二五
○嶋田嘉津次殿、天明六年下益城御郡代之節覺書 天明五年十月~天明七年十月 下益城郡代
一質地等取遣いたし候にハ、下作米之甲乙、銭高之高下有
之候事は、坪々之様子延縮、或ハ地味より反別輕き坪有
之、或ハ是に反し候所有之候故、坪々にて同し一反にて
も一畝にても作徳之多少大に異り候故、縮畝等之作徳少
き所ハ、一反之帳面前にても百日之内二も取り候也、夫
ハ下作米餘計に受け不申候故違有之候、延有之ハ又は反
別より作徳多き地方ハ、同し一反之前にても百五拾目ニ
も貮百目にも取候也、夫ハ下作に入候節、前條之縮分ハ
壹石ニも極候を、延等有之候畝ハ壹石五斗ニも極り候故
替り候也、山鹿出在之節、彼方ニて手限御米餘銭にて質
地取候節、同し畝前にても段々餘米之大小、質受銭之多
少有之候間、察討いたし候節、右之通之意味合故違居候
由、竹野熊素兵衛辨シ候事
一畑損引之事、居屋敷ハ村免掛田畑打込撫たる免を掛るヲ云畑ハ土反掛村ノ畑土反に
撫すものなりたとへハ其村ノ土反五斗に廻りて居れハ米の上納前田ノ土反も同し一
人前之持畑五斗もあり三斗も有二斗もあれとも、やはり
村之撫シ五斗にまわりて上・中・下打込にするなれハ、
諸作之畑に上段の畑あれハ六斗七斗の反別におあたるな
り、左様なれハ勝手になれ共、一斗二斗之諸作畑之反別
を持たる百姓ハ、引起されて迷惑するなり、其積合より
粟畝の下り米を考合するに、粟畝にて一反或ハ二反位持
たる百姓、諸作にて六反も七反も持て、下畑の壹斗貮升
位之畑計にて諸作より引起されたるを償ふ損と、粟畝ハ
二反より貮斗三升の下りにてハ、諸作の引起されを償ふ
に足らす、是を以畑損引はいたし應せぬものなり
右天明六年午十月、杉嶋・廻江両手永之畑方損引之節、
両御惣庄屋・上地御内檢なと吟味仕候なり
一御徳懸之仕様、段見なり、上・中・下・下々・下々下タ
ハ段取して、上に何斗、中・下・(下々缺か)下々下ニ何升落と積り
立る也、惣て午の冬の畑損引ハ非常之年柄ニ付、御役人
及相談、村内之一ㇳ下ヶ名を引合候也
一元畝何反何畝之内、何畝何石反と申候ハ、たとへハ壹反
五畝之内、五畝は畑作りか又は御寄下或ハ御郡間新地に
ても有之候ヘハ別稜也、然とも元壹反五畝と孕れたるゆ
へ、元畝といふ時ハ一反五畝と言也、然とも右之内に壹
反ハ御蔵納之中田か大唐也、ゆへに、之内といふなり、 之内=以内
あせ廻り之者も四方に立たる時廣く見るニ付、元畝とい
ふ時ハ畝合もよく見ゆるなり、畑ハ前廉ハ上り下りも有
之候へとも、上に極候て上り下りなし
一田の床物成も畑に持來る事
一把畝といふ事、一坪の稲を苅揚、三尺縄を以三ツ宛に九
把を三所に積み置、鬮(くじ)を入、鬮當りの把三ツを落し、其
畝より畝前之有籾を積り候て算用いたし、割増かくるな
り
一畝例といふハ惣畝之稲を苅、夫を計り立候て積るなり
一鶴崎は段見なり、其仕法田壹枚之内上・中・下と毛上替
りあり、一徳・ニ徳・三徳と段々段を取り、夫を撫し中
分ニて割増を受るなり、御損引之節、立札之番ハ通り方
分を引抜候間、地引合之節、たとえハ某村にて東ノ方に
ある下名より一番二番と差出次第ハくるひ候間、山鹿な
とにてハ、某村御給知之御損引ニ出申候、或ハ御蔵納と
免違有之のを、御蔵納地引合之下名之一番より二番三番
と番附を取出し候ヘハ、其末百番にて留り候ヘハ、給知
を百番の尻に付、百壹番より次第ニ二百番迄も立候て、
溜り候ヘハ、其留より上知を付候ヘハ、二百壹番と踏出
候ヘハ免切に給知は給知計組合せ候て一番二番、御蔵納
御蔵納計組合壹番二番を立候ヘハ、給知之一番御蔵納之
一番と引合候より分り安キ故、前條之通近來ハ立候由
一損引に出候人別抱立之事、一人之抱地之内給人四人分有
之候得ハ、其内何某給知一反は免六ツ、何某分ハ四ツ、
何某分ハ五ツ、何某分ハ六ツと異り居候時ハ、一人抱高
之内にて同免之六ツ分ハ壹枚出し、一枚ハ出さぬといふ
事成不申候、五ツ分なれハ六ツを壹枚出し、五ツハ出さ
ぬといふ事も支不申、なせにとなれハ、同免之田五枚五
反持居候百姓二反は上作、三丹不作にて御損引に出申候
