昨日は本棚から「江戸時代の身分願望・身上りと上下無し」を取り出し、士農工商いろんな身分の人たちの、些かなりとも高い身分にありつこうとする、あくなき「身上り(ミアガリ)」願望を興味深く読んだ。
一方岡崎鴻吉の「熊本城下の町人・古町むかし話」によると、町人の「見上り願望」に対する藩庁のなんとも下心が見える「栄誉の定価俵」が紹介されている。
限度を「士席浪人格」としているが、これだけのお金を積めばなれますよというのである。
・士席浪人格 十貫四百目以上 町独礼名字帯刀の者より
・ 十一貫七百目以上 右同苗字御免の者より
・ 十三貫目以上 無苗独礼より
・ 十六貫九百目以上 苗字刀御免の別当並同列より
・ 二十二貫四百目以上 丁頭並同列より
・ 二十三貫四百目 平町人より
・町独礼 六貫目 別当並に同列より
・ 九貫四百目以上 丁頭並同列より
・ 十貫四百目以上 平町人より
・苗字 三貫九百目以上
・刀 同上
・門松 五貫二百目以上
・桜御紋付 三貫目以上 御上下
・御時服 三貫五百目
・御羽織代紋の御品 四貫目以上
・上下 一貫目以上
・時服 一貫五百目以上
・羽織 貮貫目
さてこの一貫とは当然ながら「銀」である。以前NHKの金曜ドラマで「銀二貫」が放映されたが、その時の金と銀との交換レートについては次の様に説明していた。
「江戸時代の大坂では主に貨幣として「銀」が流通していた。「貫」は重さの単位で、銀二貫は2000匁で約7.5キログラムの重さとなる。貨幣価値を単純計算すると、小判(金)で約33両、現在の紙幣で300万円程度といわれるが、当時は貨幣の質が大きく変動していた頃で、実際の価値はその何倍にもなることがあったらしい。」
つまり「一貫=150万円」とすると、平町人が士席浪人格になろうとすれば二十三貫四百目(3,150万円)を納めなければなならないという事になる。著者の岡崎はその「序」に、小学校の同級生に只一人「金あげさむらい」と揶揄された学友がいたと書いている。
どうやら著者自身の事ではないかと思われるが、藩庁の思惑通りに多くの町人がこのような大金をはたいて「身上げ」をしたのかどうかは少々疑問ではある。
ちなみに次の様なデータがあるのでご紹介する。
文政11年の人口は,士席以上4,052,独礼以下帯刀以上1万5,393,士席浪人格及支配浪人等863,社人722,譜代の家来4,085,独礼以上育支配401,寺社支配家来1,170,百姓55万8,257,五ケ町3万2,491,坊主山伏3万843,総計64万8,277であった(肥後読史総覧から)