津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■侍の身分と職務

2018-05-04 19:59:54 | 歴史

 細川藩に於ける侍の身分や職務についてのお問い合わせをいただきご返事したが、100%確実な回答を出来ずに申し訳なく思っている。
今迄ブログで取り上げてきたものを再度ここにご紹介しておくが、不足する情報は今後補足していきたいと思う。
当方の現状では急々にはできそうにないことも申し添えた。

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     士族の定義
  士席・軽輩という身分
  嗣蔭令

  番方・兵備
 
  役方        
   ■熊本藩の支配機構--1 「機密の間」(一)
   ■熊本藩の支配機構--1 「機密の間」(二)
   ■熊本藩の支配機構--2 「御手当方」(一)
   ■熊本藩の支配機構--2 「御手当方」(ニ)
   ■熊本藩の支配機構--3 「選挙方」
   ■熊本藩の支配機構--4 「御郡方」(一)
   ■熊本藩の支配機構--4 「御郡方」(ニ)
   ■熊本藩の支配機構--5 「小物成方」
   ■熊本藩の支配機構--6 「御勘定方」
   ■熊本藩の支配機構--7 「御算用所」
   ■熊本藩の支配機構--8 「櫨方」
   ■熊本藩の支配機構--9 「御吟味方」「惣銀方」「御切米方」
   ■熊本藩の支配機構--10 「御普請御作事方」
   ■熊本藩の支配機構--11 「御掃除方」「寺社方」
   ■熊本藩の支配機構--12 「町方」
   ■熊本藩の支配機構--13 「御城内方」「御船方」「御客屋方」
   ■熊本藩の支配機構--14 「類族方」
   ■熊本藩の支配機構--15 「学校方」
   ■熊本藩の支配機構--16 「八代文武稽古所」その他
   ■熊本藩の支配機構--17・了 「再春館」「犬追物」「屋敷方」

 

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■天草・崎津教会世界文化遺産へ

2018-05-04 07:41:24 | 徒然

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録になるようだ。熊本からは天草の崎津教会が入っている。
少々足踏みをしてしまったが、時間の問題だと思っていたが地元は大喜びであろう。
崎津は小さな漁村である。小さな船を操り、沿岸漁業で生業を立てている漁師たちが、船の中でこうべをたれ祈りを捧げる姿には感動を覚える。
いつもは手ぬぐい頭の老婆が、ベールに替えて教会で祈りを捧げる姿も同様である。
弾圧に堪えながらも信仰に生きた長い歴史を持つ人々の誇らしげな姿が目に浮かぶ。

熊本市内からだと崎津は結構遠い。今一度あの穏やかな景色を眺めてみたいと思うのだが、76爺にはちょっと無理な注文ではある。


 

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■井田衍義・歛法式令ー八・九 (8-3)

