは戸田十之丞・菅五太夫・原田三大夫・荻野兵助・石
田櫓右衛門 御鉄炮頭ニハ岡部上田形右衛門組之鉄炮弐拾挺真先ニ進ミ押並三ノ丸よ
り打出申候敵方之鉄炮ニ指向ひ能矢板を打せ二ノ丸之堀二着城中絵乗入らんとする時
城中より鉄炮ニ而股を打ぬかれ申候ニ付き引取申候様御弓頭篠原角左衛門申候ニ付
組を角左衛門江渡し其場引取申候形右衛門嫡子岡部多門一同ニ居申候処敵之横矢の
鉄炮ニ中り即座に死申候鉄炮頭斎木 菅沼 半左衛門組之鉄炮弐拾挺を左右に備へ三
ノ丸江乗込二ノ丸ニ向て鉄炮を散々に打合二ノ丸ニ乗込申候此時嫡子斎木三左衛門を
以添頭として一所ニ有りて相働しが三左衛門鉄炮手を負引取申候御鉄炮頭長坂五郎
兵衛仕寄場ニ手鉄炮手を負組支配不叶故に嫡子長坂右兵衛ニ直ニ組を渡し申候ニ付き
右兵衛組之者共を立並て三ノ丸よりニノ丸江乗込本丸の大手口へ着申候処大手口より
秱敷鉄炮を打出申候ニ付指向ひ組を働しめ鉄炮を打せ勢り合申候内ニ敵突て出る故ニ
鑓鑓付て首を壱ツ従者ニ取せ申候御鉄炮頭名は善左衛門も組之者を卒て■りへて敵之
城門を打志■ます御弓頭木部清大夫組之弓之者を卒三之丸より二ノ丸江乗入申候時
須戸口ニ而敵防けるを得物之鉄炮ニ而敵壱人打倒し申候此時英貴君ニノ丸江御乗入被
成候御馬験奉行井上 内藤 左門其外仕寄場江有合申候者共乗込申候御小屋ニ而聞付
馳付る御馬乗ニハ山田五左衛門ニノ丸江乗込一揆壱人討取英貴君江追付申候渡邊傳
左衛門もニノ丸江乗込須戸口ニ而戸こしニ鑓を突申候得而一揆壱人突伏申候武藤十左
衛門御持鑓奉行して本丸下ニ付御側長柄を持て突入れ二ノ丸ニ而一揆壱人討取申候
中松傳助も二ノ丸江乗込敵壱人討取本丸下ニ着申候御家司葛西惣右衛門嫡子同伊織
岡沢岡崎兵左衛門一同ニ二ノ丸江乗込本丸下ニ着申候本間縫傳殿二ノ丸江乗入須戸口
せり合之時分鑓を合敵突伏申候大山三十郎・斎木喜太郎御持筒頭中山半左衛門組之
鉄炮を卒ニノ丸江乗入申候処城中より鉄炮ニ而服を打れ組支配不叶して井上左門ニ組
を渡し引取申候岡田作左衛門も中山半左衛門一同ニ馳付本丸大手之升形ニ而一揆壱
人突伏申候御長柄頭生地貞右衛門立川四郎兵衛組之御長柄を押来申候松田赤尾嘉右
衛門御旛を引廻して英貴君御脇ニ備へ申候御家司有吉菅次太夫嫡子菅弾助御馬乗ニ
者吉田五左衛門・西尾吉左衛門・戸田吉十郎・門司喜左衛門追々二ノ丸江乗込本丸下
二着申候佐渡殿英貴君ニノ丸江御入二手火を放焼拂給ふ其後忠利公より上使の旨に
任せ■引二軍可揚と被命故に英貴君より御家司井上左門・中山羽右衛門組之持弓之
者共を卒先手ニ進て本丸堀の手に付居候者共を引取しむ葛西惣右衛門・同伊織・中松
傳助・團六左衛門・荻野兵助・本間縫殿・斎木喜太郎・木部清大夫・生地貞右衛門抔は
最初より先手ニ進て堀岸ニ月居候を引揚候得と井上左門・中山羽右衛門より示遣候得
共其時松井式部殿 寄之 手より本丸江乗込候様子を見請申候ニ付如何すべきと仕候処
に本丸内ニ火之手見へ申候ニ付取て返し本丸に乗込申候御家司葛西惣右衛門・同伊
織御家士團六左衛門一所に而鑓を入れ惣右衛門一騎弐人討取鑓而を負ひ申候伊織も
弐人討取申候六左衛門壱人討取本丸江一同ニ乗込申候其外御鉄炮頭斎木半右衛門・
篠原角左衛門・長坂右兵衛・木部清太夫御長柄頭生地貞右衛門・立川四郎兵衛御家司
有吉次大夫・嫡子菅弾助其外御馬乗前後左右ニ乗入り一騎討取申候 上使松平伊豆守
殿 忠利公・光利公も本丸江入給ひ大将四郎がいえ燃残たるを火矢を付かけさせ是を焼
立給ふ大将四郎が首を陳佐左衛門討取申候 上使松平伊豆守殿・戸田左門殿より有馬
原之城落去致候ニ付諸将御帰陳可有旨被仰渡候ニ付三月朔日光利公御帰陳被成候同
二日ニ忠利公御帰陳被成候ニ付佐渡殿 英貴君は被残置陳拂之上御帰陳可被成との
旨ニ御座候事