津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

水道橋喧嘩聞書 ・・ 2 (了)

2010-01-25 14:13:47 | 歴史
一、此方様御人数之内手負之者本田惣兵衛・池田武平太・嶋田宇蔵
   右之者共まてニ而此ハ無■候
一、向方与力衆一人駕ニ而帰申候同心中一人外ニ十人餘内壱人ハ即死之由
   是ハ 是方様江相勤居候定詰足軽酒井様御屋敷江縁有て右屋
   敷江参■■申候外ニ御両人之御人数ハ其場を早く引取候故ニ■■等
   之沙汰無之候
一、御留守居両人中根様酒井様江被差上越候白少助・井上加左衛門罷
   越シ嘉左衛門大木惣馬殿江申候ハ御内済ニ相成候ヘハ夫々ニ者及申間敷候へ共
   公邊ニ聞達ニ相成候へハ直に御月番様江罷越可申候間麻上下着用
   可仕由ニ而中根様江者白杉少助酒井様江者井上嘉左衛門麻上下着
   参候処御内済ニ相成候由右騒動水戸様御屋敷江早速相知達候付騎
   馬二人其場へ為見届被差出候処向方之御人数之中より右両人を馬

   より引下し散々打申し候由 此方様御人数之中と心得違候哉と沙汰
   ■候由
一、志水新丞中根様御屋敷江罷越候様ニと有之節少しも蹈不申し中根様御
   行列に追々極ニ相並行列を立御屋敷江罷越候お彼方 ■■振り
   勢を取切所存に候成御役人なとより色々申し候へ共新丞一向に謟ひ不申
   御付け而■■ニ相成候事
一、右打合最中野上梶平を向方御人数大勢ニ而引立■に致候梶平
   申候ハ 越中守家来ニおて一人も迯候様の比興者無之左様に被成候ニ
   ハ及申間敷と申し候へハ向方より其方儀ハ如何様之格合ニ候哉と尋
   申し候ニ付 越中守歩小姓ニ而候段申し候へハ然らハ士格之人ニ而ハ候間差返候
   と申して囲を出引取申候
一、釘本藤兵衛途中ニ而外様足軽小ニ逢申候ニ付其場の様子相尋候処小
   申候ハ銘々相應し働仕 御家■引ケニハ相成候程之儀無之候と申候由
一、志水新丞中根様御屋敷江罷越候付組の面々小屋へ帰申候処小申候ハ組
   之頭を壱人捨置各引取申儀難心得着手ニハ不似合事ニ候間此方
   一人ニ而も罷越可申と大ニ憤り申候ニ付左様の訳筋ニてハ無之と各宥申し由
   新丞中根様御屋敷ニ而 此方様御人数之内刀を抜候者有之
   よし被申候ニ付新丞申候ハ決而一人も刀を抜候者無之候刀を抜候程之儀
   に候へハ渡し差図致不残刀を抜せ申儀ニ御座候左様之儀ハ無御座候段
   申候由
一、此方様御人数之内一人刀を抜候者有之候ニ付此方より直に刀を取
   辻番所江参刀鞘抜致候間御預置候間抜候刀二てハ無御座候段申候て
   預置申候由各刀を抜たがり申候へ共新丞堅く制申候由右承り候分
   荒増書付置候事
                了 

これだけでは相手方を含め事件の解決へ向けての説明がなく、当事者である志水新之丞の「志水新之丞覚書」を読まなければ
事件の全容が見えてこない。相当量の文書であり急々にとはいかないが、いつの日か改めてご紹介したい。
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清正の髭

2010-01-25 08:10:54 | 徒然
 歳をとると不精がこうじて数日不精ひげ状態になることがある。PHILIPSのシェバーを使っているが、
これも持ち主同様齢を重ねどうやら買い替え時期のようだ。
理髪店に行くと「歳をとってこそ身嗜みを大切にしてくださいネ」とお小言を食う。いっそ伸ばしてみよ
うかとも思うが、これとて後が面倒だ。

 江戸時代侍は髭はご法度となった。明治に入ると天皇を始めとしてお歴々は、競うが如く髭をたてる。
威厳はまずはご面相からというところだろうか。

 加藤清正公の髭は有名なところだが、これにはそれなりの理由があったようだ。

「加藤清正の言に我等面に生候むだ髯剃り落しさっぱり致しなば気味能かるべしとは、朝夕存ぜざる
 にあらざれど、若き時分此髯面に頬當を致し甲の緒をしめたる時の快さ、只今以て忘れ難し。如何に
 治まりたる代なりとて是亦剃り兼ぬるなりとあり」
        (武人百話より)

 明治のお歴々の言い訳を拝聴したいものだ。
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