節、二反ハ土免より上り居候のに舛を入計り立、残三反
に舛入計立見れハ、撫候處土免に合ふ作に成候故、損引
容易になりかたし、免違なれハ異り候
一前に記す所之地引番通番之儀、地引帳は一村之東之方
歟、或は宮の前かといふ所より引初め、其初めたる所之
下ヶ名より一番二番三番と、枚數之次第之通に引故、帳
面其通なく、然に御損引に出候時は、其内一番は御損方
に出候ても二番は通り方ニ相成、又三番御損引、四番五
番ハ通り方、六番七盤ハ御損引と入交り/\出るニ付、
地引番之通にすれハ一番三番六番七番と次第なりて、引
合方に悪し、依之一番之尻に三番を二番として付、六番
七番を三番之跡に四番五番として付るなり
一下作米之事、米受なれハ、たとへハ市助か作ハ田畑一町
之内三反三助ニ遣候時、三反分を米何程にて作可申哉と
談候時、一反之年貢諸懸り物共に積り込候處か、反の前に
て八斗なれハ、壹石貮斗ニも受る也、惣て収納後に至候
ヘハ七助に其米を遣候故、市助は夫を取、年中之諸公役
年貢ともに自分名前にて相勤候也、役人よりも庭帳ニ市
助名前にて付込置取立る也、上高證文にてハ郡違・手永
違ハならすといへとも、質地は支不申候、此上高質地は
向方之者之名前ニて、市助か他村・他手永之権助に質地
に高を分、二十石之内五石分も田地分遣候ヘハ、権助よ
り五石分之諸公役年貢懸り物もする也、役人よりも庭帳
に権助名前にて五石分ハ取立る也、是いわゆる米受高受
之差別なり
一當秋之損方徳懸相濟候ヘハ、下見帳の内より抜書をし
て、一人別一所に集るを前揃といふ、たとへハ市助か田
方拾枚御損引に出候ヘハ、壹枚は天神守といふ下名之所
に出て、一枚ハ何方/\と打散居候へハ、下見帳にもあ
そこ、こゝと打散て双方前出て居る也、夫を市助分ハ市
助分を一所によせ、積立米・積下り米何程と算用するを
前揃帳といふ、夫より庭帳に付込取立るなり
一御心附米奉願候ハ、皆無畝或ハ粟畝なとに不作之節願候
事は不叶法なり、右躰之願士候ハヽ、只不作にて作食も
所持不仕と申立願候ヘハ濟候なり、天明八年玉名・上益
城有之
一山鹿南嶋の御免下ハ、壹石に貮斗下け被下を、御損引之
年ハ壹斗は指上候筈に極置候、下之姦を拒候為なり、田
成畑ハ四斗下ヶ方被仰付置候、夫にて畑之八斗之土に釣
合なり
一畑損引たとへハ何村何某といふ者、諸作五反・粟畝五反
持候て御損方に出候時、諸作は土反懸にて一村撫候土に
相成候故、五反之内には壹反上畑、壹反は下畑、壹反は
中畑と違居候て、上納反に壹斗もあり、三斗もあり、五
斗もある者か、村々一紙前之三斗五升之土に成候故、上
畑を餘計に持居候ヘハ下り米を得、中通ハ過不及無、下
通ハ引起されて御損引を不仕候ヘハ、壹斗五升も拂候所
に三斗五升拂候故、粟畝石詰之法にて下り米を得候とて
も、諸作ハ引起さてれ却て損失出來るなり、別て下畑ハ
貧窮者餘計に持居候間迷惑いたし候事、前廉ハ田畑見撫
にて、田方を損引に出し候へハ畑方も出候故、田畑見撫
ニ成候間、田にての下り候ても畑にて上り候間、下方浚
不申候、畠といふ物ハ石詰にいたし候てハ餘計に有之候
物にて、中々難有ものニ候、近年ハ田畑ハ別段ニなり、
畑ハ土反掛にて相濟、田方計損高に出候ゆへ、田方ハ毛
上相應の下り方有之、畑ニ上毛あれハ其分の作徳を得る
なり、近來之御法下方ニは結構なり、粟畝を五斗反と見
立、夫より中ハ壹斗下り、中より下ハ又壹斗下りと見て
ゆくなり
一田方抔の免畝は、一下ヶ名之内にても、給知は六ツ免も
あり、其隣の畝は御蔵納にて四ツ免もあり、又其隣は三
ツもあり、然時は免切にて一番、二番と番付を取出し候
故、一番といふ番付之隣之畝ニ百番もあるなり、夫故引
合之節五番といふ隣に二十番もあり、右之通、村々反別
ハ一紙面にて撫候故、壹石に廻り候ても、内場ハ反によ
り五斗之上納もあり三斗もありニ斗も有故、同し一反の
田方にても、下作に入餘計に徳米有之所もありて、賣買
にも高下あるなり
∴此一冊歛法檢吏の手記なり、私に輯めたるを以て前後
撰次なく、篇目をなしかたし、見る者錯雑をうれふる
事なかれ