2018-05-04 06:17:04 | 史料

一下り米ニ貮割五分の了簡米ハ、免之勾配村里強弱之懸引
 便利二して恩情厚良法なれとも、損引の輪の内の事にて
 米の力外ニ不通、又輪の内も厚く當るへき所は必下り米
 少し、下り米付て米なれハ割を増ても高少きなり、然は
 至て零落なる所の為には惣躰に米の下る程の益はあるま
 しきか、又徳かけの辛き唱在中に耳ありて上ニ下り米の
 多き唱もあるかし、行違たる事にて其唱にハ道理あり、
 免ハ下るとも夫ほと不甘ハ米之力不働故なるへし、輪の
 内方へ此通りなれハ、畠勝下反別なとにてせんかた無
 之、土免に通る所々ハ元よりの事也、此通る所を一概之
 唱には、作毛能土にも免にも釣合故と片理屈もある事な
 れ共、此類之所に數々の病ひある事ばれハ、免ニも不合
 作徳も少き證據なり、下反所の地味悪敷は元よりの事に
 て災も又多し、年貢少き村なれとも百姓微力にして、其
 上旱損水損も持合之畝に被引皆無ニ土免拂ふもあれハ、
 此處に生得たる者一生艱苦遁れかたし、又損引のせらる
 ゝ所は高反にして、年貢多ふけれとも夫程の零落に不至
 もある事なり、扨又、免の勾配により了簡米無之とも、
 押ては可濟村もあるへし、然とも損引に加りたる程の村
 多少に不寄了簡米取ハ無きなり、能き上ハあらせれと
 もさんかたなく、土免に通る所の難儀の者を、これを以
 養育せハ其功尤可顕歟、其上加年(規矩か)合貮割五歩と聞へたる
 了簡米尤免之勾配により多少有とハ見ゆれとも、欲に飽
 なき下の事にて、隣村は三割に當り此村は一割餘と多少
 反別とハ為在ハ損引の縄張に洩れ、零落の双無キも突立の
 土免にて艱苦果なく、積所百姓は手と身となり、田畑
 は蘆萱茂り、其期に至り百貫を厭ハす取救ふとも未タ全
 くハ届間敷候、所謂わら松明にて果は燈す人の誤とも成
 へきか、今是を改て平等の撫育にならハ、鰥寡孤獨もお
 のつから惠に不洩風雨為時之祈(折か)に可増、然る時は下り米
 二付て了簡米之仕方を替、衰民補助の法も改、禍福甘苦
 も等しく受て下情も安らか成の道可有か、其荒増の柱立
 今一ツ二ツ愚意を顕し見れとも事連續せすして、當不當
 意に不落あわれ正敷道の顕はれて上下安穏ならん事を祈
 るのミ
一徳懸の事、毛上と下見の姿を能見分して極る事ニはあれ
 共、萬の事ニ引應し見るに荒目なる様に思われたり、尤
 下見も糺置其役ニも巧者の上試置たる事もありといへと
 も、至て重き事ニて末々巧者計も有間敷事なれは、餘事
 に増りて年比の仕組あり度也、たとへハ工ミの木を削る
 に杣取の儘を當る事いか成上手も難かるへし、なすと
 も能すること叶ふまし、舛を入試置ハ大工の金場を取り
 直くを見るの道理に可准か、なれともろくを極たる迄に
 ても削かたく、墨を打幅を極め前斧を以高下を撫し其後
 を當る事、則内檢の積にて、削揃長短を究、清鐁は免
 方の役々其精/\を盡すへき也、算術にていわゝ鍛錬の
 人も目安なきにハふと仕損も有事なれハ、せめてハ中削
 を入角幅を極、是を目安に用ひハ毎順なるへし、曲來多
 き世上にて累敷世の中なれハ、上下に付此所考ありたき     累敷=わずらわしき
 事なり
一了簡米を下り米に付る事不順なるへし、又免切ハなく共
 加然歟、よしハ損方計免を切りても、通方損方打合すれ
 はいやとも其免ハ朱厘毛弗を引事故切りても詮なき事な
 るへし、帳面の仕立も手入と見へたり、此了簡米にて徳
 懸のたくほくを撫す内にハ、村里強弱の懸引もあるなれ
 ハ、徳懸ハ一筋に差詰ると迄究なるへし、了簡米の成行
 尤其模様にて大抵はあたるへき也、然レとも下り米極
 り、毛上も苅揚、其後ニ米高も下ニは知らるゝ事也、夫
 も二割五歩とハ聞へても村により多少有なれハ、手に取
 らさる内ハ百姓はしらぬ事故、別談物之様に成、徳懸之
 場之落着には村役人もなりかたし、只百姓は手馴たる取
 箇の積と下見前に割の張出したる笠を見て行當り例をも
 する事也、然は毛上摺拂の割増ゆへ、内檢の手元におゐ
 て中道なる坪にて例さハ尤危かるへきなり、此累敷を替
 んにハ徳懸の跡だめを不差てかわらぬ法と、衰民の助る法
 と此三ツを考、改迚も可出米ならハ、今有る免極と取救
 ほの心得を打混し、是又両輪に立、先損引の仕方を改め、
 早熟之畝掛より前に顕す通ありたし
一損高の究様ハ今迄の趣なるへし、若中反別以下の村に附
 入損引有ルへきか、是は必毛上を見下加わり居る事なれ
 ハ、随分共撰出し延かねの積もして、惣庄屋なと舛を入
 可除面ハ能々糺極へし、又下反別所ハ大抵にて損引成る
 に出すへし、是も又無難之畝之持合多くハ正道の下見に
 て損引ハ成ましきか、夫共程々にして差置ハ仕くせ直る
 まし、用捨なくしらへて可通面ならハ損引ハ除けて皆無
 ハ皆無のしらへにくわへ、作外之難澁あらハ是又別之法
 にて救ふ時ハ、下見之種姓自然と直るへし、然レとも何
 れ下見の下りたる方為に宜敷模様なれハ、制して届兼へ
 し、是ハ舛詰の法計にてハ廣き事なれハ届間敷歟、此見
 下ヶたる所にハ割を増、又正道に見立し所ハ参談の割極
 免之外、五歩にても三歩にても依上々と申渡甘を遣さハ
 自然と廉直廣ク成るへし、然レとも見下ヶたる所に割を
 増事今の突詰たる法にてハ行ひ難し、此仕法に成りとも
 下り米押撫す所ハ、今迄に差て替る間敷哉、又徳掛之積
 りハ今よりも能當候へし、是も立戻りていへハ今通りに
 てさへ損引に出たかるに、早田ハ畝懸ニ成り徳懸にも甘
 キあらハ彌損高可益との小氣遣も可有歟、是ハ畢竟無據
 下反別之所なと見下ヶなりにして置所より、自然もたる
 ゝ氣も流布して彼付入りもある事なり、此類ハ右之撰舛
 にてはら/\と可除也、かく行ひて作外の痛は別の法に
 て取救ひ、損引の一段ハ下反別所の延かね舛、附入之撰
 舛、見下ヶての高割、廉直所の甘キ、利と自然との二ツ
 にて、損引と取救ひの法連續して事を徐/\と計ラハ、
 惣躰の事正直を誘ひ免極の法等しくなるへきか

 

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