津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

こうじゅ

2010-11-07 14:07:31 | 徒然

 漢字に「ろう(老)偏」というものがあるが、私が持っている角川漢和中辞典では、老・考・耆・者・耄・耆・耋などわずか数文字しかない。考・者以外はすべて「おいる」という意味を持つ。
昨日泰勝寺を訪れたとき、改めて齊茲公の末娘・耇姫のお墓を拝見して、齊茲公の遺言でもあったのだろうかすぐ隣に大きく立派なお墓があることに改めて驚いてしまう。
可愛くてしょうがない娘に何で老いを意味する「耇」という字を当てたのだろうとふと思ったことだが、辞書をみると「耇寿」という言葉があった。「いのちながし」とある。
齊茲公は多くの女子を幼くして亡くしている。そんな中で自ら絵に書き残したように、耇姫には命ながらえてほしいと考えたのであろう。しかしながら齊茲公の思いは又も裏切られ、耇姫はわずか三歳でこの世を去るのである。齊茲公・齊樹公のお墓に挟まれるように耇姫のお墓はあるのだが、このような形式はいたって珍しい。改めて親子の情の深さに感じ入るとともに齊茲公の無念さも伝わってくる。

 

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yukieというHN

2010-11-07 13:23:29 | 徒然
 以前からyukieというHNでメールを頂戴していた。私は女性とばかり思っていたのだが、最近お手紙を頂戴して男性だとわかり、自分のうかつさに恥じ入るばかりで、その旨をメールでお詫びした。HN:yukie は「靭負」をもじりましたとのことであった。
もちろん本名は違うらしいが苗字はが「えびら」だそうだから、箙さんなのか。箙と靭は同義語(時代も形も違うのか?)だから、ここから来ているのだろうと推測している。

靭(靫とも)はうつぼ(矢を納めて射手の腰や背につける細い筒)、靭を負て宮廷の諸門の警護に当たったといことから、衛門府の異称、又はその職員の事だとされる。

靭がどのようなものかをご紹介したいと思うのだが、ぐぐってみてもこれといったものが見当たらない。
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お孫さん

2010-11-07 09:43:26 | 徒然

 昨日の午後、幽齋公没後400年の墓前祭が行われる泰勝寺を訪ねました。
幽齋公・麝香夫人、忠興公・ガラシャ夫人の四つ御廟にお参りに伺うと、丁度落ち葉を掃き清めたり掃除の最中でした。小学生くらいの三四人の子供達がお手伝いをしています。幽齋公の墓前には供花がなされて今日のお客様をお待ちする準備が整えられていました。
泰勝寺の大門から中に入ると、右手に大きな御祠堂があります。細川家は維新後神道に変えられましたので、神式でご先祖様を供養なさっています。今日はここに60名ほどの関係者が参集されて400年前をしのばれるわけです。

この御祠堂まえに先ほどの子供達が走り回っています。なんと護煕さまのお孫さんたちでした。名簿を拝見すると、ご一族、ご一門、家老衆、青龍寺以来・田邊城籠城衆などのご子孫、関係者等錚々たる方々のお名前が並んでいます。お孫さん達もしっかりこの御式を目に刻み込まれて、将来の参考にして欲しいというお考えが伺えました。

九曜紋・細川桜紋の幕が引き回された受付のテントや、大壷に季節の草木の活花があちこちに配され、準備は夕刻に至っても終わりませんでした。

今朝の熊本はどんよりとしたお天気ですが、割と温かくよい御式が執り行われることでしょう。そろそろ参列の皆さん方が泰勝寺の方へお集まりのなられる時間です。

墓前祭の模様を報じる、11月8日の熊本日日新聞                              http://kumanichi.com/rural/rekijyo/20101108001.php 

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